2014年06月27日
手羽ちゃんのドキドキ潜入レポート -武蔵野美術大学を造った人びと-

昨日は前期研究集会「武蔵野美術大学を造った人びと ‐歴代理事長・学長の研究-」が学内で開催されました。

「作った」でも「つくった」でもなく、「造った」という表現にこだわりを感じるわけで。

研究集会というのは、共同研究助成グループや在外研究員として派遣された教員がその研究. 成果を発表する場でして、今回は教職の高橋陽一先生が代表をつとめる共同研究「帝国美術学校より武蔵野美術大学に至る 歴代理事長・学長等の史料の基礎的研究」の発表会だったと。

すごいのは、
「100年史を書いていくだろう世代を中心に研究者を構成した」
とおっしゃっていたこと。

ムサビは今年85周年。
100年史となると10年前ぐらいから準備に入るのが通常なので、今のうちに「人を育てる」こともそうですが、機会を作ることで大学史史料の確認を行っているってことですね。

ちなみにムサビ(旧 帝国美術学校)が85周年ってことは、タマビさんは79周年ってこと。
あ、一応書いておきますが、帝国美術学校が出来て6年後に分裂し「出て行った」人達が作った学校が現在の多摩美術大学(旧 多摩帝国美術学校)です。
タマビの歴史からすると、「わかわからんやつらが校舎を占拠しやがった」なのが歴史解釈の面白いところで。
来年はタマビ80周年なので特設サイトもできています。
■多摩美術大学創立80周年記念事業

■田中高愚こと次郎吉について - 丸岡鶴吉人脈と加藤高明首相暗殺未遂事件-
を高橋先生から。

田中高愚は丸岡鶴吉を暗殺するために刺客として丸岡に会いにいくのですが、逆に丸岡の考えに感銘し、そのまま弟子になったという歴史がありまして。
その田中高愚の息子が、ムサビの発展に大きく寄与した田中誠治です。

■名取堯の略歴・業績と回想録「わが学園の思い出」
を教職の伊藤毅先生が、 「高橋ユニットリーダーが」と余計な小ネタをいれつつ。

名取堯はあまりフューチャーされたことがないのですが、実はムサビの教育理念「真に人間的自由に達するような教育」という言葉を残した人。
帝国美術学校から武蔵野美術学校にスムースに移行したわけではなく、その間に「造形美術学園」と名乗った時期が1年だけあります。
校長もなかなか決まらず、後述しますが、いろいろなものがうごめいてた時期だと推測されます。

「回想録にはせっかく著名人を集めて講義をしてるのに学生が授業中寝てた・・と書かれてて、見事に今のムサビ生もその校風を受け継いでいる」とおっしゃってました(笑)

■中島健蔵と吉田秀和  -同盟休校事件前後-
を音楽の白石美雪先生から。
同盟休校事件ってのが、タマビとムサビが分裂した事件のこと。
簡単に書くと「授業ボイコット」ですね。
中島氏は当時評議員をされていて、理事長・学長とは異なる視点から大学の激変の歴史を知ってる人物なのです。
当時の新聞記事を紹介していただきました。

■金原省吾と傅抱石 東アジアにおける人的移動と知的交流
を廖赤陽先生が担当。
近代中国におけるもっとも著名な画家、篆刻家であり、また美術史家としても名高い傳抱石氏は昭和9年帝国美術学校に留学し、当時の教務主任であった東洋美術学者の金原省吾に師事しています。
ムサビには絵もそうですが、手紙なども残ってまして。

■山脇巌と造形美術学園 学園長
を外国語の小澤智子先生が。

いろんな分野の中堅の先生が大学史を研究・執筆されたのがこれでわかるんじゃないかしら。

1年だけ名乗った「造形美術学園」の学園長を山脇巌氏がつとめてまして。
山脇氏はその後、日藝デザイン科の基礎を作った人でもあります。
肩書は建築デザイナーなので多分オシャレな方だったんじゃないかと。
オシャレな感じがむさくるしい帝国美術学校の校風と合わなかったのか、造形美術学園では実技中心のカリキュラムを実行したため、帝国美術学校校友会から「そんなのは帝美と違う!」と反論があり、校友会から希望条項 「実技のみに偏らず教養ある作家を育てるため広く・・」 「学科を重んじ規律ある厳しき教育をなすこと」という文書が出されました。
たった1年だけの「造形美術学園」なんだけど、「実技だけでなく教養を重んじる」ムサビの方向を決める(再確認する)重要な役割を決めたターニングポイントともいえます。

その後は甲田学長からコメント。
約40年前のムサビは、受験番号を飛び飛びに発行して、合格発表ではいっぱい不合格が出てるように(受験生がいっぱいいるように)見せてたそうです。
今じゃ信じられませんが、当時は他大学さんもそうだと思いますが、あらゆる手段を使ってて、今のポジションを作ったわけで。

「40年前ってことは、今創立40周年ぐらいの大学さんは当時ムサビがやってたようなことをやってポジションを作ろうとしてるだけなんだなあ。歴史は繰り返すなあ」と思うと、急にかわいく思えてきます。

甲田学長にはムサビの歴史を執筆してほしい(笑)

以上、てなことを考えると100年史を執筆される時にはムサビ日記も大事な大学史史料になるなあ、と感じた手羽がお送りいたしました。