空気膜造形 高橋士郎
現代の物質文明は、地球環境を破壊する勢いです。「高橋士郎空気膜造形シリーズ」は薄い表皮膜だけで立体表現することができるので、省資源や廃棄物処理の上で大変に有意義な造形技術です。
石彫や金属などによる堅牢な剛体造形物が、権威の象徴や永遠の記念碑として、造形芸術の主流をしめてきたのに比べて、毛皮・藁・布・竹・瓢箪・泥などの柔らかい物は、亡びやすく、価値の低い素材と考えられています。 しかしながら硬くて冷たい、価値のある文化よりも、柔らかくて温かな、はかない文化に、人間は身近に親しんで来ました。機械文明を代表する自動車でさえ、その内装は柔らかいクッションで被われています。
1)風船のメタファー
俵屋宗達「雷神風神図屏風」の風神は、丈夫そうなチューブの両端を確り握って、空気の流出を押さえています。ヒエロニムス・ボッシュ1516年作「快楽の園」には、透明球の中で睦む男女が描かれています。ブリューゲル1568年作「人間嫌い」に描かれた、透明のガラス玉は、針金で十文字に補強されていて、その中に入った人物が、聖職者の財布を盗ろうとしています。「快楽の園」右扉内側部分の地獄の場面には、怪物の便座から垂れ下がる灰色の風船が描かれています。風船は排泄される内臓のようで、中に落下していく裸体の男女が描かれています。中世の絵画に描かれている風船は、現代のゴム風船と異なり、浮遊しません。風船のメタファは、内部と外部を分ける界面の表象であるようです。ピーター・ブリューゲルが描いた絵画「子供の遊び」1560年の右下に、豚の内臓を膨らませて遊ぶ子供が描かれています。ゲルマン民族は豚を解体し、殆どの部分を料理に利用しましたが、食べられない膀胱は子供の玩具となりました。同じ画面の左下には、シャボン玉で遊ぶ子供も描かれています。
2)天然の風船
卵は柔らかい膜で覆われていますが、排卵の時に堅い殻で保護されます。水中生物の場合は、その必要がないので、柔らかいままです。人間は子宮のなかで成長してから誕生します。現代では、半透膜の高分子膜(アルギン酸ナトリウムのゲル)の風船内部に、レタスの芽を栄養剤とともに封入した、クローン植物の人工種子が開発されています。生物は細胞からなる柔軟な組織できていてます。「ふぐ」や「かえる」などは、体の一部を風船状に膨らませて見せて、自己誇示のディスプレイをします。動物の毛皮を丸ごと剥いで息を吹き込んでつくる渡河用の浮袋や、火を起こす皮袋のふいごは古くからの生活用具であったでしょう。ブリューゲル「農民の婚宴」1568年には革袋のふいごを演奏するバグパイプが描かれています。
3)界面のアンフラマンス
宇宙船の中では、水の表面張力が風船の働きをして、水滴が塊となって空中を漂います。昆虫の「たがめ」は水中に気泡をつくって、その中で生活します。 アメンボウは水面に乗り、ボウフラは水面の下にぶら下がります。シャボン玉は、水の表面張力と界面活性材の働きにより、表面積の一番少ない形態である球形を形成します。シャボン玉の厚い部分は、薄い部分よりも先に伸びて、自動的に膜全体が均一の厚さになろうとするので、分子レベルの薄さまで膨らますことができます。 膜の厚さが分子レベルまで達すると、光の波長が干渉して、虹色の模様となり、さらに薄くなると黒色の斑点が現れて破裂します。高温で溶解したガラスの中に息を吹き込んで作る宙吹きガラスも、極薄い球を作ることができます。高温のガラスの薄い部分と厚い部分では温度差が生じ、温度が高くて厚い部分が先に伸びるので、自動的に均一の厚さとなるからです。しかし、シャボン玉も、ガラス玉も、ゴム風船も丈夫な素材とは言えません。
4)丈夫なゴム風船の発明
