19世紀末の科学思想と文芸 高橋士郎

1)はじめに:近代芸術の終焉
 ジュール・ベルヌは小説の草稿『20世紀のパリ』1863年において、100年後の1963年には、芸術が金融経済と科学技術に駆逐され、人生は歯車や伝達装置の仕組みで説明されるようになると予想した。小説の中で詩人志望の主人公ミシェルは「芸術は、何か離れ業でもしない限り、もはや生き残れない」「今の世の中はもはや市場に過ぎない。だから、大道芸人がやるような茶番劇で世の中を楽しませてやらなきゃならない」と嘆く。ミシェルの叔父さんは実利的な実業家で、絵画は着色図面、デッサンは製図、彫刻は石膏型、音楽は汽笛、文学は株式明細書だけで芸術を理解しているという有様である。
 ミシェルはさらに、1963年の今日では、詩の領域にも科学と機械が侵入し、書店にある現代詩集は「詩的平行四辺形」「空気観想」「電気諧調」と云う有様だと嘆く。ちなみに、現実の1960年代に筆者が創作発表したキネチックアート作品『立体機構シリーズ』『空気膜造形シリーズ』『電脳制御シリーズ』は、このジュール・ベルヌの予想と全く一致している。
 ジュール・ベルヌが出版社に持ち込んだ、この悲観的な小説『20世紀のパリ』は採用されずに未刊となり破棄される一方、『気球に乗って五週間 - 三人のイギリス人によるアフリカ探検』が空前の成功をおさめて、ジュール・ベルヌは人気作家としてデビューし、フロリダから打ち上げられ、月を一周して、北太平洋に着水する、ジュール・ベルヌの小説『月世界旅行』1865年のアイデアは、100年後の1968年にフロリダから打ち上げられ、月を一周して、北太平洋に着水した「アポロ8号」によって実現される。
 しかしながら、編集者ジュール・エッツエルが1886年に没し契約による空想科学小説『驚異の旅シリーズ』の執筆が一段落すると、ジュール・ベルヌは、再び科学技術に批判的な人間性を描くようになる。小説『カルパチアの城』1892年は、音楽狂のゴルツ男爵が、カルパチア山脈の古城で、仮想現実の歌姫ラ・スティラとの美的隠遁生活を維持するために、蓄音機・幻灯機・電話機の近代機械を駆使して村人を疎外し、トランシルバニア地方にオカルト伝説が継承される物語である。
 巨匠ジュール・ベルヌのような人気小説家をめざしたレイモン・ルーセルの奇想天外な小説『アフリカの印象』1910年は、当時の文壇や大衆の支持を得ることが出来なかったが、第一次世界大戦直前の若い前衛芸術家達に大きなインスピレーションをあたえた。
 80才を迎えた美術家マルセル・デュシャンは、 美術評論家ピエール・カバンヌとの対話1966年の中で、24才の青春期にアントワーヌ劇場で観た演劇『アフリカの印象』1913年の体験を語っている。「あれはすばらしかった。舞台の上にはマネキン人形と一匹の蛇がいて、その蛇がほんの少しずつ動くのです。まったく気狂い沙汰でした。テクストのことはあまりよく憶えていません。そんなに聞いていませんでしたからね。あれはほんとに打たれました」その後、ルーセルの小説『ロクスソルス』1914年を読んだデュシャンは、この小説に登場する気球式自動作画機の詳細なデッサンを描いている。本稿は主に、ルーセルの小説に登場する仮想機械について考察する。
 肥大化した大脳皮質をもてあます人類の狂気は、宗教・芸術・文芸などの、あの世の想念世界に向けて創作エネルギーを発散してきたが、行き場のなくなった創作エネルギーが、一旦物質文明の方向に向かうと、粗野な工業生産物を大量に生産し、地球環境をも破壊しはじめる。この世の現実において、芸術価値を担保してきた宗教権威・宮廷権威などの装置が19世紀に無能化し、金融権威・科学権威・民族権威に取って代わる20世紀の現代芸術は放浪をはじめる。

2) 野生芸術と科学芸術の競演
 ルーセルの小説『アフリカの印象』は、アフリカ沖で漂流座礁したブエノスアイレス行きの快速船リュンケル号の乗員40名が、タルー七世の聖別式の祝祭に特別参加して、次から次へと近代科学によるヨーロッパの「人工芸術」を披露し、アフリカの「自然芸術」と競演する物語である。
