1968年7月2日 全共闘学生が東大安田講堂を封鎖、闘争拠点となる。
10月12日 秩序派の法学部が17時間に及ぶ学生大会を経て、10学部全て無期限ストに突入。
12月25日 入試中止という脅しに、スト解除決議が相次ぎ、紛争終結勢力が勢いを得る。
年末の紛争大学数は全国116校。
1969年1月14日 多摩美術大学本館1次封鎖 2次封鎖
1月17日 東大当局は警察力導入を決定、午後11時、学外退去の最後通告を掲示。
1月18日 夜明けとともに警官8500人が封鎖解除開始。
装備は警備車700台、ヘリコプタ3機、エンジンカッタ33、削岩機4、はしご車10、催涙弾5000発
医学部中央館、法研、頑強に抵抗した工学部列品館が明け渡され出城は全て陥落した。
神田駿河台からお茶の水、湯島にかけて全共闘学生が街頭ゲリラを展開。
1月19日 現場TV中継の中、午後5時4分安田砦が陥ちた。
  多摩美術大学 全共闘全学封鎖