平福百穂 本名:貞蔵 ひらふく ひゃくすい

 

1877年  父順蔵(穂庵)、母せつの四男として秋田県角館町横町に生
1890年  角館高等小学校を卒業。父から絵の基礎を学ぶ。父死去(46歳)
1891年 百穂と画号をつける
1897年 東京美術学校日本画科選科に入学
1899年 東京美術学校を卒業
1904年 太平洋画会研究所夜間部に通いデッサンを学ぶ。この頃より本の装丁をする
1907年 徳富蘇峰の「国民新聞社」に入社
1908年 桂月、鳥谷部春汀らと十和田を清遊する
1911年 羽仁もと子の「婦人之友」表紙画を描きはじめ、約20年間続ける

1914年  文展に「七面鳥」出品、三等賞
1915年 短歌の指導を斎藤茂吉から受ける
1917年 第11回文展に「豫譲(よじょう)」を出品、特選 名声いよいよ高まる
1918年 「百穂画集」を刊行
1919年  東京世田谷三宿(みしゅく)に画室を建て、「白田舎(はくでんしゃ)」と名付け塾生をおく
1923年  角館に中学校誘致の運動に中心となり奔走
1929年 帝国美術学校教授
1930年 ヨーロッパ巡遊後、帝国美術院会員
1930年 秋田蘭画の研究をまとめた「日本洋画の曙光」を刊行
1932年  東京美術学校教授に任命される
1933年  脳溢血 10月30日死去 享年56歳
角館町「平福百穂記念館」

 森鴎外


十和田湖

斎藤茂吉

徳富盧花