伸び、縮み、躍る神話 -高橋士郎/バボット・古事記・メディア-

伊藤俊治

「古事記」は87柱の神々の名の列記から始まる。宇宙の始りに「全てのもののはじめのも の」がまずできるが、その気はまだ十分でなく、名もなく、動きもなく、形も定まらない。 ようやく天と地が分かれだし、男と女が明確になってゆく。こうして天地開闢時に天之御中 主神が出現して以来、続々と神々が現れ、神々の力で日本群島形成と国土整備がなされ、天 孫降臨を経て、神武天皇誕生までが上巻に記される。
神々は生まれ、変身し、愛し合い、子をなし、戦い、死に、転生する。山の神、海の神、火 の神、木の神、戦いの神、豊穣の神、病いの神.......個性溢れる生き生きとした神々が壮麗な パンテオンを形作る。「古事記」はまさに八百万の神々が森羅万象いたる所に躍動する日本 群島に相応しい始まりの書である。
「古事記」で神々の名前は連ねられるが、本文に説明はほとんどなく、神々の実体は曖昧で 流動的である。その形や由来などは私たちの想像力に委ねられている。そのことは日本群島 が客観的で論理的な世界に属しているというより、イメージと想像力の世界に属しているこ とを物語っているかのようだ。
高橋士郎の「古事記」展は、その日本の神々の特性を梃子に自由自在にバボット(空気ロ ボット)というメディアを駆使し、天衣無縫なヘヴン・ワールドをこの世に現出させた。 神話は空気膜のように伸縮自在である。神話は変形し、置き換わり、重なり合う。神話的思 考の次元へ入り込めば、神々も人間も動植物も鉱物も混じりあい、水も火も光も風も全体で 呼吸しているかのような世界が現れてくる。そうした神話世界こそが私たちの現実を織りな していることが判明する。
スコットランドの著名な博物学者ダーシー・トムソン(1860〜1948)の『成長と形態につ いて』(1919)は、生物の形や構造が生まれてくるプロセスを科学的に解明する糸口を開 いた名著である。
そこにはクラゲが液体に墨を溶かした時のような形をとり、紅葉の種子は蠅の翅そっくり で、鳥の中空骨の内部は構造力学のトラスと同質であり、巻貝はフィボナッチ数列のように 成長してゆくことが記されている。
異なる領域の間に共通の型を見出し、その関係から新たな知見を汲み出す。近年になり非線 形力学や散逸構造論を通じ、ようやく明らかになってきた自然と生命の魔術をトムソンは百 年以上前から既に見通していた。
高橋士郎の「古事記」展の神々の形にも同じような変換や転移や交配を見出すことができる だろう。
フランスの構造人類学のパイオニア、クロード・レヴィ=ストロースは『成長と形態につい て』から影響を受け、人類学における「構造と変換」の概念を思いついた。 トムソンは動物や植物の種の器官の違いを「変換」という概念で解釈したが、レヴィ=スト ロースはそれが神話にも当て嵌まるのではないかと直感する。
例えば、魚は「頭」「胴」「鰓」「尾」の四つの部位で構成され、各部位は成長するに従 い、大きく変化してゆくが、魚という構造は変わることはない。同一生物の種がそれぞれの 環境への適応を通し、形態変化してゆく現象をトムソンは「座標変換」という視点で読み解 いていったのである。
クロード・レヴィ=ストロースはこの「座標変換」を「ゴム膜上のイメージ」という比喩で 表そうとした。つまり伸縮自在のゴム膜上にある形を描き、伸び縮みさせながら別の形へ重 ね合わせられるかどうかを考える。これを「位相変換」と名づけ、「位相変換」しても変わ らない性質は「構造」とみなすことができるとした。
生物の「構造」は神話においても機能している。いや「構造」は神話の変容においてこそ当 て嵌まる。
