山脇 巌 旧姓:藤田

1898年 長崎県に生
1926年 東京美術学校 図案科第二部(建築科)卒業 横河工務所に入所
1930年、道子夫人とともにドイツのバウハウスに留学 (裏千家の茶人:山脇善五郎の娘)
1930-1932年ま 川喜田煉七郎の新建築工芸学院に在籍
1947年 「造型美術学園」学園長 5月
1947年 「日本大学」教授。芸術学部デザイン学科 設計事務所「生産工芸研究所」設立
1948年 「造型美術学園辞任 8月

学園長の山脇巌が、バウハウスの造形教育システムを導入しようとしていたため、
母校がデザイン学校のごとくなってしまうことに反発した旧・帝国美術学校の卒業生たち(校友会)が学園側と折衝して、
日本画と西洋画の講師と助手には旧・帝国美術学校の卒業生を採用させることを求めた結果、
卒業生たちの信望を担って、斎藤博之が助手に推薦された。
しかし、学園側と校友会との間で板挟みのような立場であることが負担になり 1948年の春、助手の職を辞。

1987年 逝去

茶室睡庵