 リュンケル号の乗員達が、遭難という乱暴な方法で、異次元にトリップしたのとは別の方法で、この世のヨーロッパと、あの世のアフリカとを往来する3種類の人物も登場する。
1)聡明な女流探検家のルイーズは、未知への探求者で、アフリカでの研究を支援する黒人王ヤウルと人種を超えた共感をもっている。
2)第五アルジェリア歩兵隊の脱走兵ヴェルバルは、人も寄り付かないアフリカの魔の森に潜む孤独な逃避者で、誘拐されて魔の森に捨てられたタルー七世の赤子を救い養育する。
3)運命の巡り合わせによってヨーロッパで生活した黒人少年セイルコルは、青春に挫折してアフリカに帰還し、ヨーロッパとの通訳者となる。

 小説『アフリカの印象』の構成は前半と後半にわかれている。読者は小説の前半で、ポニュケレ国の首都エジェルの中心広場における超現実的で意味不明な光景に遭遇し、小説の後半で、今度は同じ物語を合理的な記述で読み返えすことにより、あの世の想念世界と、この世の現実世界とが連続し納得するという仕掛けである。
 第1章と第2章「戦利品広場」には、肺臓製のレールの上を、鯨の髭を編んで造った奴隷像が移動していくという、摩訶不思議な造形作品が登場し、第21章にその意味が記述される。すなわち、隣国の宿敵ヤルー王が庇護していたルイーズの釈放条件として、タルー七世が示した実行不可能な最後通牒は「座礁船の料理長が夕食に調理した美味でぶょぶょの食材で、船荷の中にあった蒸気機関車がその上を走るようなレールを製作し、そのレールの上を走る等身大の彫刻像を造れ」という命令であった。命令に対するルイーズの解答が、船荷の中でみつけた服飾用のペチコート素材で超軽量な彫刻像を製作し、肺臓の傾斜路を滑らせるというアイデアであった。
 またタルー七世の、頭や手足を動かすことのできる三つの彫刻像を製作せよという難問にたいしては、頭脳が点灯する哲学者イマニエル・カントの胸像「ライトアート」、老練な執政が幼いルイ15世の前で平伏し屈伸運動を繰り返す彫像の「キネチックアート」、群像彫刻が演技する「ロボテックアート」を完成させる。
 研究熱心なルイーズは化学実験の障害で肺を傷めていて、人工排気弁を装着しているのだが、その装置は男装した軍服の飾紐でカモフラージュされていて、ルイーズの感情が高揚すると自律神経に同期して排気音が高鳴る。科学技術を用いて人間の身体機能を向上させるトランスヒューマニズムの思想が現れるのは、生物学者J.B.S.ホールデンの著書『ダイダロス、あるいは科学と未来』1923年のことであり、1928年に実用化した『鉄の肺』は、患者の首から下を気密タンクに入れて間歇的に減圧するという大げさなものであった。
 第3章は重力・磁力・熱力などの物理力学を題材とする、曲芸団と創作機械の出演である。サーカス団のブシャレサス兄弟が演ずる軽業芸a. 右利きのヘクターと左利きのトミーによる左右対称の二重ジャグリング、b. マリウス10才の猫取り競争ゲーム、c. ボブ5才による声帯模写、d. 娘ステラ14才による車輪乗りの四つは、ロジェ・カイヨワが著書『遊びと人間』1958年で分類した四種類の遊び、a. 偶然の遊び「アゴーン」 、b. 競争の遊び「アレア」 、c. 模倣の遊び「ミミクリ」 、d. 眩暈の遊び「イリンクス」に相当する。
 技術者メゾニヤルが発明した「フェンシング機械」は、高速で回る弾み車に外力が加わると意外な運動をする角運動量保存則を応用した剣術ロボットで、歯車式のプログラムを切替えると、フェイントをかけながら剣先はずし・まわし突き・切り上げを仕掛け、チャンピオンの人間剣士を打ち負かす。科学者ベクスが発明した感熱金属「ベクシウム」を応用した「自動演奏機械」は、寒暖2本のガスボンベの弁を開閉調整すると、様々に変化する曲を演奏する。「ベクシウム」の作用は温度差を感じて電圧を直接起電するゼーベック効果(1821年)ペルティエ効果(1834年)トムスン効果(1854年)に相当する。
