本学の沿革
昭和5年に開設された帝国美術学校は、開設5年後に、現在の多摩美術大学と武蔵野美術大学の前身である2校に分裂し、多摩美術大学の前身である多摩帝国美術学校は、昭和10年に東京都世田谷区上野毛に開設された。
1)美術学部の設置
昭和28年には当初からの美術教育の伝統を継承して、造形芸術全般について広く高度な学理技能を教育研究するために、多摩美術大学美術学部が設置された。一方、武蔵野美術学校は昭和37年に武蔵野美術大学造形学部となった。
美術学部は社会の要請に応え、国際社会に対応する幅広い教養を身につけた人格の形成を図り、現代社会に貢献する優れた芸術家、デザイナー、教育研究者および美術館学芸員等の育成のために、教育研究内容の充実と高度化を図ってきた。
美術学部の概要
本学の教育が、美術大学の性格上、来るべき社会の現実に対応する専門的な技能の修得と訓練に重きを置くことは言うまでもない。しかし芸術の創作は、人間を忘れ学理を離れた、単なる職能人にとどまることによっては達成されないものである。ここに本学理念として、懇切な実技指導に加えて、次の二つの特徴が挙げられる。
第一に、学理の尊重は創立以来の本学の伝統である。共通教育ならびに専門教育の両者にわたり、美術に関連した人間と文化の諸問題について、広い基礎的教養を育成し、学理を中心とした専門教育の推進に努めている。
第二に、人間の主体性の確立と創造性の開発とは、美術教育に不可欠の条件をして、特に重視するところである。教養・学理・実技にわたる教育は、同時に豊かな心情と自由な創意と批判的な精神に貫かれた芸術的個性の形成をめざしている。
以上の理念の実現も、実技の完全な指導も、ともに本学の少数教育主義によって可能となる。本学はいわゆるマンモス大学ではない。したがって、近年のマスプロ教育にともなう各種の弊害を知らない。カリキュラムは少数の学生を単位に編成され、特にゼミナールを強化して、人間的接触による指導の徹底を期している。
現在、美術学部は、美術にかかわる分野を網羅する8学科より構成され、学生はそれぞれの学科専攻に所属する。その他に、学部に共通する共通教育科目がある。
2)大学院の設置
昭和39年本学は、教育研究の高度化に対応するため、わが国初めての美術系大学院美術研究科修士課程を開設した。この大学院美術研究科は、絵画・彫刻・デザインの各分野における、芸術創作に関する専門的な研究と、体系的な教育研究を行い、高度な知識と技能を備えた人材を育成している。大学院の修了生は1,283名に及び、社会のさまざまな分野で活躍している。
さらに、平成7年には、社会人再教育の要請に応えて、社会人の教育機関としての高度な美術教育を行うことを目的に、昼夜開講制を導入した。
また、平成10年には、芸術学専攻を独立して設置した。
平成10年度の大学院美術研究科に在籍する外国人留学生の総数は19名(他に研究生12名、学部生20名)であり、留学生の多くは帰国後の各国において、美術教育の指導的な役割を担っている。
大学院美術研究科の概要
大学院生は、美術やデザインについての知識と技能をさらに深め、豊かにして、より高度の作品に結晶させることを目指し、創造活動の源である自由な創意の表現と独自の能力の開発に全力を傾けて、独立の道を進むこととなる。
しかし、芸術活動がもともと開かれた場で行われるさまざまな文化活動の一環としての役割を担っている限り、現今の科学技術の著しい発展による社会状況の急激な変化の影響を多かれ少なかれ受けざるをえない。
アーティストもデザイナーも、単なるスペシャリストとしてこれまでの個々分立した狭い視野のなかにのみ閉じ込もっていることは許されず、むしろ進んで自分の境界を超えて、他の芸術ジャンルとの相互連関と交流に、開かれた場を求める必要に迫られる。
新しい世紀へ向けての芸術活動は、芸術作品の創出のみならず、自己を取り巻く芸術世界の革新をも同時に視野に入れることによって、初めて自己の作品に未来的な芸術性とグローバルな学際性や国際性を付与する、開かれた作品の制作に向かうことになる。
開かれた場の理想をより具体化し、より充実化するために、大学院は毎年多くの外国人院生を受け入れて美術の国際交流の機会の多様化を図っており、また1995年以降、昼夜開講の教育制度を採用し、働く人たちを含む社会人の美術志望に幅広く応える体制を整えている。
