戦後日本の生活デザインの源:占領軍住宅
終戦後の日本政府は、全国の産業を動員して、駐留軍のために米国水準の住宅を建設し、米式の家具や食器などの生活用品を生産した。
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1945年9月連合国軍総指令部接収命令 1945年10月米第八軍作戦命令第19号 (終戦連絡事務局 戦災復興院 特別調達庁) |
冷蔵倉庫 | 宿舎 什器備品 暖房用施設 |
病院事務所 倉庫 自動車置場 |
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1945年12月 家族住宅の建設 20000戸 (納期1947年3月) |
食堂 |
芝生 立ち木 潅木 家具倉庫 |
幼稚園 |
上下水道 汚水廃水管 地下貯水場 高架水槽 集中蒸気暖房プラント 汚水処理場 変電所 電話交換室 ボイラ−室 診療所 給油所 自動車修理所 管理事務所 日本人使用人宿舎 営繕倉庫 消防署 駐在所道路 |
1946年3月 家具什器の生産 990000点 | 家具什器 | 家具什器 |
1946年1月 目黒雅叙園がGHQの管理化に入り、駐留軍の将校宿舎として1954年まで使用された。
旧島津公爵邸がGHQの管理下に入り、駐留軍の将校宿舎として1954年まで使用された。
1952 日本とアメリカが日米行政協定による施設・区域協定に調印する
東京都の無制限使用区域はグラント・ハイツ、リンカーン・センター、ジェファーソン・ハイツ、パーシング・ハイツ、立川・横田飛行場など
一時使用は伊勢丹、第一ホテル、アーニー・パイル劇場、山王ホテルなど
返還されるのは白木屋、如水会館、東京会館、そごう、朝日生命、北野劇場、大阪ビル、玉屋デパート、日綿実業など
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