八木下要右衛門家

初代 八木下善兵衛 家名新屋

二代 要右衛門
   1776年から年番名主
   質屋・糸商・酒造業も営む富農
   1833没

三代 敬重 幼名直蔵のち善八
   鑓水の石垣大尽 村内の諏訪神社に石灯籠奉納 
   飢饉のときに村人を救済し、使用人の教育にも熱心
   生糸商として江戸商人との交流
   1851 屋敷内に異人館 開国以前にオランダの商人を招 イギリスの外交官アーネストサトウが泊
   1869 家を正信にゆずる 善八と改めて別の商売
   1870 強盗に襲われ亡
   妻・つるの
   (弟は江戸吉原花川戸の尾張屋を継ぎ)

四代;正信
   東京入船町へ転居 豪邸は空家となる
   1875 没落
   1884 母屋が永泉寺本堂として移築
   1880 異人館が鑓水学校の事務室兼裁縫室


平本平兵衛家

初代 平兵衛
   大工 仁右兵衛の長男
   小山村の糸商人 玉利屋 へ年季奉公
   1802 独立して帰村 数年で財をなし、鑓水生糸商人の先駆者となる
   後継ぎが居らず、同じ村の生糸商人だった大塚五郎吉の弟を娘婿に迎え

二代 文蔵

三代 房長
   1868 弁天山一件 事件 平本平兵衛が元締となって村の糸商と一緒に横浜へ直接出荷した生糸が、
   神奈川奉行所の手によって舟(ごと押収
   江戸に三千日の居詰め(他の糸商は罰金)を命 その後帰村したが財産を没収

大塚徳左衛門家

初代 信元
   1655から1870まで代々名主
   農業のほか質屋と糸商を兼 東の大尽
   村一番の生糸を扱う商人で、江戸の呉服商との交流

二代 直重
   江戸屈指の財閥 三井の筆頭分家から後妻を迎 お加津は30才で亡「嫁入り橋」
   1832 家督相続
   1846没
   主家・岡部家が幕末に没落(借財7千両の返済)
   1884年 木小屋出火で豪邸と七つの土蔵 永泉寺焼失

三代 徳太郎

四代 林蔵

大塚五郎吉家
初代 五郎吉 1794-1873 百姓甚兵衛の長男
   漢字・書画に通じ文化的教養
   1821 家督相続 五郎を五郎吉と改名
   1954 年品川御台場築造用の松丸太伐出しに協力
   1964 隠居 甚兵衛と改名
   領主・田安家から抜擢されて年番名主を勤め多くの文書を残
   「狼の五郎吉」と呼ばれて恐れられたやり手の糸商人

二代 積三郎
   五郎吉の孫
   商売の規模を小さくし、地主経営の農家へと転換 日本赤十字社で活躍
   道路の改修や鑓水学校設立などの公共事業に尽力
1884 戸長 村政につくす

三代 善作

   1927 子孫が南津鉄道建設計画の中心として活動

他に糸商人と呼ばれる家は7軒あり、合計11軒

大塚惣兵衛・宗平親子

八木下清之助 八木下要右衛門家から分家

大塚卯十郎 1869 由木大塚に生
   三多摩壮士として活動 養蚕製糸業を営み,組合製糸漸進社を組織
   玉南電気鉄道株式会社創立
   桃泉と号す俳人