声明書 帝国美術学校を風光明媚の地多摩川沿線に移転せしめ、専門学校昇格運動へ邁進すべき学校当局の措置に対しては、 吾等生徒一同、双手をあげて賛成すべきところにして、いささかの躊躇をも必要とせざるものなるに一二教授の指導の下に短見不明なる一部生徒こてに反対を唱へ、説くに利をもって同志をさそひ入学間もなき下級生をも渦中にし、遂に盟休に入りたるは吾ら純粋なる生徒にとりて遺憾この上もなきことなり。 彼等は木下成太郎氏の空名を捏して吾らが最も信頼せる二十数名の教授講師を罷免せるがごときに対しても、いささかの矛盾、非道を感ぜざるほど彼等は正義に対して感激なく、その結果は、自称帝国美術学校なるものを杉並中学に開校するや、そこに登場を企てなせり。こと、ここにいたりては、吾等如何に旧友といへども、帝国美術学校の名の下に袂をつらね、吾等平素の念願たる芸術への道を共に歩みゆくことは到底忍びざるところなり。然るに、昭和十年九月六日、多摩帝国美術学校新たに多摩川沿線に遼遠なる理想を以て生まれ、吾等一同の敬愛する諸教授講師と共に、ここに学ばんとす。事により、理により、一時の感情により、盟休に参加せる旧友といへども、前非を悔ひ、明澄なる心境に立ちかへり、多摩帝国美術学校に来たらんとするものあらば、吾等旧来の友情により、よろこびて手をとり、共に勉学に只管ならんとす。さもなくして自らの不明を顧みず、反りて吾人をそしるがごときことあらんか、天に向ふて唾するごとく。その結果は思ひ半ばにすぐるものあらむ。 吾等多摩帝国美術学校生徒一同ここに、燃ゆるがごとき新興の意気を以て、芸術精進への道を求めるにあたり、広く吾人の意のあれところを示して、敢て江湖に声明す。 昭和十年九月十日 東京市世田ケ谷区多摩川上野毛町三二三 |