 おなじく科学者ベクスのパフォーマンス「巨大なボタン磨き板」宝石と金属を吸い寄せる物質「マグネティン」とその吸引力を遮蔽する防御板「インペルビウム」による実験は、クーロンの法則と荷電粒子の軌道運動のスケールで計算すると、静電気の電磁気実験とは考えにくい。なにかスケーリング問題を超える超強力磁場のようである。
 文芸や絵画の想念空間では、現実の物理科学を無視する不合理な表現がまかり通る。アリスやガリバーが縮小拡大しても、地球上の万有引力・空気の固有共振数・生物細胞の寸法などは縮小拡大せずに一定なのだから、アリスやガリバーの動作や音声はおかしなことになるはずなのだが、表現者と鑑賞者は地球上の常識という暗黙の了解の上で成立することなので、当然ながら読者の感性は物理方程式に無頓着である。
 リュンケル号の乗員達の出し物に続いて、ポニュケレ国のタルー七世のやんちゃな息子レジェド12才は、巨鳥にぶら下がって、空中飛行を披露する。 第4章と第5章は音声言語の挫折がテーマである。高名な歴史学者と生物学者による、知的語り芸ともいうべき学術講演に続いて、サーカス団員が登場し、四つの音曲芸でオーラル言語を揶揄する。a. 両手両足のない不具者のタンクレードは、全身の筋肉運動を駆使して四種類の楽器を巧みに演奏してみせる。b. 歌手リュドビックは、唇の両端を別々に動かして、同時に2音を発声し、一人でカノン形式の曲を輪唱する 。c. 小人のフィリッポは、自分の小さな胴体を皿の下に隠して、首だけを皿の上に現すというトリックで、あたかも生首が皿の上でお喋するかのような芸を演じる。 d. 片足のサーカス団長レルガルシュは、切断された自分の大腿骨で造った骨笛を使って悲しい曲を吹奏する。e. 曲馬師ユルバンが調教する、特殊な舌をもつ馬は、意味を解さない言語を雄弁に模倣発声する。
 大歌手キュイジベルは秘蔵するブリキの拡声笛を使用して朗々と独唱し、名女優アデイノルファは切々とタッソーの悲嘆詩を朗読する。ポニュケレ国のタルー七世も、「衣々の歌」を美しい裏声で独唱するが、プロンプター役のカルミカエルと息が合わない。言語の構造的あるいはメタ的な解明が始まるのはフェルディナン・ド・ソシュールの論文『インド・ヨーロッパ語の覚書』1878年からのことである。
 オペレッタ一座が演ずる六つの活人画は、物語のクライマックスに絵画的な構図で舞台を静止し、観客の視覚に訴える黙示劇である。歌舞伎の「だんまり」も言語説明を超えた視覚的な美感表現に専念する。初期のダゲレオタイプでは芸術指向の活人画が盛んに作画された。ダゲレオタイプが音声を録音するわけではないが、長い露光時間の間、被写体は不動のポーズを維持して沈黙をまもる必要がある。
 第6章は草原とテーズ河における、空気・水・火による非線形科学の造形である。ポニュケレ国のアルコットと6人の息子達は、それぞれが幾何級数的に正確な方向と距離をとって直立配列すると、互いの胸窟で声音を共鳴させて、音響コーラスを披露する。河の中に設置した発明家ブデユの織機は、水流に飛び跳ねる多数の水車につないだ糸の動きが、コンピュータを連想させるブラックボックスに入力されると、出力側の糸が創世記のタペストリを織り出す。彫刻家フィユクシェが披露する五つの「青いボンボン」は、水中に投げ込まれると振動して水面に波紋画像を生成する。水の表面波の理論が、レイリー男爵によって明らかにされたのは1885年のことである。花火師リュクソは花火で夜空に絵画を描く。ローベルト・ブンゼンがブンゼン燈の焔と分光器で炎色反応を解明したのは1860年のことである。
 第7章はメタ認識と自己形成の物語である。催眠術師のダリアンは、事故で記憶を喪失したセイルコアを、歯車がコトコトと鳴る映写機の映像刺激を使って治療する。
