霞ヶ関ビル 関東大震災の教訓から東京では31mという高さ制限(いわゆる百尺規制)があったため、当初は9階建てのビルの計画であったが、1962年(昭和37年)8月に建築基準法が改定され、高さ31m制限が撤廃されることとなった。 東京倶楽部が経営していた旧・東京倶楽部ビル跡と霞会館(旧・華族会館)の敷地に建設され、1965年3月18日に起工、1967年4月18日に上棟し、1968年4月18日にオープンした。 高さ31m制限が撤廃されることとなったため、高層ビルへ計画変更された経緯がある。 1969映画「超高層のあけぼの」監督:関川秀雄 東京倶楽部:1884年(明治17年)、鹿鳴館に外国人との融和交際の為に会員制の「東京倶楽部」が設けられた。そこでは英語の使用に限られ日本語は勿論、他の外国語の使用は禁止された 霞会館:会員は現皇族(名誉会員)、元皇族(臣籍降下した元宮家)、元王公族、元華族(公、侯、伯、子、男)の当主とその成年に達した長男(嫡男)により構成されている。2007年4月現在、会員数854名(正会員844名、名誉会員10名)。 1884年の華族令が制定され、華族は公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五階の爵位に叙された。これらの爵位は、公家華族は家格、大名華族は石高を基に決められた[1]。また明治政府の中心人物をはじめ、明治維新の勲功者[2]や、歴史上天皇家に対して忠節を尽くした人物の子孫[3]が新たに新華族(勲功華族)として列せられた。 公爵・・・親王諸王より臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者 |