上條秀介

1893年 長野県東筑摩郡今井村の農家に生まれる。
1912年 旧制松本中学 卒業。19歳
1915年 第一高等学校 三部甲類卒業。22歳
1919年 東京帝国大学医学部卒業。26歳
1920年 東京帝国大学医学部 附属医院三浦内科に勤務。
1928年 昭和医学専門学校を設立。主事、教授 附属医院開院医院長に就任
      援助者
      石井吉五郎 1892- (1930「肛門病の話」 昭和医科大学附属医院長)
      吾妻俊夫 1891-1955 (1928昭和医専教授兼付属医院医長)
      鏑木忠正
      高木慎
      水原豊 1892-1981 別名:水原秋桜子 俳人 医学博士 宮内省侍医寮御用係
1938年 昭和医学専門学校長に就任。
1942年 和医学専 門学校 報国 式挙行 隊結成
1943年 財団法人 多摩帝国美術大学に200,000円貸付 斉藤浩 理事50.000円貸付 石井吉五郎30.000万円貸付
1945年 院設備一切を日本医療団に貸与して, 日本医療団興亜病院 と して発足。日本医療団第一病院 と改称。
1946年 昭和医科大学長、同附属医院長に就任。
     財団法人多摩帝国美術学校 理事長
1948年 日本医師団との契約解除。
1948年 烏山病院から日本医科大学に一部建物を移築
1951年 日本病院協会を設立 初代会長
     日本私立大学協会理事、私学総連合会理事
     烏山病院から土地3,900坪、借地権3,402坪等が寄贈され、附属病院となる。
1953年 学校法人多摩美術大学の理事
     石井吉五郎が学校法人多摩美術大学の理事
     科学研究費等分科審議会、私立大学研究補助審議会員
1956年 死去。

1969年 多摩美術大学村田理事長が昭和医大に入院

石井吉五郎
1892年 
1930年 昭和医科大学附属医院長
1930年 「肛門病の話」
1948年 「新外科学各論」
1958年 「石井教授追悼業績集」 昭和医科大学外科同窓会

鏑木忠正
1930年 衆議院議員埼玉2区
1936年 東京5区立憲民政党
1942年 「大東亜戦下の国民に訴ふ」
1956年 文教大学理事
1947年 初代品川区長

斎藤浩
     昭和医科大学常務理事
1943年 財団法人 多摩帝国美術大学 理事長
1946年 多摩美術大学 監事
1964年 「十五年の歩み」東京寄生虫予防協会  p66 /純真な情熱を 昭和医科大学常務理事 斎藤浩

野添敦義
1926年 弁護士登録
1926-1932年 東京府荏原郡玉川村役場嘱託
1930年 「女性と犯罪」野添敦義著 武侠社「近代犯罪科学全集」第5編 []
            女性の感情世界や想像生活や意志活動はすべて性愛に基づくものであり,そこに女性の犯罪の本質がある
1932年 「女性の性的犯罪」 エリッヒ・ヴルフェン 著 ; 野添敦義 訳 駿南社
      警視庁嘱託
1943年 財団法人 多摩帝国美術大学 理事
2008年 「女性と犯罪」近代犯罪科学選集 野添敦義著 クレス出版
      Erich Wulffen 1862-1936
      Sexualverbrecher-Literatur (1929)