多摩美術大学附属美術館

 

 

1)多摩センタ地区への移転について

美術館は、2000年4月からは、八王子キャンパスをはなれて、多摩センター駅前に移転します。
1999.11.24 新聞掲載[多摩センター駅そばに美術館]毎日新聞多摩版。1990年に建築した「東京国際美術館」を現在、「多摩美術大学美術館」として改装工事中です。延べ床面積約2674平方メートル5階建て。本学が所有している世界の古美術品、絵画、写真などの収蔵品数百点を定期的に入れ替えて常設展示するほか、年に数回の企画展を開く予定。学生の教育の場にするだけでなく、幼児から高齢者までを対象にした絵画講座や講演会など、生涯学習に重点を置き、地域に開かれた美術館を目指す。

 

2)活動記録

1997.03.20 企画展「レギーナ・シュメーケン展−閉ざされた社会 フォトグラフ 1989−1993−」ドイツの女性写真家レギーナ・シュメーケンによる、東西ドイツの崩壊と社会の変化を鋭くとらえたモノクロ写真シリーズ約40点による国際巡回展。協力 東京ドイツ文化センター/全日空。後援 ミュンヘン市文化部/ジーメンス・カルチャー・プログラム
1997.03.20 公開講座「アーティストトーク+ミニ演奏会」浦川宜也氏
1997.05.07 退職記念展「吹田文明展-多摩美術大学退職記念」版画科客員教授の吹田文明氏の初期の木版画作品から近作まで約60点を展示した。
1997.06.16 企画展「ヨゼフ・アルベルス−FORMULATION ARTICULATION−」平成7年度に購入したヨゼフ・アルベルス(Josef Albers 1888−1976)の晩年のシルクスクリーン版作品集「FORMULATION ARTI-CULATION」(1972年)全127点を、彼のバウハウス時代から晩年における色彩視覚理論の実践の提示として、多角的に解説、展示した。
1997.06.16 講演「ヨゼフ・アルベルス」草深幸司
1997.09.16 企画展「菅創吉展」立体と平面に日本的意識を表現し続けた孤高のアーティスト菅創吉(1905−1982)の全期にわたる作品によって、意識の変化を回顧した。油彩、デッサン等平面約70点、立体50点を展示した。
1997.09.16 講演「菅創吉」米倉守
1997.09.16 図録発行「菅創吉展」米倉守/巡回、展示替
1998.04.06 企画展「多摩美術大学校友会展」多摩美術大学校友会が企画主催。多摩美術大学卒業生による、学生当時と現在の絵画作品を同時に展示
1998.04.27 企画展「山辺知行コレクション−中南米の染織」名誉館長、山辺知行による、世界的な染織コレクションの中から、中南米を中心に様々な染織資料と作品を展示した。協力 遠山記念館
1998.04.27 講演会「中南米の染織」山辺知行
1998.04.27 図録発行「山辺知行コレクション−中南米の染織」山辺寛史
1998.06.03 退職記念展「浅井昭展-多摩美術大学退職記念」油画科助教授の浅井昭の絵画作品を展示
1998.06.20 企画展「収蔵品展」オープンキャンパス。美術館の紹介をかねて、収蔵品の中から、版画作品を中心に、ジョルジォ・ルオー、ベン・シャーン、深沢幸雄作品など、約60点を展示
1998.09.16 企画展「李朝生活画展」朝鮮半島に古来より制作され流通していた、李朝生活画の世界を展示する。
1998.09.16 講演会「李朝生活画」李禹煥
1998.09.16 図録発行「李朝生活画展」李禹煥/巡回
1998.10月20 企画展「第2回東京国際ミニプリント・トリエンナーレ」ミニサイズの版画作品による、国際公募展
1998.10.20 図録発行「第2回東京国際ミニプリント・トリエンナーレ」
1999.06.02 退職記念展「田中稔之-多摩美術大学退職記念展」油画科教授の田中稔之の絵画作品を展示
1998.00.00 新聞掲載[多摩美大客員教授田中稔之]東京新聞。キャンパス東西南北、画風変遷問う集大成、退職記念展「円、円環、曲線の軌跡」
1999.09.16 企画展「甦る古代の装い-古代服飾考証の世界」古代の服飾研究の第一人者である、小堀栄寿氏による、1/4スケールの古代東洋の服飾文化を忠実に再現した模型作品のインスタレーション等を展示した。
1999.10.14 新聞掲載[あでやか 古代の装い]毎日新聞・研究家・小堀さん30年がかりで復元、日本、中国などの130点展示
1999.07.05 企画展「収蔵品展」オープンキャンパス

 

3)沿革

1964年(昭和39年) 大学院修士課程設置に伴う教育施設拡充の一つとして図書館棟の3階(約300u)に美術参考資料館の名称で併設される。当時の故村田晴彦理事長の「芸術を志す場での眼の訓練のためには当然のことながら本物の美術品がなければいけない」という考え方によって、エジプト・西アジア・ギリシア・ローマ・中国・韓国・東南アジア・北中南米・日本などの古美術がコレクションされた。
1971年(昭和46年) キャンパスが現在地(八王子市鑓水2−1723)に移転。
1981年(昭和56年) 博物館法に基づく博物館相当施設の認可申請をする。
1982年(昭和57年) 1月7日付で上記申請が認可される。
1982年(昭和57年) 4月に芸術学科開講する。学芸員資格認定指定校となる。
1982年(昭和57年) 4月25日より美術参考資料館の一般公開を始める。
1984年(昭和59年) 最初の企画展として、関野準一郎コレクションによる「明治・大正・昭和の版画の歩み展」を開催する。
1985年(昭和60年) 芸術学科学生を対象に博物館実習を始める。
1994年(平成6年) 名称を多摩美術大学附属美術館に改める。

