多摩美術大学の歴史 (高橋士郎講義ノート)


第3章
『多摩帝国美術学校』  徴兵猶予から学徒出陣へ 上野毛前期 (11年間)

→上野毛校舎の沿革 →学生一覧 →教授一覧 →理事一覧 多摩地名由来

1935
昭10
『多摩帝国美術学校』
北れい吉「学校紛争の顛末」
 

矢崎博信 『アニマ』結成
『国体明徴に関する声明』文部省
『教学刷新評議会』
奉安殿データベース
『帝国美術院改組』挙国一致
「天皇機関説」事件2.18
1936
昭11
杉浦非水『全日本商業美術連盟』委員長
『デセグノ』創刊1号 2号
女子部設置 逸見部長
北れい吉 衆議院議員 無所属新潟一区
北れい吉「日本国策映画研究所」
北れい吉 映画『国防全線八千粁』
2・26事件 北一輝 憲兵隊に検挙
ナチス+日本合作映画『新しき土』
ベンヤミン「複製技術時代」
日本工作文化連盟
陸軍従軍画家協会
「教学刷新評議会
1937
昭12
東横電鉄より基本金を利付借入
財団法人多摩帝国美術学校
徴兵猶予認可
『デセグノ』3号 4号 5号
三木清『文化研究会』委員長
宮本三郎 中村研一
『大日本陸軍従軍画家協会』
自由美術家協会
日中戦争 [Floral Japan]
『満州映画協会』
「国体の本義」「教学局」文部省
「帝国芸術院」 文部省
ドイツ 退廃芸術展 大ドイツ芸術展
1938
昭13

三木清 中村研一 建畠大夢 小池巌 教授
台風により校舎3棟の屋根破損 
『デセグノ』6号 7号 8号
 

大日本陸軍従軍画家協会 陸軍省
映画『民族の祭典』レニ
ウエルズ『世界の頭脳』
チューリングマシーン
1939
昭14
『デセグノ』9号 10号
『多摩美術』創刊
出征学生に慰問袋発送
真下信一 検挙
木村荘八「日本挿絵画家協会」
「映画法」芸術の醇化発達
『第一回聖戦美術展』陸軍美術協会
『靖国の絵巻』陸軍省情報部
[太平洋行進曲]
ポ−ランド侵攻 [NY Fair] [Dali]
ボンベが『エニグマ』解読
1940
昭15

里見宗次 教授 帰国
里見宗次 泰王国赴任 義部隊宣伝部長
北れい吉 浅沼稲次郎 オスロ
円鍔勝三「躍進の像」福岡県水巻町

南洋神社(パラオ)北京神社
東京オリンピック返上
[大政翼賛の歌]]
「日本の皇紀2600年に寄せる祝典曲」
1941
昭16

 『多摩美術』第2号  [報国団結成]
瀧口修造、福沢一郎、検挙拘留
 

大平洋戦争
国民学校令芸能科図画工作
[ソビエト大祖国戦争]
1942
昭17
『多摩美術』第3号
成田千里 1週間理事
檜見詮三 東条内閣保険局総裁 金策破約

[社會運動の状況]内務省
アメリカ軍戦略事務局
1943
昭18

訴訟取下 調停 安井誠一郎に校舎売却
昭和医学専門学校より20万円借入
東横を清算
『多摩美術』第4号
「帝国美術学校名簿」

シラパコーン大学美術学部
「Our Enemy the Japanese」
1944
昭19
帝国美術学校『大東亜工学院』となる
『多摩美術』学徒出陣号
校舎が海軍技術研究所に接収され休校
陸軍美術協会04/03
台湾神宮 関東神宮
1945
昭20

焼夷弾空襲により校舎焼失
三木清教授 拘留 終戦1か月後に獄死


8月6日 原子爆弾投下
GHQ幕僚部民間情報教育局
オーウエル小説『Animal Farm』


第4章 灰塵からの再生  専門学校認可から大学設立へ 溝ノ口時代 (7年間)

