森堯之
1915年 徳島県徳島市大工町に生
旧制徳島中学(現・城南高校)
1934年 帝国美術学校西洋画科に入学
1936年 同級の浅原清隆らとグループ「表現」を結成し、作品を発表。
1937年 第7回独立美術協会展に〈たそがれの街〉で初入選
独立展には第8回、第9回展まで連続入
1938年 第8回表現展には、永井東三郎と共同で実験作品〈フィンガー・ピクチャー〉を出品。
1938年 「前衛写真協会」結成 1939年3月「写真造型研究会」に改称
1939年 「表現」を解散し、美術文化協会の結成に参加
帝国美術学校卒業後、名取洋之助の日本工房にカメラマンとして入社し、
対外宣伝雑誌『NIPPON』朝鮮特集号の取材で朝鮮に派遣
1941年 に応召、
1944年 ビルマで戦病死29歳