3)美術学部二部の設置
平成元年本学は、わが国では初めて、夜間に美術教育を行う美術学部二部を東京都世田谷区の上野毛校舎に開設した。この美術学部二部は、美術・デザイン・演劇・映像など、ますます分野を越えて影響し合う芸術文化情報の総合化と高度化に対応し、企業に就業している勤労者の再教育への要請や、生涯教育の機会を求める社会人の要請に応え、勤務地と居住地を結ぶ交通の便利性を発揮し、開設初年度から広い年齢層の学生を受け入れてきた。現在でも、美術芸術系大学の夜間学部は、この美術学部二部がわが国唯一である。
美術学部二部の卒業生総数は1075名におよび、その内、社会人特別選抜試験により入学した社会人の割合は約2割である。社会人特別選抜の出願資格は、学校教育法施行規則第69条に定める者でかつ、現に定職を有し入学後も就職しながら勉学することができる者、または入学時に満年齢が23歳以上の者としている。
美術学部二部における教育研究については、美術学部との密接な連携を前提として高度なスタジオ機器や最新のコンピュータ教育機材などの整備により、充実した教育環境のもとで多大な教育成果をあげている。その教育方法と施設設備は、地方自治体や関連する産業界からも注目されており、コンピュータ関連企業との産学共同研究をはじめ、コンピュータグラフィック講座やパソコン教室などの地域における社会教育にも貢献している。
本学は、今後とも、美術教育の一貫として、美術分野における社会人教育の要請に応えるとともに、我が国の芸術文化の発展に寄与しなければならない。
4)美術学部デザイン系学科の改組
本学のデザイン教育は、開学以来、印刷複製技術・大量生産技術・高度情報技術などの先端的な工学領域とデザインとを融合する実践的な教育を展開し、高度な知識と専門技術、創造性を備えた人材の育成に努めてきた。しかし、近年の産業界におけるデザイン活動の多様化とコンピュータ通信技術の発達により、デザイン領域に包含される活動内容は多岐にわるようになり、その多様性に対応して、デザインの教育研究領域も広がったことから、専門分野における教育研究体制の改革と整備充実が必要となった。
本学は、このようなデザイン分野における社会的要請に応えるべく、既設のデザイン科を基礎としつつ、建築科を発展的に廃止し、従来の建築科の発展充実を図る環境デザイン学科、プロダクトデザインとテキスタイルデザインの総合的な教育研究を行う生産デザイン学科、クラフトデザイン分野の教育研究の充実を図る工芸学科を新たに設置することとした。
また、情報工学の発展により、デザインの諸問題と表現を扱う方法が新たな展開を必要としていることから、情報デザイン学科を設置することとした。
平成9年4月美術学部のデザイン系学科改組を申請し、平成10年4月に新4学科が開設された。
5)造形表現学部の設置
本来、美術学部二部の教育課程は、美術学部の教育課程と表裏一体を成していたが、美術教育における専門分野の充実及び社会的要請への対応を踏まえて、美術学部のデザイン系学科の改組転換を計画したことから、これまでの美術学部と美術学部二部との教育内容の整合性が崩れることとなり、美術学部二部の教育内容を見直す必要性が生じてきた。美術学部二部においても、社会の動向に適切かつ迅速に対応できるよう、夜間における教育の在り方を積極的に見直し、既設の範囲内での改組転換の必要性が生じた。
美術学部のデザイン系学科の改組が、デザインの教育研究領域が広がったことによる専門教育研究体制の改革と整備充実であることをうけて、美術学部との密接な連携を前提とし、対象学問分野の同一性に留意しつつ、産業界における技術革新の早期化に伴う美術領域の専門の知識や技術の陳腐化が早まっていることへの対応として美術学部二部のこれまでの教育研究の実績を踏まえて、発展的な改組転換による、美術創作活動を中心とした表現領域を主な教育研究の対象とした、造形表現学部の設置認可を申請し、平成10年に開設された。
造形表現学部の概要
美術学部二部のこれまでの教育の実績を踏まえ、新しいコミュニケーション表現の可能性を切り開くために、造形・デザイン・映像・身体・空間演出などの分野における動的なコミュニケーションの表現領域を主な教育研究の対象として設置された。美を創造する総合的な造形力もつ個性的なで独創的な作家精神の旺盛な人材、コミュニケーションデザイナー、パフォーミングアーツ身体表現者などを育成する。まら、広い年齢層の人々への教育の提供が大学の重要な責務であるとし、社会人教育を充実している。
