雑誌「祖国」 1928
祖国同志会 北れい吉を中心に結成
構成員:
藤井真澄 1889-1962 劇作家 早稲田大学専門部を卒業 日蓮主義・社会主義に傾倒 民衆芸術研究会 「黒煙」創刊1919
木下成太郎 1865 - 1942
高倉寛
中山啓 1895-1957 早稲田商科卒 詩人 詩集『自由の廃墟』 詩集『火星』 合資会社中山皇漢医学研究所を設立
昭和三年六月、評論雑誌「祖国」の創刊の理由を、
「祖国危急 ノ秋ニ際シ超然タルヲ誇ラントスルガ如キハ真ノ学徒タル面目ニ」
もとるとして、閉塞しつつあ る日本の難局を打開することを目指し、同年十月に創刊号を刊行した。
編集方針のうち、
「今日極端ナル左傾的思想及右傾的思想ノ存在ハ事実ナリ 他山ノ石トシテ之 等両極ノ思想ノ紹介ヲモ閉却セズ」
「政党政派ヲ超越スルモ消極的中立ヨリハ寧ロ積極的態度ヲ 採リ一面既成政党ノ悪徳ヲ指弾スルト共ニ他面共産系分子ヲ包蔵スル一部ノ無産党ヲ排撃セントスル」
「政治、経済、外交思想、教育、婦人、社会ノ諸問題ニ就テ一流専門家ノ時評ヲ連続掲 載シ以テ一貫セル思想的傾向ヲ徹底セシメントス」
の三か項目は、雑誌「祖国」の特色を明確に 示している。
寄稿者は学者・政治家・実業家など多数に及び、思想的にも自由主義者・社会主義者(左翼)・ 国家主義者(右翼)など多彩であった。
昤吉は毎号にわたり、論壇・時評壇で鋭い時局批判を展 開して注目を集めるようになっていた。
「祖国」は創刊から昭和二十年三月までの間、七年六月から九年五月までの二年間外遊のため に休刊した以外は毎号刊行された。
発行部数は七年五月までは毎号一万部、九年五月再刊後は約 三千部であった。
昤吉は「祖国」再刊にあたり、「新『祖国』は 旧『祖国』と異なって、祖国会 の純機関誌として、主として会員のみに配布する」と明言している(「祖国」昭和九年五月号)。
「祖国」は創立当時の啓蒙的評論雑誌から、昭和九年以降は北昤吉を信奉する思想団体「祖国 会」の機関誌へと変貌していった。
昤吉が主宰した「祖国会」は全国に会員を有する思想団体に 成長していたが、新潟県支部の会員は昭和六年六月段階で約二百七十人であったといわれるが、
会員は教員・県会議員・町村長・青年団幹部などが主体で、やがて五百人に到達する勢いであっ た(「祖国」昭和六年八月号)。
会員は昤吉が後年、衆議院議員選挙で新潟県第一区から立候補した時に強力な支持者となった