→溝ノ口校舎の沿革


1946
昭21
吉祥寺校舎が法政中学に売却される
溝ノ口の軍需工場を借入 学生募集
牧野虎雄 逝去 56歳
北れい吉 帝国議会 『憲法改正案』

アンフォルメル
民主主義科学者協会
GHQ セントラル映画社設立
映画『わが青春に悔なし』黒沢明
デペンデントハウス
ソウル大学美術大学 弘益大学美術大学
1947
昭22
『学校工場』溝の口
「多摩造形芸術専門学校」
小絲源太郎 林武 円鍔勝三
芹沢けい介 坂崎坦 富永惣一
大場磐雄
国家安全保障法 学校教育法
アメリカ中央情報局
1948
昭23
映画「瓢人先生」牧野虎雄
 

戦後第1回の作品展開催
レイモンド建築設計事務所再開
オーウエル小説『1984』 冷戦
1949
昭24
『多摩美術』復刊第1号刊行
浅沼稲次郎 村田『漁業法』制定
『東京藝術大学』
「女子美術大学」 
「日本大学芸術学部」
実験工房『モダンアート夏期講座」
1950
昭25

財団法人多摩美術短期大学  
「多摩美術短期大学」授業再開
川端実 山名文夫 福田恒存 教授
上野毛木造校舎1棟を復旧

「中央美術学院」
フィンランド白色デザイン
朝鮮戦争
1951
昭26

学校法人多摩美術短期大学
吉田三郎 上野公園野口英世像除幕
北れい吉訳『ヒューマニティー』
北れい吉「政界回顧20年」
山名文夫「日本宣伝美術会」  
 

手塚治虫『鉄腕アトム』
瀧口修造『実験工房』
1952
昭27
多摩美術大学後援会
上野毛木造本館を復旧
村田幸子職員
 


「多摩美術大学」 →学生数の推移 校歌

1953
昭28

学校法人多摩美術大学設立
「多摩美術大学」 井上忻治 学長
逸見梅栄 学部長
宮本三郎 教授
横山操「銀座ネオンサイン」
北れい吉 16回衆議院『綱紀粛正』


アロウェイ「ポップアート」
[二子玉川の路面電車]
1954
昭29
学生新聞部『美術大学新聞』
村田晴彦「本学の創立」
『DESEGNO 新しいデザイン』
多摩美会 教職員名簿
『多摩芸術学園』逸見 学園長
鈴木信太郎 教授
教職免許状資格認可

 
1955
昭30
創立20周年
学生募集ポスタ 1955-1962
北れい吉訳『現代の危機』

西山卯三「公団住宅」
[55政治体制]
レイヌ画廊「動き」展
1956
昭31

上野毛校地を購入
多摩図案会 在学生名簿
中山公男 教授
 

アンフォルメル
ジャクソン・ポロック事故死
1957
昭32
美術学部第1回卒業式 133名
重森弘庵 教授
 
1958
昭33

奈良京都古美術研修旅行始まる
ポール・ランド名誉教授 来学
坂崎乙郎 瀬木慎一 吉沢忠 教授
上野毛 講堂完成
溝ノ口校地校舎を購入
野尻湖を購入

「通商産業省デザイン課」
1959
昭34
杉浦理事長
杉浦 逸見 郷倉 佐々木 奥村 井上 村田理事
福沢一郎 建畠覚造 教授
剣持勇「インテリアデザイン」
『ZERO』ハインツ・マック
1960
昭35
上野毛 現本館完成
「多難だった学校設立」 村田
八王子校地の購入が始まる
高階秀爾 教授
校歌
 