ゴム風船が登場したのは、近代になってからのことです。1839年にチャールズ・グッドイヤーは天然のゴムを熱加硫して柔らかくする技術を開発し、1846年にはアレクサンダー・パークスが薄いゴムシートを作る加硫方法を開発しました。 天然ゴムの高分子に、硫黄を添加すると、ゴムの高分子は滑って大きく伸びるようになります。しかし、ゴム風船を膨らますと、薄い部分が、厚い部分よりも先に伸びてしまい、ますます薄くなるので、膨らむ大きさには限界があります。1841年グッドイヤーは綿布で補強したゴムの特許を取得しました。ゴムと布を組み合わせれば、柔軟で丈夫なゴム風船を作ることができます。自動車のバイアスタイヤは、二層の糸を交差させて使用することにより、 クッションとしての衝撃吸収力と、繰り返し変形するタイヤの耐磨耗性を両立させています。ラジアルタイヤの場合は、タイヤの真円が変形しないように、回転方向に糸の層を並べます。1946年ミシュラン社は鉄の帯のラジアルタイヤを実用化し、1948年ピレリ社はレ-ヨン繊維の柔らかなラジアルタイヤを製品化した。バスなどに使用されているエアーサスペンションは、ポリエステル布とプラスチックモノマーを組み合わせた頑丈な風船で出来ています。摺動部分が無いので、保守や給油の必要がない。金属のバネとは違い、振動を吸収する固有振動数は最低1ヘルツにまで下がりますので、優れた防振機能を発揮します。サイズが大きいほど、コストパフォーマンスがよい。 太平洋戦争中に、日本軍がアメリカ大陸に向けて放った風船爆弾は、蒟蒻をコーティングした和紙を張り合わせた直径10mの紙風船に、水素を充填した無人の兵器です。当時発見された偏西風に乗り、9000発を放流した中で、その一割がアメリカ大陸に到達しました。
5)人体と救急
ヒマラヤ登山遠征隊が携行するナイロン製の気圧室は、重さ7kgの風船状で、高山病の登山者を内部に収納し、足踏みポンプで内部圧を富士山頂程度の気圧まで高めた状態にして、患者の回復を待ちます。高性能なジェット戦闘機のパイロットは、風船状の耐Gカバーオールを装着しています。機体が急旋回する時の慣性力で、脳内の血圧が低下し、意識の低下や視力の喪失がおきないように、脚部を風船で圧迫することによって、体内の血液量を均一に保ちます。自動車のエアーバッグは、アクリルコーティングして機密性をもたせたナイロン製の風船を、ハンドル中央部に装置し 、自動車が衝突した瞬間に膨らませて、運転者がハンドルで頭を打つのを防ぐ安全装置です。衝突センサーが働らくと火薬が点火し、その熱と圧力により窒化ナトリウムが化学反応をおこし、窒素ガスが発生します。発生した400度以上の高温窒素ガスは、スクリーンを通すことにより断熱膨張の原理で冷却されます。衝突してからエアーバッグが膨張し、しぼむまでの時間は0.125秒の一瞬のことです。 旅客機の座席の下に小さく畳んで常備されている救命胴衣は、ウレタンでコーティングされたナイロン布でできています。緊急時には、小さなボンベを開放し、入っている20g程のドライアイスを気化させて救命胴衣を膨張させます。
6)宇宙で活躍する造形技術
現在では、様々な風船の素材が開発されています。1997年に火星に着陸した探査車ソジャーナは、高度300mまでパラシュートで降下した後、12個のポリエステル布製の風船を炭酸ガスで膨張させて、装置全体を包むように保護し、火星大地に3回バウンドして軟着陸に成功しました。真空の宇宙空間では、風船の技術が活躍します。ナサの宇宙船に搭載している緊急救命袋は、直径86cmの耐熱繊維製の風船の中に人が入って密閉し、故障した宇宙船から放出して、真空の宇宙空間に漂いながら救助を待つものです。袋の中には酸素吸入器、電波信号装置、膨張用の二酸化炭素が装備されています。外被膜は圧力を維持すると同時に放射線、太陽光線、微少流星から人体を守ります。真空の宇宙空間で作業をする宇宙服は、内外の気圧差が非常に大きいために、関節部分を折り曲げる時に大きな腕力を必要とます。そのため内圧は0.3気圧の純酸素に抑えられています。宇宙飛行士は、常住する宇宙船の1気圧から0.3気圧に体をならすために、エア-ロック内で12時間もかけて徐々に気圧を下げ、純酸素を4時間呼吸して体内の窒素ガスを出しておく必要があります。 ナサの成層圏観測用の気球は、ヘリウムガスを充填した直径140mの無人の巨大な風船で、重さ3.6tの観測器機を吊り下げ、高度52kmの成層圏から地球環境を観測します。膜体素材は高張力ポリエステル布にポリエステルフィルムをラミネート加工しています。
7)巨大な空気膜造形の力学