 

4)企画展について

  博物館相当施設の認可を受けて一般公開を始めた当初の2年間を省みると、古美術の常設展示だけでは学生の期待に対応出来なかった時期であった。3年目に入ったその年の秋に最初の企画展の開催にこぎつけることが出来た。美術大学の内側から発信してゆく試みをかたちにしたのが企画展であった。社会に流布している芸術意識と美大生の意識には隔たりがあり、その隙間を少しでも埋めることが出来れば、それはそのまま美大生の社会参加に繋がるのではないかという意識が生まれた。既成の評価や美意識によって構成された美術展は一面的な情報提供になりかねない。過去と現在の美術に再発見と新発見の準備をすることにより、社会の中に融け込む文化を組み替えることによって、その密度を高くすることが出来る可能性があり、様々な内容の美術が流布することが、若い人々と社会を活性化させ、新しい芸術を生み出し、そのまま社会に吸収させることに繋がる。
  企画展の鑑賞を深める一助となるために、関連事業として講演会・ワークショップ・関連資料の展示・映像上映等を行うことにより鑑賞者と作品との結びつきを多様なものにした。経費の関係で図録発行が難しい場合は簡易なかたちのリーフレットか解説の作成になる。講演会は展示期間のなるべく早期に行い、その様子を会期中会場でビデオにて上映している。大学附属図書館の協力により展覧会の関連図書を併せて展示し利用者に供している。
  多様な企画展を行うことによって、多くの学生がキャンパスライフの中で日常的に美術館を訪れるようになってきた。また近隣を始めとする外部からの来館者の中には他大学の学生も多く、内外共通のアート体験ゾーンとしての役割を担っている。一般来館者の増加及び外部からの様々な問い合わせの増加は「美術大学の美術館」への期待の表われであり、美大生のアート・ゾーンはそのまま社会のアート・ゾーンとして機能することの証明であると受け止めている。今後の課題としては、インターネット・データベース等の情報機材の整備、生涯学習への対応、ワークショップ等の参加型企画の充実、専門能力を持つ多様な人材を確保するためのボランティア及び友の会制度の導入等を積極的に考えてゆきたい。
試行錯誤の18年間で得た経験を今後の新美術館運営の中で充分に活かし、訪れる人により密着するアート・ゾーンを目指します。
  美術参考資料館として上野毛キャンパスに設置された時から35年以上経っているが、上野毛時代は学内施設であり、また公開日数も少なく、更には学生運動の影響で建物が損傷したため長期閉館するなど、充分に機能していたとは考えにくい。
  八王子市にキャンパスが移り博物館相当施設の認可により一般公開を始めた1982年以降は試行錯誤の18年間ではあった。学内施設としての美術館は基本的に教育研究機関の姿をもち、その姿をそのまま一般の来館者にも解放するという点で、いわゆる一般の美術館とは異なる。美術大学に学ぶ者にとって美術館は、キャンパス・ライフのなかで日常的に美術作品に触れることにより感性を磨く場となる。美術史の知識を確認し素材を研究し模写をする。これらの行為は学生にとって必要な研究であり、「見ること」を繰り返すことによって学習は促進される。この視的研究の場が身近であることは、芸術を志す学生にとって図書館と同じように必要なのである。
  展示内容に広く多様性を持たせることも美術館に与えられた課題である。将来様々な形で美術に関わってゆく若い人々には豊富な視覚体験が必要である。そのためには展示内容の多様化が大きな問題となる。この点について美術館内部では多くの議論がなされた。当初は東西の古美術による常設展を基本に考えていたが、古美術のみの展示では必ずしも若い人々に歓迎されるとは限らない。展示内容と学生の関心が思うように重ならず、時間の経過と共に入館者は減り続けた。実際に作品を制作する立場の学生には現代美術の動向や美術史ではあまり論じられなかった部分、例えばコンピューター等を媒体にしたテクノロジー・アート、「舞踏」やパフォーマンス等の身体表現、インスタレーション、ネイティブの美術というように、東西の美術史以外にも広く関心を持っている場合が少なくない。映像情報関連機材の急速な発達、洋書・洋雑誌の普及、さらに何よりも海外旅行の普及は生きた総合情報源として特筆される。地域・年代・ジャンルによって整然と分類された様式史を中心とした美術史学の発達に重なるように美術館の歩みもあったことを考えれば、美術史学の研究対象になり難い美術が眼に触れる機会は必然的に少なくならざるを得なかった。学生の多くは自己の置かれている現状を示す仕事、現代の美術史学の枠を超えた美術史全般に興味を持っている。当館では学生のこのような傾向に眼を向け、企画展の重視によって展示の多様化を試みることになった。

(美術館 事務室長 仙仁司)