ピンカートンはアメリカの海軍士官。時は明治の初めの日本に駐在している。
彼はそのなぐさめに日本の女性と付き合いたいと思って、女衒(女性を斡旋する仕事)のゴローにたのんで100円で チョーチョーさんという15歳の女の子にあわせてもらう。
ところが、チョーチョーさんは本当に結婚する気で家族や親戚を引き連れてピンカートンに合いに来て、結婚式まで挙げてしまう。
ところが、ピンカートンに操を立てた彼女は、仏 教を捨ててキリスト教に改宗していたため、叔父のボンゾに怒られ親戚一同も彼女と縁を切ってしまう。
打ちひしがれる チョーチョーさんにピンカートンは甘くいいよる。
3年後。すでに本国アメリカに帰っており、残されたチョーチョーさんにはその愛の形見の子供がいる。
「駒鳥が巣を作る頃には帰ってくる」というピンカートンの言葉を信じてひたすら待つチョーチョーさん。それをなぐさ めるお手伝いのスズキ。
しかし、ピンカートンとしては、結婚したという意識も無く、本国で別の女性と結婚してしまっ ている。そのことを書いた手紙を持ってきながら、チョーチョーさんに伝えられない、領事シャープレスの苦悩。
そこへ、 長崎の港に軍艦。アブラハム・リンカーン号。まぎれもないアメリカの軍艦。愛の勝利と喜ぶチョーチョーさん。
ピンカ ートンは妻のケートを連れてチョーチョーさんに会いに来る。
心やさしいスズキやシャープレスは必死で隠そうとするが 庭のケートと対面したチョーチョーさんはすべてを悟り、「30分後にまたお会いしましょう」と言う。   
一人残ったチョーチョーさんは、「恥辱に生きるより名誉に死ね」という父の遺言とともに自害して果てる。

世界の海を股にかけるアメリカ海軍砲艦アブラハム・リンカーン号の中尉で、任務先長崎で戯れの結婚をする軽薄なアメリカ人「ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン」。
また、3年後に再来日した際にも、蝶々さんの一途な愛を信じる心を知って、罪の意識から蝶々さんにまともに会えず、「さらば愛の住処よ」と歌って、その場から逃げ出した情けない男でもあるのです。
ピンカートンには、蝶々さんとは対照的に、当時ヨーロッパの人々が(自国の歴史をあまり持たない)アメリカ人に対して持っていた「自由で気ままな(裏を返すと軽薄な)」イメージが見え隠れしている。
それを逆にアメリカ人の立場で描いたのが、ガーシュインの名曲「パリのアメリカ人」。

第1幕の結婚式の場で始めて蝶々夫人の親族や友人と会ったときにも、「バカ面が一つ、二つ・・・」と数えて、まともな人扱いをしてません。
その上、結婚式の場で出されたご馳走をなじりまくって「蜘蛛の巣の砂糖漬けでも持って来いや!」と暴言を平気で吐くのです。

第2幕第2場に登場するケート・ピンカートン夫人についても言えることで、彼女も日本人をバカにして、はじめから傲慢な態度で蝶々さんから息子ドローレを引き取ろうとしますが、このとき蝶々さんはケートの傲慢な態度が気にくわなかったのか、息子の引き渡しには応じつつも、ケートの求めた握手を拒否しています。

ピンカートンは帰国3年後に砲艦アブラハム・リンカーン号で再び日本を訪ねますが、これはロングの小説等から推測すると、1894年(明治27年)に勃発した日清戦争に伴う極東情勢の変化により、アメリカ海軍が長崎に艦隊を派遣したためと考えられる。
艦隊派遣の理由は、在長崎アメリカ人とその財産の保護だったのでしょう。当時は日本が清に勝つとは考えられず、日本海軍を打ち破った清の海軍が、日本の対外拠点の一つであった長崎に攻め込んでくると思ったのでしょう。
ちなみに、軍艦の「アブラハム(エイブラハム)・リンカーン」は1990年頃に建造されたアメリカ海軍ミニッツ級原子力空母として有名です。
息子ドローレのことをたまたまシャープレス領事から聞いたから蝶々さんの家を訪れた。息子だけを本国に連れ戻すために。
アメリカの本妻ケート夫人も同伴してる。

しかし、引き取られた息子ドローレは、その後アメリカの父親に引き取られてどうなったのでしょうか?
ゴローが「呪われた子」となじり、産みの母親が「苦悩」と名付けたこの息子は、まず間違いなくピンカートン夫妻にとって「呪われた子」となり「苦悩」の種となったことでしょう。
息子を見るたびに蝶々さんの壮絶な最期を思い出したことでしょう・・・
その息子も、もし後に自分の生い立ちを知れば、産みの母親を殺した父と育ての母に復讐していたかもしれませんね。
最近の蝶々夫人の演出の中には、蝶々さんが自刃した後、その自刃に使った短刀を息子ドローレが握りしめ、それを振り上げながらピンカートンに向かっていくという、復讐をほのめかすものもあります。