筆者が設計制作した「空気の丘」(Pat.No.2068787)は全長50mの膜体の上に、大勢の子供が乗って遊ぶ風船状の丘です。大きな風船は、パスカルの原理「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、一部に加えられた圧力はすべての方向に等しく伝わり,容器の内側に垂直に働く」により、大きな膜面張力を発揮します。長辺が201mもの大空間を実現した東京ドームの施工では、ガラス繊維にテフロンコーティングした素材が、恒久的な不燃の建築材料として認可されました。膜体は鉄製ワイヤーで補強され、内部空気圧が発生する大きな張力を分散させています。空気圧力20mmAqといいますと、水面下2cmの所の水圧と同じ力と考えてよでしょう。すなわち、東京ドームの膜の上に2cmの水が貯まった状態の重力を空気圧は支えています。積雪時には、積雪の重量に見合う空気圧力を加え、膜体が沈む込むのを防ぎます。風船の直径が2mを越えると、低圧でも、人を乗せてつぶれません。空気膜構造の強度、すなわち膜面の張力は、その直径に比例します。したがって同じ内部圧力の場合、大きな風船はぱんぱんに膨れますが、小さな風船は形が不安定でふにゃふにやにしかなりません。自転車のタイヤチューブほどの小さな直径の場合にはかなりの高圧空気300kPa程度を必要とします。ゴム風船を膨らます時、最初は小さいので息を吹き込むのに苦労しますが、一定の大きさになると、楽に膨らみます。
8)小さな空気膜造形の力学
呼吸する空気は、肺胞球の内面で血液のヘモグロビンと接触して、酸素と二酸化炭素を交換します。直径0.3mm程の微小な肺胞球は表面張力のためにつぶれようとしますが、肺胞の内皮細胞からリン脂質の界面活性剤が分泌されて表面張力を低下させて、呼吸の機能を助けています。ナノテクノロジーが炭素原子60個で作ったフラーレン分子「C60」は、原子レベルの風船と考えられます。この原子の風船の中に水素元素を貯蔵して、安全な燃料電池を作る研究がされています。梱包材に使用され、衝撃から製品を守る緩衝材のエアーキャップは、径10mmx高さ4mmの小さな気泡が多数連なるポリエチレン製シートです。気泡が小さいために、気泡1個あたりの破壊強度は500gf程度に耐えますので、多数の気泡が連なると、大きな力を発揮します。大きな気泡の場合には膜強度が不足して破壊してします。
9)浮遊する空気膜造形
大きく膨らんだ風船を見る時、心が和み楽しくなります。風船は、アナーキーな気分に人の心を浮遊させる、不思議な力をもっています。風船の形には、豊満な中にも、程良い緊張感があります。地球の重力に捕われて、地球の表面で生活する人類は、無重力への浮遊を夢見てきました。神や天使は自由に空を跳びます。ボッシュ1505年作「聖アントウスの誘惑」の瞑想の場面には、魚に乗って優雅に空を行く男女が描かれています。魚類は、腹の中の空気袋の大きさを調整して、水中を上下に移動します。魚類が両生類に進化すると、浮袋は肺胞に変化した。1783年は、人間が初めて空に浮上した年です。9月にルイ16世とマリー・アントワネットの臨席のもと、製紙業者のモンゴルフィエが絹布を紙で裏打ちした直径33mの熱気球に成功し、11月には人が搭乗してブローニュの森から8kmを飛行しました。Steam Balloons
モンゴルフィエが熱気球で飛んだ翌月には、シャルルとロベールが、直径8mの水素気球シャリエール号で、2時間の飛行に成功しました。1立法mのヘリウムガスは大気中で約1kgの揚力を発生します。アドバルーンは、膜厚0.2mmの塩ビフィルムを張り合わせて作りますので、直径が2mより小さいと、体積であるヘリウムガスの浮力よりも、表面積である塩ビフィルムの自重が重くなるために浮上できません。
10)エアーアート