 タルー七世の虚弱な息子カジル8才と献身的な養女メイスデル7才が演ずるシェイクスピア劇「発見されたロメオとジュリエットのエピローグ」は、悲劇のヒーローとヒロインが引き起こす偏見・先入観・誤りの原因を明らかにする一幕で、幼年期のロメオとジュリエントが自己形成期に影響を受けた家庭教師の教訓話と乳母の話からなる六つの幻影で構成される。彫刻家フィユクシェが発明した、熱すると煙の彫刻を生成する「赤いボンボン」が炉に焼べられると次から々へとその幻想が出現する。ロメオとジュリエットが見る幻想は、フランシス・ベーコンが説いた「真理を歪曲する4つの偶像」、 a. 感覚錯覚による偶像、b. 教育習慣による偶像、c. 言語偏見による偶像、d. 思想学説による偶像と一致する。18世紀以来つづけられているシェイクスピア別人説には、ベーコンがシェイクスピアであるという説もある。
 また、彫刻家フィユクシェは、葡萄の種子を任意の形に成長させる「バイオアート」を発明して、葡萄粒の中に8つの場面を制作する。
 第8章 ポニュケレ国の自然芸術とヨーロッパの人工芸術の競演は、大自然の驚異的な造形でフィナーレを迎える。タルー七世の風変わりな長男フィガロ15才は、超人的な海底遊歩術の途中で発見した六つの海中生物、a. 三角旗状の生物、b, 石鹸泡状の生物、c. 心臓が透けて見えるスポンジ状の生物、b. 亜鉛円盤状の生物、e. ゼラチン質の生物、f. 縁飾紐状の生物を展示して「パフォーマンスアート」を演じる。19世紀末の「アール・ヌーヴォー」に大きな影響をあたえた、生物学者エルンスト・ヘッケルの画帳『自然の芸術造形』の完成版が発行されたのは1904年のことである。
 長男フィガロは、さらに海辺で発見した録画機能をもつ植物のパフォーミングを展開する。この録画する植物の成長期に、ヨーロッパの豪華本に印刷されていた挿絵を順繰りに記憶させると、成長した葉脈はその画像を順繰りに再生上映する。
 第9章 祝祭の翌朝、ルイーズは長年打ち込んできた、光起電効果による感光盤と自動描画アーム機構を完成させて、アフリカの日の出の風景をキャンバスに描く。このデジタル色彩絵画のラスタースキャニング方式は、現在のTVやパソコンモニタが採用している横方向スキャニングではなく、重力に素直な縦方向スキャニングである。白黒デッサンの場合には、巧みなランダムスキャニング方式に切り替わる。無数の電線と受光素子を束ねたルイーズの感光盤イメージセンサは,光学レンズを持たない。
 肖像画家であったルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは、ブルジョア階級の増加にともなう肖像画の消費需要に対応するために、銀塩感光法による自動描画技術ダゲレオタイプを発明した。フォトグラフの出現は19世紀末のパリの画家達の思索を刺激し、様々な主義主張の絵画を産む契機となる。デュシャンは「デッサンという観点からすれば、写真はきわめて正確な形を与えます。それで、それとは別のことをしたいと思っている芸術家は自分にこう言い聞かせます。とっても簡単だ。できるかぎりデフォルメしよう。そうすれば、写真のあらゆる表現から完全に離れていられるだろう」と述べている。そういうデュシャンの二人の兄は、立体派の画家と未来派の彫刻家であったので、三男のデュシャン自身はやることがなく、ダダとならざるをえない。現代のコンピュータグラフィックスとルネッサンス絵画とに共通する、絵画アルゴリズムについては、著者の論文『絵画の方程式』研究紀要7号1992年に掲載してある。
 小説の後半、第10章から第25章は、前半の出来事を合理的な記述で繰り返し、最後の第26章で、ヨーロッパから充分な身代金が到着したリュンケル号の乗員達は、釈放されて母国に無事帰国し、この世のアイデンティティを回復する。ポニュケレ国にも金融経済が通用したことは幸運なことであった。リュンケル号の乗員達が、ポニュケレ国の首都エジェルに到着した時に、先ず最初にしたことは、劇場の建設と株取引所の建設であった。祝賀祭の参加芸術作品に賭けた掛金の総額一万フランは、ポニュケレ国住民の拍手が一番多かった芸「マリウス10才の猫取り競争ゲーム」に賭けた株主達に配分された。金融経済こそが、想念世界と現実世界を連続させる最大の成功例なのかもしれない。
