斎藤博之 []
1919年 奉天市に生
1937年 奉天第一中学校を卒業後、満洲鉄道奉天地区検車部や満蒙百貨店広告部に勤
1939年 帝国美術学校西洋画科に入学
1943年 帝国美術学校を繰上卒業 9月 、11月には満洲
1946年 復員 東宝撮影所動画部 森芳雄アニメーション映画「ムクの木の話」丸山章治監督1947
1947年 帝国美術学校が再編されて発足した造型美術学園の助手
石膏デッサンなど基礎的な訓練を受け持つ。
学園長の山脇巌が、バウハウスの造形教育システムを導入しようとしていたため、 母校がデザイン学校のごとくなってしまうことに反発した旧・帝国美術学校の卒業生たち(校友会)が学園側と折衝して、 日本画と西洋画の講師と助手には旧・帝国美術学校の卒業生を採用させることを求めた結果、 卒業生たちの信望を担って、斎藤博之が助手に推薦された。 しかし、学園側と校友会との間で板挟みのような立場であることが負担になり 1948年の春、助手の職を辞。 帝国美術学校に在学中の作品《国引き1941年》を独立展に出品して入選、以後は公募団体に所属せず。 |