矢崎博信

1914年 長野県諏訪郡永明村塚原(現茅野市)生

1935年 帝国美術学校在学中に有海千尋、小山田二郎らと「アニマ」を結成。「行動主義」を提唱したフランス文学者小松清によって命名

1936年 浅原清隆、井上愛也、今井康雄、富岡宏資、山鹿正純に矢﨑を加えた6名を同人とし「動向」を結成。
第1回東京報告絵画展を開催している。シュルレアリスムを社会派リアリスムに展開させた
「夜はそこに浮かぶ花や鳥ではない。花を咲かせ鳥を飛ばせる力として理解されよう。
人間は思い出の中に怨恨の歌を求めて夜の世界に下りて行った、花と鳥を我々に送る力はこの夜の深さの終わりを満たす怨恨性ではないか。」

1937年「街角の殺意」
帝国美術学校映画研究会発行の『T映』2号に「写真・映画に対する絵画位置の測定」と題しメディア論を展開している。

1936

1936

1944 没29歳 トラック島沖で戦没

2003年 東京国立近代美術館地平線の夢―昭和10年代の幻想絵画」展