可能性の学問としての芸術学
中沢 新一

 芸術は人間の心の中に潜んでいる、潜在的な可能性の領域から「なにものか」をつかみだしてきて、それに形をあたえて、現実の世界の中にしばらくのあいだ存在させておくことを可能にする、さまざまな技術のことを言います。現実の世界にはまだ出現していないもの、たとえ出現できたとしても芸術という形態をとらないかぎり、たちまちにして消え去っていってしまうもの、たえまなく流動していてとらえどころのないもの、人間の心のおおもとでありながら、そのためにかえって現実的な諸価値の世界では見えなくなってしまうもの、芸術はそうした「なにものか」に、現実の世界への通路をつくって、善いものや美しいものとして出現させようとしてきたのです。
 芸術学は芸術がおこなってきたそうした実践を探求することによって、人間の心の奥に隠されている、潜在的な可能性をさぐりだそうとする学問である、ということができます。その意味で芸術学は、まだこの世に生まれ出てきていないものを、相手にしていることになります。たとえ過去の芸術作品を相手にしているときでさえも、その作品を通路にして現実の世界にあらわれでようとしている「なにものか」をとらえようとしているのですから、芸術学はそこでも、いまだに未出現なもの、未来に属するものを探りあてようとしていることになります。
 なんと夢にみちた学問ではないでしょうか。いやいや、そもそも夢というものが、人の心の奥に潜んでいる無意識の語ることばそのものであるのですから、芸術や芸術学そのものが、夢と同じ構造をもっているとも言えるでしょう。夢は現実に触れると、たちまちに消え去ってしまいます。しかし重要な科学上の発見の多くは、夢見の中でなされています。科学者は目を覚ましてから、たったいま夢の中で見たことを、現実の世界に通用するような数学の式にあらわしてみせるだけでよかったのです。
 偉大な発見がなされるとき、あらゆるジャンルの学問が芸術と同じふるまいをする、と言っても過言ではないでしょう。
未知の領域から「なにものか」を取り出してくる行為として、すべてのジャンルの創造的行為は、芸術としての性格をしめします。芸術学は、その「芸術としての性格」というものを、もっとも純粋なかたちでとりだすことを目指してきた学問です。人間の可能性こそが、芸術学のいだく最大の関心事です。
 芸術学はこういう学問ですから、いま世の中でおこなわれているさまざまな学問の中でも、きわめて特異な性格を持っています。ほかの学問が「現実性」ということをいちばん重要な基準にすえているのにたいして、芸術学は「現実性」を超える「可能性」の領域を探求しようとしています。人間の潜在的な能力が、可能性のままにとどまっていないで、現実の中に出現して、そこにしばらくのあいだとどまっていられるようにするのが芸術ですから、その芸術をなりたたせている原理を探る芸術学は、いわば「持続可能な可能性」ということを、いちばんの主題にしているということになります。
 おおいに学ぶ価値のある学問だと思います。それにいまのように多くの学問が現実性や功利性の強い縛りのもとでおこなわれている時代にあっては、人間の可能性の領域を探る芸術学の存在意義は、きわめて大きいのではないでしょうか。そう
いうユニークな学問を学べる場所は、現在の日本の大学の中には、この多摩美などを除いてよそにはほとんどありません。
みなさんもひとつ挑戦してみてはいかがでしょうか。きっと一回限りの大切な人生で得をすることになると思います。