ジャン=マリー・ギュイヨー Jean-Marie Guyau 1854-1888(33歳) []

1880 「記憶とフォノグラフ」
「自己に内的制裁を加える『良心の呵責』は不道徳の極みであり、それは社会的な『病理現象』にすぎない。
こうして、義務も制裁もない道徳、生の道徳が始められることになる」

1884 Les Problèmes de l'esthétique contemporaine
石上是介訳『現代美学の諸問題』聚英閣, 1926年

1885 Esquisse d'une morale sans obligation ni sanction
石上是介訳『倫理学--義務及び制裁なき道徳の考察』聚英閣, 1926年
西宮藤朝訳『義務と制裁無き道徳』平凡社, 1927年
長谷川進訳『義務も制裁もなき道徳』岩波文庫, 1954年

目次

著者序文

 序論 責務を形而上学的に正当化するさまざまな試論の批判
  第一章 形而上学的独断論の道徳
   一、楽観主義的仮説、二、悲観主義的仮説、三、自然の無関心という仮説
  第二章
   一、実践的確実性の道徳、二、信仰の道徳、三、懐疑の道徳

 第一篇 科学的観点から見た道徳的動機について 義務の第一の諸等価物

  第一章 生の強度と行為の動機
  第二章 生の最高の強度[内包]は、必然的相関物として最大の延長[外延]をもつ
  第三章 行動の動機はいかなる限度において、一種の責務を生み出しうるか。力と義務[なしうるとなすべき]
  第四章 精神力学の観点からの責務の感情、衝動的もしくは抑圧的な力としての

 第二篇 道徳性を維持するための、義務の可能なる最後の諸等価物
  第一章 危険と闘争の快から引き出された、義務の第四の等価物
  第二章 形而上学的危険から引き出された、義務の第五の等価物: 仮説
   一、投機=思弁における形而上学的危険、二、行為における形而上学的危険

 第三篇 制裁の観念
  第一章 自然的制裁と道徳的制裁の批判
   一、自然的制裁、二、道徳的制裁と配分的正義
  第二章 社会における懲罰的もしくは防衛的正義の原理
  第三章 内的制裁と自責の念の批判
  第四章 宗教的で形而上学的な制裁の批判
   一、宗教的制裁、二、愛と同胞愛の制裁
   三、結論

1889 L'Art au point de vue sociologique
大西克礼訳『社会学より見たる芸術』内田老鶴圃, 1914年
井上勇訳『社会学的に見たる芸術』聚英閣, 1925年
北れい吉訳『社会学上より見たる芸術』潮文閣, 1928年
大西克礼, 小方庸正訳『社会学上より見たる芸術』全3冊, 岩波文庫, 1930年
西宮藤朝訳『社会学上より見たる芸術』春秋社, 1931年

1889 Éducation et hérédité
稲毛詛風訳『遺伝か教育か』隆文館図書, 1918年
西宮藤朝訳『教育と遺伝--社会学的研究』東京堂書店, 1924年

1890 La genèse de l'idée de temps
井上勇訳『時間観念の創成』聚英閣, 1925年

1895 Pages choisies des grands écrivains
長谷川進訳『生の倫理』洛陽書院, 1940年


Augustine Tuillerie、1833-1923

Alfred Jules Émile Fouillée, 1838-1912


自由 意力
freedom will
anarchy egoism
無計画
いいかげん

利己主義
自分勝手

ニーチェ

大杉栄