神話のイメージは、ある特定の問題群を比喩的に表現するコードを基準に選別されている。 例えば「龍」と呼ばれるものの意味を私たちは正確には知らない。しかし龍のイメージはな ぜかしら人間の想像力の本質と合致するところがあり、龍は地域を跨ぎ、物語を組み替え、 形態を変容させながら、意味を定位することなく遥かな時代を生き延びてきた。
神話にも意味はない。神話はそれ以外の世界へ意味を満たすための「構造」である。神話は 意味を生み出す母体を提供する。母体は神話の規則にのっとり定義され、人は母体を通し、 神話ではなく神話以外の意味を読み取ろうとする。人間の意識を超えた次元に潜む世界や歴 史のさまざまなイメージを解読してゆくことが可能である。つまり神話とは、そこでは人間 の知と美のための解析格子のようなものとなる。
高橋士郎が取り組む「古事記」は日本最古の神話体系である。古事記はもともと親族体系の ドキュメントであり、多種多様な入り組んだ神々の関係が基本構造を抽出しつつ、それらを 生み出したものの精神の仕組みを映し出してゆく。
1960年代からコンピュータによる「立体造形シリーズ」の制作を開始した高橋士郎は、 1970年代には大阪万博三井館やフロリダのエプコットセンターでの展示等、国際的な場で その成果を発表し注目を集めた。
1980年代からは風船を素材に「空気造形シリーズ」を展開し、日本のメディア・アートの パイオニアとして活躍を続けている。その高橋士郎が自らの活動の集大成として取り組んだ のが「古事記」展である。彼が作りだすバボット(空気ロボット)は神々の気と精の棲家に 相応しい。古代から現代まで、日本人が「気」をどのように捉えてきたのかがそこに宿って いる。
高橋士郎は「古事記」に登場する神々の精神(スピリタス)を独自の気の制御によって21 世紀に蘇らせた。バボットは空気で膨らませ、量感豊かなフォルムを生成させる造形であ る。素材には薄くて柔らかく気密性の高いビニールや布が使われる。その内部空洞に空気が 充填され、内部気圧を外部気圧より僅かに高めて表面を張り詰めさせ、骨組みも無しに巨大 サイズの空気膜を実現する。
自然の生命体が成長過程で自己形成するように空気膜は、空気の圧縮力と膜体の張力により オーガニックな曲面立体を生み出してゆく。
バボットはだからプネウマ(気/霊)による造形なのだ。プネウマは古代ギリシャでは、生 命や呼吸そのものであり、バボットは日本の神々の超自然性を表すのにぴったりの特性を持 つと言えるだろう。
日本の自然思想とアニミズムに基づいた奇想天外な古事記の神々が、バボットという新たな 衣を纏い、生田緑地を跳梁跋扈する。
神話は絶えず別の神話へ移動してゆく途上にある何かである。ある神話が別の神話に変容す る時、直線的な道を辿って変形される訳ではなく、関係するもの同士が群れをなし、群の内 部調整を経て、複数の道を通り変形される。神話のエピソードとイメージが集合し、鮮烈な 色の鳥の羽根のように編み直されるのだ。
神々は変幻自在に地を走り、樹によじり、空を舞い、水中へ潜るが、そのネットワークには 個々のキャラクターを見ているだけではわからない、神々がモンタージュされることで生れ る新たな意味を発見できるだろう。
バボット古事記は集合や生成プロセスとして神話なのであり、その形態は神話美のコードに 従い、自由に、軽やかに、開かれた舞いを続ける。
高橋士郎の古事記は、過去に起こった出来事でも空想でもなく、時間と空間を超え、メディ アやテクノロジーを介して、今を呼吸する。それはまさにプネウマの芸術なのだ。その原色 と原型の存在が自然に躍る様は、意識されない形で私たちの中に入りこみ、宿り、息づき、 生き続けることになる。

(註)ダーシー・トムソン『成長と形態について』(1919)は以下の邦訳がある。ダー シー・トムソン『生物のかたち』(柳田友道訳 東大出版会)