ジュネット

三つの相

物語内容/物語言説/語り(historie/récit/narration)
物語内容は、物語によって報告された内容、すなわち語られた出来事の総体を指し、物語世界(diégèse)という概念もこれとほぼ等しい意味で用いられる。
物語言説はそれらの出来事を喚起する言説(テクスト)を指す。
語り(物語行為)は物語言説を生じさせるところを語るという行為そのもの、さらにこの行為が行われる状況全体を指す。

三つの範疇 物語言説の分析を構成する、時間・叙法・態

1時間(temps)。物語言説の時間(書かれたテクストの場合は、それの読みから換喩的に描き出される擬似的な時間)と物語内容の時間の諸関係を扱う範疇。この範疇は、以下の三つの下位範疇からなる。

a順序((ordre)。語られたさまざまな出来事の、物語世界における継起順序と、物語言説においてそれらの出来事が語られる順序の諸関係を扱う。この二つの順序のあらゆる不一致の形式を総称して錯時法(anachronie)という。その主なものとしては、「物語内容の現時点にたいして先行する出来事」を回顧的に喚起する後説法(analepse)と、逆に、物語内容の現時点からすれば「あとから生じる」出来事をあらかじめ喚起する先説法(prolepse)とがある。物語内容の「現在の」時点と錯時法に置かれた部分との時間的距離を射程(portée)、錯時法に置かれた部分が語る物語内容の時間的持続を振幅(amplitude)と呼び、この二つの弁別特徴によって、後説法・先説法はさらに細かく下位区分される(30ページ以下)。錯時法の下位範疇としては他に、出来事を、物語世界におけるいかなる時間的な位置づけにもそれを与えずに喚起する空時法(achronie)や、さまざまな出来事をそれらの継起順序とは無関係に寄せ集めて喚起する共説法(syllepse)などがある。

b持続(durée)。物語内容における時間的持続と物語言説におけるそれ(テクストの長さによって示される)との諸関係を扱う。言い換えれば、ある一定の物語言説が、どのくらいの時間的な幅を持つ物語内容かという速度(vitesse)を扱う範疇である(29ページ)。テンポ(movement)とは物語言説が採る速度の規範的な型で、休止法/情景法/要約法/省略法(pause/scene/sommaire/ellipse)の四つのタイプに区分される。物語言説のある時間的持続に対して物語内容の時間的持続(TH)がゼロであり、したがって速度がゼロになる形式が休止法――描写に代表される形式――である。逆に、THに対してTRがゼロであり、したがって無限大の速度を持つ形式が省略法である。右の極限的な二つのテンポの中間に、THとTRが一種の相等性を保つ情景法――対話に代表される形式――と、TRがTHより小さく、物語言説が物語内容をいわば圧縮=簡略化して語る要約法が位置づけられる。

C頻度(fréquence)。物語世界における出来事の反復と物語言説における叙述の回数との関係を扱う(29ページ)。頻度の観点から、物語言説は単起的/反復的/括復的(singulatif/repetiti/iterative)という三つのタイプに分けられる。出来事が生起した回数と物語言説がそれを語る回数が等しいのが単起的物語言説(単起法)であり、とりわけ、一回ではなく数回生起した出来事をその回数だけ語る形式を対応的な(singulatif anaphorique)という。一度生起した出来事をn度語るのが反復的物語言説、逆に、n度生起した出来事をただ一度だけ語るのが、括復的物語言説(括復法)であり、これは一種の共説法ともいえる(129-133ページ)。括復法は、それが覆う時間域が、その括復法が挿入されている単起的な情景の持続を越えて外へはみ出すか否かによって、外的括復法と内的括復法に区別される。またある物語言説が括復的な体裁を採っていても(たとえば叙述が詳細をきわめているなどの理由から)文字通りに括復法だとは受け取れない形式を疑似括復法(pseudo-itératif)と呼ぶ。

2叙法(mode)。物語言説における、物語内容の「再現」(ルブレザンタション)の諸様態(そのさまざまな形式と度合)を扱う範疇。言い換えれば、「物語情報の制禦」の諸形式を扱う範疇である。この範疇は、以下の二つの下位範疇を持つ。

a距離(distance)。情報量の調節およびそれに伴う語り手の介入の度合による物語情報の制禦の仕方を扱う。従来、ミメーシス(模倣による物語言説)/ディエゲーシス(純粋な物語言説)、あるいは示すこと(ショウイング)/語ること(テリング)の対立として研究されてきた領域である)。物語言説が出来事を報告する場合にはミメーシスの可能性は排除されており、ディエゲーシスのさまざまな度合いが見出されるだけだが、物語言説が作中人物の言葉を報告する場合は、ミメーシス性が高く距離のちいさい再現された言説(discourse rapporté) ――直接話法の形式――、中間的な距離を保つ転記された言説(discourse transposé) ――間接話法の形式――、語り手の介入の度合がもっとも大きくミメーシス性の低い語られたまたは物語化された言説(discourse raconté,ou narrativisé)という三つのタイプが区別される(198ページ以下)。

