1250-1287 「撰集抄 第五」西行於高野奥造人事  1687 西鶴(版元:大阪の河内屋善兵衛)

   おなじき比、高野の奥に住みて、月の夜ごろには、ある友達の聖ともろともに、橋の上に行あひ侍りてながめ/\し侍りしに、此聖、「京になすべきわざの侍る」とて、情なくふり捨て登りしかば、
何となう、おなじ憂き世を厭ひし花月の情をもわきまへらん友こひしく侍りしかば、
思はざるほかに、鬼の、人の骨を取集めて人に作りなす例、信ずべき人のおろ/\語り侍りしかば、
そのまゝにして、ひろき野に出て、骨をあみ連らねてつくりて侍りしは、
人の姿には似侍れども、色も悪く、すへて心も侍らざりき。声はあれども、絃管の声の如し。
げにも、人は心がありてこそは、声はとにもかくにも使はるれ。
ただ声の出べきはかり事ばかりをしたれば、吹き損じたる笛のごとくに侍り。

 おほかたは、是程に侍るも不思議也。
さて、是をばいかがせん、破らんとすれば、殺業(せつごう)にやな侍らん。
心のなければ、ただ草木と同じかるべし思へば、人の姿也。
しかじ敗らざらんにはと思ひて、高野の奥に人も通はぬ所に置きぬ。
もし、おのづからも人の見るよし侍らば、化物なりとやおぢ恐れん。

 さても、此事不審に覚て花洛にい出侍りし時、教へさせおはしし徳大寺へまいり侍りしかば、御参内の折節にて侍りしかば、空く帰りて、伏見の前の中納言師仲の卿のみもとに参りて、此事を問ひ奉りしかば、「なにとしけるぞ」と仰せられし時、

「その事に侍り。広野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨をとり集めて、頭より手足の骨をたがへでつづけ置きて、砒霜(ひさう)と云ふ薬を骨に塗り、いちごとはこべとの葉を揉みあわせて後、藤もしは絲なんどにて骨をかかげて、水にてたびたび洗ひ侍りて、頭とて髪の生ゆべき所にはさいかいの葉とむくげの葉とを灰に焼きてつけ侍り。土の上に、畳をしきて、かの骨を伏せて、おもく風もすかぬようにしたためて、二七日置いて後、その所に行きて、沈と香とを焚きて、反魂(はんごん)の秘術を行ひ侍りき」

と申侍りしかば、「おおかたはしかなん。反魂の術猶日あさく侍るにこそ。我は、思はざるに四条の大納言の流を受けて、人をつくり侍りき。いま卿相にて侍れど、それとあかしぬれば、つくりたる人もつくられたる物も失せぬれば、口より外には出ださぬ也。それ程まて知られたらんには教へ申さむ。香をばたかぬなり。その故は、香は魔縁をさけて聖衆をあつむる徳侍り。しかるに、聖衆生死を深くいみ給ふほどに、心の出くる事難き也。沈と乳とを焚くべきにや侍らん。又、反魂の秘術をおこなふ人も、七日物をば食ふまじき也。しかうしてつくり給へ。すこしもあひたがはじ」とぞ仰せられ侍り。しかれども、よしなしと思ひかえして、其後はつくらずなりぬ。・・・」

高野山での修行生活中、浮世を離れて花や月の情趣をともにする相手がほしいものだと、人恋しくなった西行は、鬼が人骨を取り集めて人を作るように、人間を造ってみようという気になった。

野原に出て、人の見ないところで死人の骨を取り集め、頭から手足まで間違えずに並べておいて、
砒霜を骨に塗り、イチゴとハコベの葉を揉み合わせた後、藤の若芽などで骨を括って、水洗いした。

頭の髪の生えるべきところには、サイカチの葉とムクゲの葉を灰に焼いて付けた。

土の上に畳を敷いて骨を伏せ、風の通らないようにしつらえて27日置いてから、
その場所に行って沈と香を焼いて反魂の秘術を行った
骨に肉がつき、その表面には皮膚まで再生した

しかしそれは、人の姿に似てはいても、見た目が悪く、まるで人間らしさがなかった
声は出るものの、楽器を鳴らすかのようだった
それは、ただむやみに声を出すだけだから、吹き損じの笛と同じで
まったく予想外でがっかりした

どう始末しようか
破壊するのは人殺しに当たる気がする
心がないから草木と同じとも言えるが、姿は人間だから困る
壊せないので 西行は、それを高野の奥の人も通わないところまで連れて行って捨てた