八王子キャンパスの設計
1)沿革
多摩ニュータウン計画地域は、東西14キロメートルにおよぶ細長い地域である。八王子キャンパスはその最西部に位置する。1960年、本学は上野毛キャンパスの校地面積を充足するために、八王子校地(現在の八王子キャンパス)を購入して運動場を建設した。
1968年、文化人類学の権威として国際的に著名な石田英一郎博士が第2代学長に就任した。石田学長は学長就任と同時に本格的な大学改革案の作成に着手した。広く学内に意見を求めて、21世紀に向けて新たなる時代に対応しうる美術大学とはいかなる理念、学科構成、カリキュラムが望ましい姿かを検討した結果、八王子キャンパス移転に関してのヴィジョンを発表した。この宣言は、通称「石田ビジョン」として全学生および教職員の支持を得て、1969年、多摩ニュータウンの建設が東部地域から順次開始されたのと時期を同じくして、現在の八王子キャンパスへの移転計画が開始された。
1971年に新設の建築科の新入生を含む1年次生の授業が八王子キャンパスで行われ、1974年に美術学部の移転が完了した。さらに、すでに設置認可を受けていた芸術学科が、内藤頼博第4代学長の時代の1981年に開講し、石田ビジョンは一応の完成をみた。
そして1994年と1997年に、長年教職員および学生が待望していた校地の拡張が実現し、大規模なキャンパス建設計画が再開した。
八王子キャンパスは、ニュータウンの中にあり、多摩ニュータウン西部地区の整備が、東京都によって漸次進められてきが、西側隣接地3.5ヘクタールの購入が1994年に実現しました。
多摩ニュータウン事業の遅れにより停滞していた絵画棟・彫刻工房群・工芸工房群・デザイン棟・多目的ホールなど新校舎の建築工事が一挙再開されました。
1997年春に絵画棟、彫刻工房の1部、学生クラブハウスが落成したことにより、大学院のほとんどが八王子キャンパスに移転した。石田ビジョンの初期のプランに、学部の専門課程と大学院をつなぎ、教育・研究内容を充実する計画があったが、これが遂に実現に向け動き出したことになる。
1998年春には、八王子キャンパスで最も大きな建物となるデザイン棟や、彫刻工房、工芸棟が完成する。それに続きテキスタイル棟、多目的ホール、食堂棟、センター棟などが順次建設されていくとともに、校地もさらに拡張され、2003年にはすべての建設計画が完了する予定である。
これらのことにより、大学教育充実への見通しが立ち、改組転換および情報デザイン学科の新設の計画が現実的なものとなった。さらに国際交流を図るための施設や、公開講座、美術展、ワークショップなど市民への美術施設の開放が提案されている。また、多摩丘陵の緑豊かな環境の再生を、校舎の建設とともに進めていくことも忘れてはならない。
今後、多摩ニュータウンの最西部は、本学を中心とする美術・教育・文化産業の地域として発展するものと予想される。そのために本学は、大学教育研究のソフトとハードの融合をテーマに、美術学生のための創作研究の環境づくりと、大学の社会的使命の実現を目指していく。
2000年に完成予定のメディアセンターは、附属図書館や附属美術館と一体となって、21世紀の美術情報を発信します。
2)基本計画
丘陵地形
この丘陵のアップダウンを一大特徴として新しい大学キャンパスを発展、展開することがキャンパス計画のひとつの課題でしょう。
高さに変化のあることは建築群を躍動させる可能性を含むものです。
段を登り、振り返った時の新しい驚き、なだらかな坂をおりる時の快感、いろいろな高さにできる自然な溜り場、教員と学生との語り合い、学生たちの談笑…この欠点とされてきた坂を素晴らしいキャンパスに変える時が来たと思います。
ゾーンについて
美術大学の大きな特徴は、学生・教職員が美術の知識に接し、作品を鑑賞し、創作活動を行い、美術の雰囲気にひたることでしょう。
そういった理由から八王子キャンパスの整備には実習スペースの充実をまず掲げています。
学生の創作作業の形態や取り扱う素材によって、建物の床や空間のあり方に違いが生じます。
従って、作業形態や素材を検討して、7つのゾーンで構成しました。
ゾーン相互間の関係や、実技で共同利用が出来る施設、公開講座等の施設あるいはハイテクが必要な施設は、省エネルギーや利用者の流れを考慮して、センター化を図りながら総合的に位置を設定しました。大学として必要な施設、社会が要請している国際化や情報化等の施設はセンターゾーンに含めています。
スポーツ、クラブゾーン、あるいはコミュニケーションゾーンは、健康や交流のために重要な、4年間の学生の活動ゾーンです。
また、省エネルギーを考慮し、全体的には郊外キャンパスの利点を生かして、豊かな、太陽・土・緑・水・風・地形・眺望等、自然を出来るだけ生かすことを大きな柱としました。