bパースペクティヴ(perspective)。制限的に作用する「視点」を採用すること(あるいは採用しないこと)による物語情報の制禦の仕方を扱う。従来、「 視 点」あるいは「視野」、「視像」などの述語を用いて説明されてきたこの種の限定関係を指示するにあたって、角の「視覚性を払拭すべく」ジャネットは焦点化(focalization)という述語を提案する(217-221ページ)。物語言説には、いかなる制限的な視点も採用しない焦点化ゼロ(focalisation zero)のタイプ、あるいは作中人物の視点を通して物語世界が喚起される内的焦点化(focalisation interne)のタイプ、そして物語言説の対象(となる作中人物)が外部の証人の視点から語られる外的焦点化(facalisation externe)のタイプが区別される。さらに内的焦点化は、ある作中人物の視点を一貫して守る固定焦点化(focalisation fixe)、視点を移動させながら物語内容を語り進める不定焦点化(focalisation variable)、同一の出来事を異なった視点から語り直す多元焦点化(focalisation multiple)に下位区分される(221ページ以下)。またひとつの叙法の姿勢を維持していると見做なされる物語言説のある切片において生じる、焦点化のコードに対する一時的な侵犯を変調(alteration)という。変調には、支配的な焦点化のコードからすれば、当然報告すべき情報を看過する黙説法(paralipse)と、本来看過すべき情報を報告する冗説法(paralepse)とがある。

3態(voix)。物語状況ないし語りの審級、および語り手と聞き手が物語言説に含まれているその仕方を扱う範疇。それゆえ態は、一方では語りと物語言説の諸関係を、他方では語りと物語内容の諸関係を、示すことになる。つまりここでは、「物語言説の生産の審級」の解明が、中心的な課題とされるわけである。この範疇は、主として以下の三つの下位範疇によって構成される。

a語りの時間(temp de la narration)。語りの審級の時間的限定は、物語内容に対するその相対的な位置によって、後置的/前置的/同時的/挿入的(ultérieur/antérieur/simultané/intercalé)という四つのタイプに分かれる。後置的なタイプとは、過去時制の使用を特徴として、もっとも古典的かつ一般的なものである。前置的なタイプとは、通常、未来時制によって語られた物語言説のそれであり、いわゆる予報的な物語言説(récit prédictif)の場合がこれにあたる。同時的タイプとは物語られた行為と物語る行為とが同時的なタイプであり、通常、現在時称が用いられる。最後の挿入的なタイプとは、物語られた行為の諸時点の間に語りの時点が混入する場合である(253ページ以下)。

b語りの水準(niveaux narratifs)。この概念は語りの審級の空間的現的(もちろん比喩的な意味で)にもとづくと言える。ジュネットによれば、語りの水準の差異とは「一種の閾」であり、次のように定義される――「ある物語言説によって語られるどんな出来事も、その物語言説を生産する語り行為が位置している水準に対して、そのすぐうえの物語世界の水準にある」。それゆえ、水準の数はもちろん理論的には無限であるが、ジュネットは、順次、基本的な三つの水準――物語世界外的/物語世界(内)的/メタ物語世界的(extradiégétique/(intra) diégétique/métadiégétique)――を区別する(266ページ以下)。また、原理的にはそれらの水準間の移動を保証しうるのは語り以外には存在しないが、その語りという移行手続きによらない――つまり読み手には多少なりとも「違犯」として関知される――水準間の移動を、ジュネットは語りの転位法すなわち転説法(métalepse)と呼ぶ。

c人称(personne)。語り手と物語内容との関係を規定する。ジュネットは「語り手はいつでも語り手として物語言説に介入できるのだから、どんな語りも、定義上、潜在的には一人称でおこなわれていることになる」という理由から、一人称/三人称という伝統的な対立は有効でないと考える。重要なのは、むしろ「自分の作中人物の一人を指し示すために、一人称を使用する機会が語り手にあるかどうかを知ること」なのであって、そこからジュネットは、以下の類別を提案する。すなわち、語り手が作中人物として物語内容に登場するか否かによって、物語言説を等質物語世界的(homodiégétique)なタイプと異質物語世界的(hétérodiégétique)なタイプとに区別し、次に等質物語世界的なタイプのうち、とくに語り手=主人公の場合を自己物語世界的(autodiégétique)なタイプと呼ぶのである。