藤原繁太郎
1897年 東京
1917年 早大相撲部創部 浅沼稲次郎 1898-1960 1923年早大政治経済学部卒 社会党委員長
中野正剛 1886-1943 1909年早大卒 ジャーナリスト 東方会総裁 衆議院議員
豊平悠三 師範 相撲新論
1922年 大隈重信国民葬 日比谷公園で、相撲部員の藤原繁太郎が旗手
1923年 早稲田大学商学部 卒 浅沼稲次郎と同期
新聞記者
1935年 藤原繁太郎の文章が具体的で面白い「久遠の命」1935 早川専一の追想録
藤原は伊達順之助(大陸浪人・馬賊・張宗援)の紹介で、平佐二郎大尉と渡満した。
檀一雄『夕日と拳銃』
1936年 映画『国防全線八千粁』監修
1943年 内海朝次郎日記「メディア展望」2011年 第588号 19頁
内海紀雄 朝日新聞社社長 大阪本社代表
[政界古参記者風雲録(18)鳩と藤原繁太郎]「月刊カレント」2006年43巻1号56頁 潮流社 今井 久夫
1947年 長崎2区から衆院議員に当選 当選1回 日本社会党 51歳
長崎新聞社長
多摩造形芸術専門学校 理事
浅沼稲次郎当の書簡5/11 早大相撲部先輩クラブ結成の件に付懇談 致度
差出人は、藤原繁太郎(発起人代表)、永橋剛一郎、安岡虎喜、浅岡信夫
第001回国会 水産委員会 理事 第15号 水産金融に關する件
1948年 第002回国会 水産委員会 理事 第12号 漁業課税に関する件
長崎2区から衆院議員に落選 日本社会党
1948年 ゴードン W. プランゲ文庫 報道写真 (共同通信)1/15 立候補者写真 K2775 D1257
北夫婦金婚式
1953年 学校法人多摩美術大学 理事
1960年 理事を佐々木大樹に交代 (1965佐々木が学外理事長)
1964年 「長崎新聞」代表取締役
1981年 没5/28
奈留島
藤原音吉 船廻小学校 用地を提供し、建設費用約3,000,000円を地区有志と共に集め建設 明治7年6月創立 長崎県五島市奈留町船廻937-1 校庭に、衆議院議員藤原繁太郎の歌碑 「少年よ 少女よ 母校に誇りを持て 母校は三方を連山に囲まれ 一方に開いた海は洋々として世界に通じる この美しい自然の中に君たちは学んでいる 山は不動の魂を養い 海は雄大な希望を育てる」 |