広場・コミュニケーション
学生・教職員のコミュニケーションは、本計画の重要なテーマです。
通学路、坂道、森の中、散策路その他の各所に広場プラザ、ポケットパーク等を設け、それらが連続しながら変化があるネットワークを構成するよう計画しています。
大中小の広場には、いずれ学生がニックネームをつけるでしょう。
エントランスプラザ、アカデミック広場、絵画、彫刻、デザイン、造形のプラザ、出会い、情報、ハイテクアート、あるいはイベント広場など。
それぞれの施設の性格からも、自然の広場、石、木、砂、あるいは花、水の広場等があり、またそれぞれの空間には、ベンチ、東屋、藤棚、テント、火のコーナー、小屋、オブジェ、屋外の彫刻、ポスター、絵画、模型等が展示できるBOXギャラリーの装置など、素材、形態、色彩の構成の演出の場ともなります。
ギャラリ
学内に新築するいくつかの主要な実習棟には、展示ギャラリーを設けます。
展示の企画は棟ごとに考えるか、あるいは学内全体で考えることになるでしょうが、屋外の展示利用を含めて、生き生きとした自由な発表、批評と鑑賞、コミュニケーションが期待されます。
緑の再生・景観の形成
建築を創ることによって自然を再生させねばなりません。
建築は必然性と有機性とが相伴って創造されてこそ初めて自然の再生につながるのです。
多摩美大を公園のような雰囲気にはしたくありません。芝生が綺麗に手入れされ、四季の花が咲き乱れるような空間は多摩美には似つかわないものでしょう。
多摩丘陵の雑木林の中にある、落ち葉の気にならない、キャンパス。落ち葉を踏む音を楽しみ、風で自然にできる落ち葉の溜り場。
自然林は本館北側の傾斜地の雑木林や竹林が残されている。
このほか八王子キャンパス開設時に植樹したグラウンドに沿った桜と銀杏並木、北からのアプローチ両側の並木、本館南側の林、校庭南方の小さいくぬぎ林があります。
これらの樹木の、支障がない限りの保存は図る。
東京都より隣接地割譲の条件である敷地南側から西側にある広域緑道「武蔵野の道」(歩行者専用)に沿って、この間幅6mは緑化の必要があります。
南多摩特有の地形から法面が多い、法面緑化を行います。
多摩丘陵の西に位置する本学は従来より小高い丘の上からの四方、四季の緑、紅葉などをのぞむ開放的眺望と豊かな自然環境を享受してきました。
近年の周辺開発の変化の中にあって、生かすことが可能なものは生かしながら、創造の場としての景観を学内に創りだすことが望まれます。
周辺の変貌を考え合わせて、大学キャンパスこそ、豊かに緑溢れ四季の変化を感じとれる自然環境を作り出す努力が必要です。
周辺環境の変化
八王子キャンパスの周辺は、都市計画図を読み取りますと、現状から大分変化が予想されます。
南側、都道広域緑道(平常時歩行者専用)通称「むさしのの道」がキャンパスの境となり、その道の南側、八王子・町田市境の間にある都有地はほぼ緑地として保存されるようです。町田市域は区画整理組合を設置してキャンパスの南に東西に長く連なっている山はほとんど全てカットし、公益施設用地などとして開発を考えているようで、八王子キャンパスから橋本の市街は一望出来るようになり、駅より1.7kmで本学南門に達します。
北側、柚木街道は上下2車線ずつのニュータウンの幹線道路として整備がほぼ完了しましたが、計画図によると国道16号のT字型は十字型に整備され、さらに西方へ伸び、この道路沿いに東京造形大学があり、多摩ニュータウンの西方に新たに造成中の八王子南部ニュータウンの幹線道路につながるようです。この道路の北側は、現在は森で桜並木もあり、大学入口前までは緑の極めて豊かな景観を保っています。この緑の奥行きは深く、キャンパス本館から北方の眺望を豊かなものにしていますが、市街化調整区域の指定がされているためでしょう。
東側は現在は土の裸の山ですが、公益施設用地と集合住宅地に造成がされています。東の方をみるとこの集合住宅地に高層住棟が建ち並び、少しずつ西へ近づいています。八王子キャンパス周辺もほぼこれらに似た集合住宅群がよく見られる都市的景観に変化することになるでしょう。
3)絵画棟の設計
八王子キャンパス計画の先陣をきって、絵画棟が落成しました。日本画、油画、版画が、この絵画棟を新たな創造の場として。絵画棟に溢れる若者の活気、アプローチしてゆく学生諸君のはずんだ足どり。荒れ果てた多摩丘陵の一角が、新しい建築と共にいぶき始めたのです。高低差の激しい敷地の欠点を、長所にそして八王子キャンパスの特徴に変化させ得たことの充実感。
Symmetry with un-symmetry
