横山操デザインのネオンサイン通称「サボテン」
戦後シベリアで抑留生活を送った横山操は、1950年か図案を仕事としていた。1953年銀座5丁目の不二越ビル屋上に設置された、森永のネオン塔、通称「サボテン」
をデザインし広告電通賞をとった。当時の金で3000万円をかけた大がかりのものだ。s58年に解体。横山画伯はその功績によって川瀬社長から鶯谷事務所2階をアトリエに提供されている。
富山市の商店街、総曲輪のアーチネオンが不二ネオンのデザインで決定。デザイナー横山操を宇奈月温泉に派遣。行きの車中でサントリーのダルマ1本と清酒1升のほとんど空け、旅館に着いてからは景勝地の観光には見向きもせず寝てばかりだった。この酒豪ぶりが災いしたのだろう51歳のとき脳卒中で倒れ、半身不随となり、その後3年にして逝去している。
高橋士郎のキネチックアート作品が、晴海ウインドやサンクンガーデンで多数発表された。
1969 国際サイテックアート展 "ELECTROMAGICA" 「CTGの軌跡と思想」
1972 METACO高橋士郎個展 "metaco'72 by Shiro Takahashi"
1973 第1回 国際コンピュータアート展 "Cybernetic ARTRIP" CAC
1974 第2回 国際コンピュータアート展 "Cybernetic ARTRIP" CAC
1975 第3回 国際コンピュータアート展 "Cybernetic ARTRIP" CAC
1976 第4回 国際コンピュータアート展 "Art & Media" CAC
1977 第5回 国際コンピュータアート展 "MEDIA RAMA" CAC
ニューヨーク五番街のソニーショウルーム
高橋士郎の「詩的平行四辺形」が玄関に展示された。オークション
1962