 生涯に1枚の絵しか売れなかったフィンセント・ファン・ゴッホが貧困の内に生涯を閉じた1890年に描かれた油画「医師ガシュの肖像」を、1990年のクリスティーズ・オークションにおいて、日本人が82,500,000ドルで落札したことは、金融経済と芸術の終末を象徴する。

3) 自由芸術の発明
 ルーセルの小説『ロクス・ソルス』は、科学者カントレルがパリ郊外に自由芸術の殿堂を建設して、自分の発明品を展示し、それらの発明の証人として観客を招待する物語である。美術館や画廊などの芸術を担保する既存の枠組みを外れて、個人のパビリオンで自由意志による個展が開催される。展示作品の主題は、土・風・水・火の四元素と、生と死のテーマ作品を経て、自由創作に至る。
 第1章は、カントレルの展示館が散在する、丘陵への坂道に設置された石祠の由来話からはじまる。石祠に収められた土偶はサハラ砂漠の秘境都市トンブクトの王女セルールにまつわる薬用植物の物語、石祠の外側に彫られた浮彫りはブルターニュの王女エロにまつわる王冠金属の物語であり、アフリカの伝説とヨーロッパの伝説とが土と石の固相に合体されている。
 第2章は風の気相、開放系のカオスに関する物語である。カントレルは気象の変化を計算する方法を編み出し、自然の風に制御されてモザイク画を制作する気球式自動作画機を実験する。
 現代の位置計測の場合には、複数の人工衛星を利用した「全地球測位システムGPS」が日常的に使用されている。GPSはアルベルト・アインシュタインの特殊相対性理論(光速度不変の原理)1903年と一般相対性理論(時空連続体の歪み)1917年による地上の時計の宇宙的な遅れを補正するなどの方法で高い精度を実現している。1849年にはロンドンの新聞社が当時最新の電信技術1837年を利用して各地の気象情報を集め、天気図を作成し発行した。現代の気象予想は、スーパーコンピュータを利用して地球規模の気象・水象・地象などの数値解析シミュレーションをおこなう。積分法によっては得られない複雑な物理現象を概念化して「カオス」と命名したのは1975年のことである。
 それにしても、混沌のカオスから整然としたモザイク画を生成するというルーセルの発想は尋常ではない。しかしながら、混沌からの天地創造は神話世界での常套手段であり、河の流れから創世記のタペストリを生成する発明家ブデユの織物機械や、彫刻家フィユクシェの波紋絵画を、将来の超高速コンピュータが実現しないとは限らない。ダヴィンチが繰り返し描いた水流のカルマン渦や北斎が描いた波形のCGシミュレーション画像を現代のスーパーコンピュータはすでに実現している。
 第3章は液相と電離イオンの物語である。カントレルが発明した光る酸化励起水「アクアミカ」を満たした巨大な透明水槽の中で、様々な電磁波実験が繰り広げられる。「アクアミカ」の中を遊泳する踊子フォスティーヌの長髪は帯電による電磁誘導で振動し音楽を奏でる。電素錠「エリトリトール」を内服して生体電池と化した賢いシャム猫が水中を泳ぎ回ってフォスティーヌの助手を勤める。浮力制御された七つの潜水式風船人形が昇降して水中人形劇を演じる。
 カントレルが発明した三つの物質、a. 頭蓋の中に注入して脳を凝固し蘇生させる注射液「レジュレクティーヌ」、b. 服用すると血管が拡張して体内に広がり、タンパク質繊維を起電させて動物を電池に変える赤い錠剤「エリトリトール」、c. 脳内で「エリトリトール」と「レジュレクティーヌ」を化学反応させて強力な電気を脳に浸透させる褐色の金属触媒「ヴィタリウム」の作用で、革命家ジョルジュ・ダントンの首は蘇生し、唇は無音の弁論を力強く再演する。
 第4章は、死者の生前の行為を再現して、遺族の悲しみを癒す物語である。遺族が持ち込む最愛の八体の遺体は、それぞれの人生のクライマックスに脳細胞シナプスの結合ネットの形で物質化された記憶データが、蘇生液と金属触媒の電気作用で活性化されて、死者の筋肉運動を再演する。この死体ロボット達は、その出力機構が働くだけで、フィードバックに必要な入力センサーと論理回路が機能しないために、カントレルの助手達は死体ロボットの外部環境を調整するために舞台裏で大活躍する。鉄腕アトムのような自律ロボット開発をめざしながら、フレーム問題を克服できなかった現代のロボット開発に似ている。
 メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン:すなわち現代のプロメシュース』1918年に登場する、名前さえも付けて貰えなかった創造体クリーチャの場合は、死体の部品を寄せ集めて構成された人体が、誕生後の自発的な学習によって人間らしい思想を獲得していき、創造者である医学生ヴィクター・フランケンシュタインを伴って自滅していく物語である。ルーセルの小説には、このような一神教徒に特有なフランケンシュタイン・コンプレックスはない。
 この死者の劇場ともいうべき「ガラスの檻」は、自然の採光を利用した初期のガラス張りの映画撮影スタジオを思わせる。屍骸の腐敗を防止するための強力な冷房装置のアイデアは、1906年にウィリス・キャリアによって発明され、ニューヨークで普及した「冷房空調装置」がヒントとなったのであろう。対照的にエジソンの覗穴式映画キネマトグラフの制作スタジオ「ブラックマリア:囚人護送馬車」1893年は、コールタールで覆われた巨大な暗箱であった。
 ダゲールと同様に肖像画家であったアントワーヌ・リュミエールの二人の息子によって興行されたシネマトグラフ『リュミエール』1894年の成功は映画産業を興し、パウル・ヴェゲナ監督の『ゴーレム』1920年、ローベルト・ヴィーネ監督の『カリガリ博士』1920年、フリッツ・ラング監督の『疲れた死神』1921年、F・W・ムルナウ監督の『ノスフェラトゥ』1922年などの心理的なドイツ映画に発達した。初期の映画シナリオは、小説のシークエンスや、舞台の戯曲そのままの順序で撮影していたのだが、すぐに映画媒体の特性をいかしたモンタージュ、クローズアップ、アイリスアウト、パン、クロスカッティング、フラッシュバック、ストップモーション、オーバーラップなどの撮影編集技術が考案されるようになる。
 詩人ステファヌ・マラルメは「シネマトグラフは、映像のシークエンスを使うことで、文章と絵から成る何巻もの書物に効果的に取って代わるはずである」と予測し、文字を書く創作行為を様々な媒体に拡大していった。さらに、映画技術が実現した動的なイメージや流れる観点の表現は、ジェイムズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』1922年など、その後の文芸表現をも変質させていくことになる。
 第5章は火が主題である。 カントレルの治療を受けている万能科学の天才狂人エグロウザードは、イギリス旅行中に盗賊集団に遭い無惨な方法で殺害された幼児ジレットを追憶して、愛児の声を再現する「熱励起による音声合成法」、愛児を殺害した盗賊達の踊りを再現する「熱風気流による風船人形劇」、愛児の肌着を仕付ける「花火ロケット式の自動縫製針」を発明する。エグロウザードが発明した音声合成の方法は、弾性収縮する脂身製の物差しを使って蝋板に緻密な点の列を刻み、その点線をルビーの励起光で溝状の音声波形に追加工するという技術である。
 書籍出版の経営者エドアード・レオン・ スコットが製作した音声波形を見る機械「フォノトグラフ」1957年や、聾唖学校の経営者アレキサンダ・グラハム・ベルが、聾唖の美少女のために、死んだ男性の耳で実験した蘇言機「人工咽と人工耳の発明」1876年、それに続く起業家トーマス・エジソンの蝋管式蓄音機「フォノグラフ」1877年、エミール・ベルリーナの円盤式再生機「グラモフォン」1887年などが普及していくと、言語のメタ認識が大きく変貌していく。人間の耳が見過ごしてしまうような意識外の音響をも正確に録音してしまう蓄音機の出現は、表現者の魂を文字言語の約束事から開放し、音楽を楽譜音符の制約から開放していく。 