というテ−マが生まれました。現代建築の設計に於て、このような建築美学の一要素をテーマにすることを、建築設計とは、テーマの明確なることゝあいまって、その滲透度が建築の純粋性を左右するものであると信じています。何故こう云う平面となり、立体となっていったかを明確に答えるには、余りにも超表現的なことであり、
建築が「完成する」ということは、終わるのではなく、始まるのです。社会的使命をおびた建築が世に出ることです。この建築のもつ機能が、使われることにより、生命体として活き続けるのです。
ランドスケープ計画: 私達が使い慣れているメイン道路から、新しい絵画棟の敷地面迄、約12mの高低差があります。八王子キャンパスの中で唯一残った北斜面の雑木林と、建物と道路とを一体化することを最重点としました。前庭は雑木林が傾斜地なりにだらだらと続き、その中を数段上っては踊場、又数段上って踊り場という、恰も川の流れのよどみのように踊場を作ってゆくという考え方です。
以前木彫室附近にあった大きな銀杏や松の木も、きっと根づいてくれることでしょう。欅、松、くぬぎ等を中心とした多摩丘陵の復活を夢みて、高い木と低い木とを無造作に配置しました。思い出深い、しだれ桜も中段に左右に配しました。数年経って、これらがなじみ、新しい建築と外部空間が融合する時、自然は再生し得るでしょう。
建築設備計画: 設計当初から、通風、自然喚気ということが最優先された平面計画です。片側廊下、中庭、そして雑木林との1体化。この豊かさが絵画棟平面計画の特色です。冷房は研究室のみに絞りました。暖房は完備しています。特に日本画科と展示室は床暖房を設けました。エネルギーの節約にも配慮し、雨水を便所排水、降雪時の流水等に有効利用出来るようにしてあります。又従来からある貴重な井戸は、本格的に整備し、将来に悔を残さぬように致しました。
4)彫刻工房群/工芸工房群の設計
木彫、石彫棟が既に活発に活動して居りますが、理念の統一を守りつつ、複雑な機能をもつ、夫々の工房を、独立性と連帯性の両立という、むづかしいテーマを、まとめたものです。単調になりがちな工房群を見事に構成した、美術学校らしい空間です。引き続き、テキスタイル棟も同じ理念で構成された。こう云う空間の中に、創造の場を持てる学生は幸であり、飛躍的教育効果があらわれる日の近いことを願っています。木彫、石彫の工房がすでに完成し、大きな空間の中で学生が明るくのびのびと制作している姿は感動的です。このような工房群が次々に建ってゆくと思うと、八王子キャンパスの広さをあらためて実感するものです。
5)デザイン棟の設計
総面積12,248uで当キャンパスの中で最も大きな建物となります。デザイン系各科の交流を深める目的から、1、2階を吹抜いた大きな展示ホールを中心とした機能的な建築です。
工作工房を別棟に持ち、実習を兼ねたデザイン教育を重視しています。Flexibility
と Simplicity
をデザイン・テーマとしてまとめられた建築です。八王子キャンパスの1つのシンボルである銀杏・桜並木に平行に配置され、学生広場を前面に、学生クラブ棟、グランドを背面にもつ、文字通りキャンパスの中心で、シンボル的建築となることでしょう。平成10年4月の新学期にはデザイン教育の中心となって、スタートしました。
6)広場の設計
絵画棟前のアプローチの考え方が、八王子キャンパスの全般に拡がってゆくと思います。
設計当初はもっと道を狭く、曲がりくねって自然の“けもの道”のようにすべきとの案もありましたが、学生の数
・イベント・入試その他大学のキャンパスとしての広さ・明るさを考慮して、現在のようになりました。
将来、新しい正門(東側につく予定)から本館・メデイアセンター等を含んだ計画では、学生の動線は大きく変わると思います。
中央プラザも当初は、車を一切入れない広場を理想としましたが、土地購入時期のずれから現状のように、車が入るようになりました。一般文化系大学と違って、材料の搬出入という事でやむを得ないが、将来東側に巡回道路が
出来ることによって、車の流れは変わることでしょう。
もっともっと雑木が増えて、多摩丘陵の姿によみがえることを願っています。高低差のあることを、一大特徴とするキャンパスは、必ず成功することを確信します。
7)メディアセンタなどの設計
現在建築中のメデイアセンターは、2000年秋には完成します。五層の建物ですが、三つのフロアから出入り可能な
建物です。
メデイアセンターに続いて、階段教室群もセンター2期として考えています。将来、この二つのセンタが多摩美術大学の特徴あるユニークな活動の中心となってゆくことでしょう。
将来計画である事務本館も単なる事務棟ではなく、大学と社会とを結ぶ活動拠点として、多摩美術大学のシンボルとなってゆかねばならず、またその活動にふさわしい充実したものでなくてはならないと思っています。
(八王子キャンパス設計室長 毛利武信)