Auguste Renoir 1881

1876 ムーラン・ド・ラ・ギャレット


1880 船遊びの昼食

1872 岡山県浅口市河田谷五郎が外国人の帽子を手本に、麦わら帽子を作った 

カンカン帽 Canotierキャノチエ  Boaterボーターハット 麦稈帽 ストローハット  麦稈真田 

1903 新事業発見法 岩崎徂堂 1915 英国真田商習慣 [1915麦稈真田振興策]

英国真田商習慣  流行変遷と需要減少

本邦産麦稈真田の英国に於ける需要は近年減少せしも之れ専ら流行の変遷によるものにして亦已むを得ざる現象なり尤も本邦産麻真田の売行は婦人帽用麦稈真田に代り近年増加せり戦争永続するに従い英国の真田市場も多少の影響を受くべきが曩に伊太利が戦争に参加し同国製帽業も常調を保つに困難なるべきが故に本邦真田は英国市場に於て多少有利の機会を得たるものと云うべきが如し併しながら麻真田帽の流行は既に甚だ久しく一時は英国中流社会に頗る流行し比較的高価にて売行き英国の帽子業者も為めに相当の利潤を得しが其後麻真田帽流行は下流社会にも及ぶに至り中流婦人の麻真田帽に対する嗜好は漸次薄らぐに至り市場の需要亦旧年の如くならず英国製帽業者も帽子の流行を麻真田帽より他種のものに変遷せしめんと考慮する者もありとのことなり加うるに当地麻真田輸入商は曩に本品相場低落に乗じ買付をなし今や本品の在荷潤沢にして英国真田市況は当分捗々しからざるべし
注意すべき商習慣

茲に我当業者の注意すべきは従来の本邦真田は重に当地の輸入商の手によりて輸入せられ輸入商は之れを英国真田大市場たるルートンの仲継商に之れを販売し次に右仲継商は之れを製帽工場に売捌く商習慣にして即ち真田が製帽業者の手に渡る迄には輸入商と仲継商の手を経るなり然るに近来本邦に於ける真田商は往々此商習慣を履まず直接に英国仲継商又は製帽業者に直段表等を送り取引開始を企つるものあり斯くの如きは徒らに本品の相場を崩し市場を擾乱するの気勢を馴致するのみならず輸入商又は中継商の反感を招き且つ後に至り品質又は取引条件に付当事者間に紛議を生じ不満足の結果に終りし例に乏しからざる由なり惟うに本邦当業者は十分前記の関係を考慮せし上我真田の販路維持の為め慎重且着実に行動すべきものなり、左に最近三年間真田類の英国への輸入額国別表を掲げんに次の如し


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