 ジークムント・フロイトの論文『夢判断』1897年と同じ年に出版されたブラム・ストーカの小説『ドラキュラ』は、新大陸のアメリカで発明された音声蓄音機と言語タイプライタを、ヨーロッパのフロイド学者が活用して、奥深い東方のルーマニアからくる、眼に見えないオカルトを解明する小説である。小説の中のドラキュラは旧大陸に伝わる十字架と大蒜による方法ではなくて、南北戦争で新開発されたウインチェスタ14連発銃とボウイナイフを使ってテキサスの大金持ちが退治する。
 第6章は生命体が主題である。巫女フェリシテは、肌に触ると炎症をおこす刺草と、その有毒成分を解毒する軟膏を使って、人肌に占い文字を浮かびあがらせる。また、タロットカードの中に、スコットランドの草に寄生する羽の無い発光昆虫エムローとスイスの精密機械を組み込んで、銀鈴のような音色を奏で、緑色の円光を発するカードを考案して占いをおこなう。今日では、圧電ピエゾ素子のスピーカや発光ダイオードを仕込んだ「ICカード」の使用は日常のこととなっている。
 カントレルはキュロス大王の伝説に従って発掘した天然の超親水性金属を、ボルネオ渡来の怪鳥「イリゾー」の強力な尾に固着して、水の塊が重力に打ち勝って飛び回る実験を披露する。今日では酸化チタン触媒の超親水性を応用した製品が開発されている。空想上の作り話と思われていたギリシャ神話の『トロイア』が、ハインリッヒ・シュリーマンの発掘により、現実の事実となるのは1873年のことである。司馬遷編纂の史記に伝説として記述されていた「始皇帝陵の地下宮殿」が1974年に発掘されると、同書記載の「徐福伝説」、古事記の「神武天皇伝説」、魏志倭人伝の「邪馬台国伝説」も現実味をおびてくる。
 カントレルはまた、傷ついた生体細胞が、自らを癒す物質を合成して分泌する「生体懇願物質」ワクチンの作用を応用して、スーダン女性シレイスの肌から爆薬を採取する。アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明したのは1866年、安全なニトロセルロース無煙火薬が開発されたのは1906年、天然痘ワクチンの発明は1796年、コレラワクチンの開発は1879年のことである。カントレルは、ワクチンの原理は生命細胞の自由意志を尊重して生命細胞に懇願することであり、ワクチンの歴史は神話的時代から、形而上学的論理時代のパラケルススを経て、実証的科学時代のパスツールに到達したと解説する。
 飛行の歴史においても同様のプロセスを見ることができる。空中浮遊への欲望は、まず神話のメタファーによって解消され、次にダヴィンチ等の観念的機械の探求を経て、20世紀の科学実験で実現される。しかしながら、20世紀の強力なエンジンによる飛行は「風の谷のナウシカ」の優雅な飛行とは程遠い。
 第7章 最終の章は、モンシャル伯爵による自由創作の物語である。高名な巫女フェリシテの滞在を聞いてロクスソルスを訪れた星占師のノエルは、恩師である放浪の声楽家ヴァスコンテから相続した形状記憶合金製の美しいレースを、おしげもなく星占いの観客に進呈して、助手の鶏モプサスを伴って去っていく。モプサスは、充血した喉の赤い血を一滴づつ正確に射出して象牙板に占い文字を書くという、インクジェット式印字のような特技をもている。
 この膨張する金属レースは、かってヴァスコンテが演じたオペラを作曲したルオルツ・モンシャル伯爵が3点製作して、ヴァスコンテに与えた内の最後の1点である。モンシャル伯爵は、1809-1887年に実在した人物であり、食器の銀メッキの発明者として科学史にも記録されている。熱するとエントロピー弾性により原型を復元する「形状記憶合金」は1951年に発見され現実のものとなった。