科学技術の発展を背景に、アート・アンド・テクノロジーの新しい美術表現を求めた1960年代のアーチストにとって、風船はてごろな素材でした。「視覚芸術探求グループ」を設立したオットー・ピーネは、いち早く風船を使用しました。1966年ロバート・ラウシェンバーグらが開催したEATのイヴェントでスティーブ・バクストンは、透明ビニール製のシートを送風機で膨らませるエアーアートを発表しました 。1968年クリストが試みた透明ビニールの作品「5600立方mの梱包」は、直径10m長さ84mの巨大な風船です。 EATが参加した、1970年の大阪万博ペプシ館では、剛体ドーム構造の内部にアルミ蒸着した巨大な風船を挿入し、剛体ドームと風船の間の空気を吸引することにより、正確な負の球状鏡面を形成しました。観客は風船の内部に直接自由に出入りすることができます。鏡の風船の内部に入ると、不思議な虚像群に囲まれ、予想もつかない場所に自分の姿が見えます。
11)空気の形
お風呂の中で、濡れ手拭に空気を入れて、空気玉をつくって遊ぶ時のように、平面の布でも、布の織目をバイアスに延ばせば、皺のない綺麗な曲面に膨らますことができます。ネクタイやバイアススカートの場合もバイアスの伸びを利用して、綺麗な形を作っています。建築分野における空気膜構造の研究が、もっぱら建築強度を得るために、均一な表面張力の形態を追求するのとは反対に、筆者が提案する空気膜造形は、積極的に表面張力を操作して、任意の形態を創作する造形技術です。従来の、塊から形態を削りだす方法や、粘土を盛り付けたり、金属を叩いて変形する方法では、量感豊かな曲面立体を創作するのに、大変な労力と熟練技術を必要とします。空気膜造形は、内部空気の圧縮力と表面膜体の張力によって、量感豊かな立体曲面を自動的に自己形成します。空気膜造形は、巨大な造形物を卓上の縫製作業で製作しますので、膨らました形を確かめながら縫製作業を進めることができません。設計製作は仮想モデルで進めこととなりますので、型紙の設計理論が不可欠です。 空気膜造形の自己形成の原理が明らかになるにつれて、高度なCADが可能になります。
12)充気膜機構
布製の風船を所望の動作で確実に変形させる為には、筆者が発明した米国特許US.pat.No.4765079が必要です。この特許は「風船の膜面に余裕部分を付加することによって、膜面に支点を形成し、その支点を中心にして、余裕布と反対側の膜布に固着した紐を小型モータで牽引すると、余裕布が伸びて膜体は支点から屈曲する」という、基本的な原理です。紐を緩めれば内部圧力で元の形に復帰します。この特許を利用すれば、風船を変形する時に、内部圧力の変動を小さく抑えることができるので、小さな力で、素早く、滑らかで、大きな動作を得ることができます。駆動力として膜体内部の空気圧を利用する簡単な構造ですから、故障が少なく、専門技術者による保守点検は必要ありません。なによりも、人体に対して安全な柔らかい機械を作ることができます。筆者はこの技術を応用した風船状のロボットを多数発表しています。しかしながら、柔らかな風船のロボットは、硬くて重い金属のロボットに憧れる人の価値観を満足させないようです。
13)現れては消える
現れたり消えたりする千夜一夜物語のアラジンの魔法のランプ、枯れ木に花を咲かせる花咲爺さんの物語など、物語の世界で、事物は自由自在に出現と消去を繰り返します。日本においては、青森のねぷた、鯉のぼり、松飾り お盆の岐阜提灯など、四季おりおりの仮設的な造形が考案されてきました。筆者の個展1984年「新しい空気膜ロボットの遊び」は、土曜と日曜の超高層オフィスビルを借りて開催され、500平方メートルの吹抜空間が、わずか小型トラック1台分の機材と30分の設営時間で、別世界の遊園地に変貌しました。ときに、表面反射のデーター計算だけで済ませるので、画像生成した形態の中身は風船のように空っぽであるのは当然のことです。現代の物質文明は、地球環境を破壊する勢いです。 空気膜造形が、表面の薄い表皮だけで、存在感を表現するのは、省資源や廃棄物処理の上で大変に効率のよい方法といえます浮遊するシャボン玉は、多くの文学や絵画の中で、儚い人間存在を比喩しています。人は誰でも風船が好きですが、風船には価値をみとめません。それは、人の心も寿命も風船のような儚い存在だからなのでしょう。人は泡沫(うたかた)のように弱い自分の存在が嫌いなので、永遠の生命や堅固な財産に憧れるようです。