都心にある上野毛キャンパスの立地条件と、昼夜間使用できる専用のアトリエや最新映像スタジオ機器、高度なコンピュータ教育機器、産学共同研究の施設を活用して、美術系大学ではじめて実施されたコンピュータによるデザイン教育をはじめとする斬新な教育方法と施設は、関連産業界や地方自治体からも高い評価を得、美術教育の発展に大きな影響を与え、また産学共同研究や公開講座の実施など、広く社会に貢献している。
造形表現学部は、学生が所属する3学科と、学部に共通する授業を開講する共通教育科目で構成されており、大学院(昼夜開講)への進学も用意されている。
6)改組以外の学科名称の変更について
既設のデザイン科については、伝統的なグラフィックデザインの教育研究を継承し、その目的を明確にするために、グラフィックデザイン学科に名称を変更した。また、絵画科、彫刻科はそれぞれ絵画学科、彫刻学科に名称を変更した。
7)自己点検活動
本学の学則第1条2項に「本学は、その教育・創作・研究水準の向上を図り、本学の目的及び文化的・社会的使命を達成するため、教育・創作・研究活動等の状況について自ら点検及び評価を行い、その結果に基づいて改善・充実に努める」と定めている。
平成4年度の第1回評議委員会および第1回教授会における藤谷宣人理事長の政策声明をうけて、同6月9日に第一回教育充実検討委員会(委員長は後藤絹士学長)が開催された。同時に広報誌6月号で自己点検の必要性と大学改革についての特集記事を出版した。同委員会の中に自己点検評価検討部会(部会長は奥野健男学部長、委員は鶴見、市川、竹田、竹内、高橋、渡辺、田淵)を設け、大学の運営・教育課程・教育研究活動・教育環境・管理運営などに関する全般的な自己点検・評価を実施している。
教育充実検討委員会には自己点検部会に加えてカリキュラム検討部会(部会長は大渕武美教授)、平成11年度から生涯学習部会(部会長は米倉守教授)がもうけられている。
自己点検部会は平成5年1月に教員の意識調査アンケートを行い、その結果を受けて、全専任教員の業績とプロフィールを紹介する「ファカルティ」の出版を立案し、同年にその第1版を発行、現在に至っている。
また、学生に対する各種アンケート調査を行い、その結果をカリキュラムに反映させ、カリキュラム部会は年間授業計画(シラバス)を出版し、広く各界に配布して公開するとともに全学生に必携させている。生涯学習部会は、平成11年7月に第1回公開講座を実施した。
8)おわりに
おおむね1997-98-99年は、多摩美術大学がハ−ドおよびソフトの両面で大発展した時期といえる。
1997-98-99年の大躍進は、1995年、八王子校舎に隣接する土地の取得から始まった。多摩ニュータウン法は多摩丘陵を造成して都市建設をすすめる法律である。造成工事は多摩ニュータウンの最東部よりが開始され、本学は最西部に位置する。当初予定されていた多摩ニュータウン計画は、都知事の政権交代による停止、オイルショック、ニクソンショックなどが原因で大幅に遅延し、本学が八王子校地の購入を開始した1960年から、本学に隣接する東京都の造成地を取得するまで、有に35年という予想外の年月が経過した。
その間、八王子校舎の建設は中断せざるをえず、苦渋の時代が経過した。その間の変化は、1981年八王子に1号館が完成したことと、美術学部が八王子に移転した跡地の上野毛校舎を活性化するために美術学部二部が1989年に開設されたことのみである。しかしながら、当時の藤谷宣人常務理事は八王子校舎の建設を諦めることなく、ねばり強く東京都と交渉し、1994年に西側隣接地35,200平方メートル、1997年に東北側隣接地9,680平方メートルを取得することができた。関を切ったように校舎建設が再開して、現在の景観が成った。
思えば多摩美術大学は幸運な学校である。バブル景気の後期に本学の所有する神奈川県の土地を売却することができ、不景気の時代に建設工事を経済的に再開できた。おりしも大学改革の立法に遭遇し、校舎建設に同期して一気に、大学院、美術学部、美術学部二部の教育組識の改革に成功した。