「日本貿易振興会」
『ゼロ次元』加藤好弘


第5章 大学紛争  理事会の自立と大学紛争 上野毛後期 (22年間) →登場人物

前期大学紛争:理事会の分裂
1961
昭36
村田晴彦 理事長登記
北れい吉 逝去
奥野健男 教授
夏期講習会開催
グリーンバーグ『近代芸術と文化』

1962
昭37
上野毛 現1号館完成 溝ノ口 学生寮
環状八号道路工事の立ち退き
後藤狷士 教授
駒井哲郎「メゾチント」
 

サザランド「Sketchpad」
『野生の思考』ストロース
『フルクサス国際現代音楽祭』
1963
昭38
図案科をデザイン科と改称
おふで祭り
多摩美術大学正常化連盟
 
「セキスイハウスA型」
新住宅市街地開発法
1964
昭39
『大学院美術研究科』修士課程設置
全学ストライキ 木馬イーゼル
環八道路 補償費受領
八王子校地に合掌造移築
上野毛図書館完成
村上一郎 教授
東京オリンピック
平凡パンチ創刊
1965
昭40

杉浦非水逝去8/18 青山葬祭8/24
村田晴彦「創立の沿革」
[大場磐雄]教授 八王子校地の遺跡調査
奈良飛鳥寮完成
八王子運動場完成 紀の国屋
斎藤義重 教授


多摩ニュータウン計画決定
1966
昭41

文書偽造訴訟 51回国会 文教委員会
多摩芸術学園 後藤狷士 学園長
加山又造 横山操 安藤更正 教授
上野毛現2号館完成 各研究室創設
八王子民俗資料館 富士山純林苑完成
宮崎台トンネルの土地補償


滝口修造「空間から環境へ」
[Tokyo]
1967
昭42
学外理事長 佐々木長次郎
学部長宅立退
学校法人多摩美術大学 井上忻治 理事長
多摩芸術学園 松葉良 学園長
山脇国利 教務部長 山城正勝 総務部長
石田英一郎 東野芳明 中原佑介 教授
美濃部知事就任 多摩ニュータウン停滞
中期大学紛争:全共闘運動
1968
昭43
学友会の八王子建設反対運動
八王子学生募集要項
石田英一郎 学長就任後の急逝
『総合美術大学構想』石田ビジョン
針生一郎 教授

パリ5月革命
安田砦TV実況放映映
フルテン「機械展」
ICA「セレンディピ展」
キューブリック映画「2001年」
1969
昭44
芸術学科 建築科 設置認可 募集要項
本館封鎖1/13 全学封鎖1/17 本館封鎖4/18
針生一郎 全学教授会発足2/3
バリケード強化反帝学評10/2
機動隊導入10/19
『多摩美紛争』 『多摩芸紛争』

第61回国会 文教委員会10/15
『大学臨時措置法』
『ARPAnet』『Apollo』
山口勝弘「国際サイテックアート展」
「日本産業デザイン振興会」
1970
昭45

入試開始 応募者2400名に急増
授業再開 教員11名解雇 教員40名雇用
学内教員で真下信一学長を選出
学外教員12名 学長職務停止の申請

大阪万国博覧会
もの派
三島由紀夫自害
ハンパク
後期大学紛争:学長と理事長の分離
1971
昭46
八王子校舎移転開始
納金学生に卒業証 不納学生を抹籍
建築科開講
岡田孝平常務理事
嶋根昭学生部長
佐々木剛三 高松次郎 教授
中村錦平「東京焼」
嶋正利「intel4004」
ニクソン・ショック兌換停止
1972
昭47
学長候補選出 真下7票 高田忠8票
学長候補再選出 真下学長
学生会館 体育館が完成
隣地払下再申請
実習校舎11棟完成

川端康成自害
幸村真佐男『コンピュータアート展』
国際交流基金
1973
昭48
文様研究所開設 山辺知行所長
文化外交建白書
多摩芸術学園にデザイン科を新設
李禹煥 講師
第一次オイルショック 中東戦争
1974
昭49
八王子校舎移転完了 観梅会3/3
村田晴彦『多摩美術大学沿革史』
学長候補選挙
評議委員会が真下候補を否認
図書館 美術参考資料館完成
江上波夫 遠山啓 相馬隆 教授
チェンセン分校計画 定年規定制定
 

→八王子時代