多摩美術大学上野毛キャンパスの沿革  高橋士郎  →多摩美術大学の歴史
 

1909年 玉電開通
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1929年 大井町線 上野毛駅開業 
     運行車両1輛 20分間隔 駅舎新設

二子玉川風景 []

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震災特需の砂利舟

1935年 (赤印) 7月 上野毛の移転用地

「大日本観音会」玉川郷(宝山荘)
田健次郎男爵邸を購入
1935年 (緑印) 創設 10月 岡田茂吉

クリュッペルハイム東星学園
肢体不自由児施設
1939年 (青印) 設立 守屋東

1935年『多摩帝国美術学校』
上野毛敷地5200坪 借地料坪当り3銭5厘(吉祥寺敷地2500坪 借地料坪当り6銭)
1935年 校舎3棟を建設 今井兼次設計
    清水組施工 東横が建築費代払 
東横への頭金15000円調達
川畑文子ダンサーの父親より借入 5000円
酒井億尋荏原製作所より借入   3000円
牧野虎雄画を満鉄本社へ売買   3000円
牧野虎雄画を永見某へ売買    1000円
        残3000円は東横が猶予

1935年12月1日 開校大祝賀会
       多摩川の水光亭

1938年 台風により校舎3棟の屋根破損

その後
銀杏の苗木 600本 高円寺某氏の寄贈
欅と槐苗木 50本 東京都植樹会の寄贈
桐の苗木 60本 栃木県営林所より購入
つつじ 300株 埼玉県安行市から移植
「つつじの学校」と評判

→拡大写真

制服のネクタイ色 日本画:青 図案科:赤 西洋画:緑 彫刻科:黄

         


1941年 太平洋戦争が始まり
1944年 校舎は海軍技術研究所に接収

1945年 5月24日→焼夷弾ピンポイント爆撃 戦災地図
         
図案科1棟を残して上野毛校舎焼失
戦災によって焼失した上野毛校舎のなかで
唯一焼け残った図案科棟は、
老朽化していたとはいえ
美しさと伝統をうかがわせるには十分であった。

爆撃されなかった左側の白亜の校舎は
障害者福祉クリュッペルハイム東星学園

1947年の校舎貸し
多摩美術工芸株式会社
 河合俊作 学校工場
緑自動車工業株式会社
 吉田彦太郎 運送業 陸軍馬車

戦後の復興は、焼失した校舎の再建から始まる。
資金、資料、見通しのすべてが不足するなかで強行された
計画は本学建築科講師と数人の卒業生が手伝い完成した。


1946年多摩造型芸術専門学校 →溝の口で学校再開
1950年『多摩美術短期大学』 戦後の全面授業再開

1950年 木造校舎130坪2,000,000円
     竹中工務店 佐藤次夫 建設指揮
1952年 木造本館校舎280坪5,191,600円

1953年『多摩美術大学』 戦後の学制改革を契機に、本学は大学設置基準に基づく、大学建設を開始

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1957年の大井町線
資材不足と財政難の時代に復興された木造本館は、老朽化も早く被災の面影が暗く残されていた
戦後に復旧した木造校舎は、次々とコンクリート建築に建て替えられることとなった。
1954年 大学新設のシンボルとして、講堂鉄骨建550坪が真っ先に着手されたが、
     工事は遅々として進まず、講堂一棟の完成に五年を要した。
1955年 講堂設計図完成
1956年 上野毛校地5,267坪購入(5,2167坪)10,000,000円
1957年 木造校舎218坪6,55,100円 
1958年 講堂鉄骨建3階480坪71,633,000円 講堂鉄骨建417.96坪
1960年6月 本館コンクリート造4階824坪56,193,000円
 玄関モザイク大理石壁画


逸見学部長宅とテニスコート 戦前のオリジナル校舎 移動後の旧実技棟と移動後の旧本館  (コンクリート新本館屋上より高橋撮影1963)

南門付近 左は戦災を免れた今井兼次設計のオリジナル校舎 右側部分は戦後復旧した校舎(後に校庭西側に牽引移動)
今井兼次設計の校舎の思い出を後世に伝えるために、解体した梁材を再利用して八王子校舎に民俗資料館が1966年に建築された。
 

1965二子玉川駅工事
1962年 環状8号道路建設のためセットバック


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1962 現1号館完成 
    環状8号道路上の図書館の撤去
1964年 附属図書館鉄筋3階417.96坪59,791,140円
1964年9月 道路補償費受領151,400,000円
      騒音補償5000万訴訟
1966年3月 二子玉川高架駅完成
1966年、木造校舎二棟が除去され、L・R棟(現在の二号館)が完成。
この実習棟の完成で、上野毛キャンパスの建設計画は彫刻実技教室を除いて完。
以後、1974年に美術学部の八王子キャンパスへの移転が完了するまで、
大学院、美術学部の授業は全てこの上野毛キャンパスにおいて行われた
1966年 実習教室鉄筋4階1,300坪130,000,000円松井建設
1966年8月 前庭398坪削除東京都
1970年 全共闘運動により全校舎破損

1969 全共闘が本館占拠

1970 校舎復旧工事 松井建設 復旧資金(環八補償の定期貯金、宮崎台売却)
1974年 八王子へ全面移転完了

2016-12の状態

 
15年間の空白


1989年 美術学部 二部3学科新設 (1999年 募集停止)


1989年、わが国初の美術系夜間学部を開設  拡大写真
     上野毛キャンパスには、多数のマッキントッシュをはじめ、各種のコンピューター・ルーム、
     テレビ局級の高度な映像機器を装備した映像スタジオと編集・録音・素材変換室、
     500人収容の劇場と総鏡張りのダンス・スタジオ、AV教室をはじめ、
     写真スタジオ、多数の絵画アトリエと工作工房
1989年 3号館完成
1998.10.00 1号館改修 デザイン学科他
1998.10.00 本館改修 共通教育
1998.10.00 A棟改修 映像演劇学科
1998.10.00 B棟改修 映像演劇学科
1998.10.00 2号館改修 造形学科他
1999.05.00 1号館・本館・2号館改修
1999.05.00 上野毛校舎、本館及び1号館3階改修 法人本部
1999.05.00 上野毛校舎本館玄関ホール壁面改修


1999年 造形表現学部 設置 (2014年 募集停止)

2014年 美術学部 2学科新設 []


北門に移動保存された旧正門                     2014年 工事トラックがぶつかり破損
2015年 駒沢通りの拡張工事予定   3

1967に高橋士郎が林藤一郎と木工室前に植えた桐の樹 2018/4