フェルディナン・ド・ソシュール Ferdinand de Saussure, 1857-1913
論文「インド・ヨーロッパ語における原始的母音体系についての覚え書き」1878
エングラ「一般言語学講義」改訂版 1968
言語の構造は2つの恣意的な関係性の体系が、さらに恣意的に結びついている
言語の共時的な構造
言語の内的な構造
1)話者族の恣意による価値
各民族語は相互に異なる固有の世界像を持つ
言語相対論。人類普遍ではない分類体系。
人間がつくりあげた現実世界の、虹の色や雨の種類、風の種類などを、人間はしばしば言語話者族固有に区別する。
どのような差異を有意味なものと考え、どのような差異を無視するかについての、各言語話者族の自己固有の恣意的な選択。
その選択がその言語に固有の語体系を作り、
その語体系はまた逆に、その言語の話者族に、彼らの生きる現実世界を築いて与える。
英語のsheepとフランス語のmoutonは、意義が同じでも価値が異なる。
2)言語の音声面での恣意性
他方で人は、言語に用いる音についてもその区別は恣意的である。
例えば日本語では英語の「r」と「l」にあたる音の区別がなく、韓国語では英語の「p」と「b」にあたる音の区別がない。
(人類に共通普遍的・必然的とは言えない仕方で)
様々な形で分類できそうな多様な音を、有限な差異によって分類される有限数の音に、話者族は自己固有の仕方で区分けしている。
3)言葉と意味、あるいは表現と内容(シニフィアンとシニフィエ)の関係「シーニュ」は恣意的である
現実世界の認識の体系も、言葉を構成する音も、人間はそれら二つの体系を"分節"によって作りあげている。
2つの恣意的な体系も、恣意的に結びついている。
「米」として分節された特定の対象物が「こ・め」という特定の音と対応していることには必然性はない。
インド哲学との類似性
恣意性については「空」「縁起」などの概念で2000年前にはすでに知られていた
各言語がその話者族にとって自然であると感じられるとしても、人類的には非実体的な虚構であることを示したことは、分節化の前の生きた人間の様相への問いや、東洋的な離言真如評価との接点を切り開く。
恣意性を消し去る高度な技法が釈迦によって発見され、実践体系や生き様にまで高められた。
「空」の概念は原語のサンスクリットでは「シューニャ」と元々呼ばれている。
"恣意的な関係性"の概念「シーニュ」
「シーニュ」の概念が、言語に限らず様々な象徴や指標でも見出される
あるブランドに特定のイメージが関連づけられる仕方は、概ね恣意的なものであり、他の類似ブランドとの差異の体系を形成している。
映画や小説の作品を、作者の個人的な生い立ちや意図ではなく同時代の関連作品との"差異の体系"などとして読み解こうとする「間テクスト性の分析」もソシュールの提示した概念に負うところが大きい。