 ジャン=マリ=マティアス=フィリップ=オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵の短編小説『栄光製造機』1883年の発明者ボットンは「自分の発明した創作物は単なる機械ではなくて、物質的手段(機械)と精神的目的(栄光)とを結合する媒概念(拍手する機械)である」と主張する。芸術家と技術者を合体させて創作活動をすすめたベル研究所の電気技師ビリー・クルーバのEAT芸術運動や、文芸詩論と工学理論とを合体させなかった科学哲学者ガストン・バシュラールに、著者は納得しない。著者が創作した三つのキネチックアートのシリーズはモンシャル伯爵や技術者ボットンが主張するような自由芸術の創作を目指している。
 研究紀要第3号1987年掲載の『立体機構シリーズ:詩的平行四辺形』は四節機構を、a.平行軸機構、b,収束軸機構、c,捻れ軸機構の三種類に分類して、それぞれの特徴を、a.力仕事のための産業機械、b.数値制御加工機で製造可能になった観念機械、c.仮想空間で実現されるであろう仮想機械と定義し、機械の美的展開を行った。研究紀要第2号1985年掲載の『空気膜造形シリーズ:空気観想』は、風船状ナイロン薄膜の内外に生ずる空気差圧エントロピーによって自己生成する立体造形法を開発し、彫刻の消去と出現を実現した。『電脳制御シリーズ:電気諧調』は、デジタル機械語プログラムを応用して彫刻の動き・音・光・形を連続させた。

4) おわりに:メディア芸術の使命
 以上、小説『アフリカの印象』における、1)自然物と、2)人工物、および小説『ロクスソルス』における、3)仮想物について考察してきた。人類の仕業から地球環境を救う方法は、1)人類が野生の猿に帰るか、2)科学技術で地球を改造するか、3)仮想世界に引きこもるかの三つの解決策しかないように思える。ポニュケレ国で競演した「自然芸術」と「人工芸術」の勝敗はつかない。勝利したのは、自然界と人工界と想念界の三者を三つ巴状態に連結するルーセルの小説「仮想芸術」なのであろう。
 コペルニクスは地球と宇宙を連続させ、デカルトは人間と機械を連続させ、ダーウィンは人間と動物を連続させ、フロイドは自我と無意識を連続させ、アインシュタインは原子から宇宙までの物理現象を連続させた。
 フィッツ=ジェイムズ・オブライエンの短編小説「ダイヤモンド製のレンズ」1985年の主人公は高性能の顕微鏡を開発し、超微細な世界の女神に出会い恋をする。1846年にカール・フリードリヒ・ツァイスが光学機器製造を創業すると、ルイ・パスツールが「自然発生説の検討」1861年、ロバート・コッホが「微生物病原説」1876年などを発表し、生気を失った悪い空気や水の瘴気が実は、眼に見えない精霊が原因なのではなく、眼に見える微生物であることを明らかにする。現代の情報科学は、眼には見えない魂の世界でさえ、DNAや大脳シナプスの構造で明らかにしようとする。
 生命ある者が、常に口から出し入れしている、眼に見えない空気を、なにか魂のようなものと理解していた人類が、その科学的な組成や質量を理解したのは近代になってからのことである。ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンは、オカルト教義の眼には見えない、重力の存在を解明した。
 ルーセルの小説は、カルパチア山脈の村人達が陥る、日常的なオカルト状態を恐れるかのように、人間的感覚が成立する根底にある大気と重力のリアリティを繰り返し表現する。古典的絵画技法においても、額縁の中での空気感や重力感のリアリティある表現が課題であった。キャンバス表層の仮想空間と同様に、現代のサイバー空間においても、地球上の陸上生物が5億年を経て育んできた大気と重力の存在が欠如する。
 近代の科学技術は美的感性の対象領域を膨張させ、芸術の有様と役割を大きく変貌させた。現代のチューリングマシーンは、絵画・彫刻・演劇・演劇・文芸などの伝統的な表現領域に取って代わる新たな表現媒体をシームレスに連結し、ボーダーレスな仮想空間を拡大構築しつつある。現代のメディア芸術は、環境的かつ観客参加型のインタラクティブアートにまで拡大されている。しかしながら、想念と現実とは表裏のことであり、豊かな現実体験が豊かな想念を育む。メディア芸術は大脳皮質の仮想空間を、リアリティある豊かなものに育てる使命を負っている。