霞ヶ関ビル

関東大震災の教訓から東京では31mという高さ制限(いわゆる百尺規制)があったため、当初は9階建てのビルの計画であったが、1962年(昭和37年)8月に建築基準法が改定され、高さ31m制限が撤廃されることとなった。

東京倶楽部が経営していた旧・東京倶楽部ビル跡と霞会館(旧・華族会館)の敷地に建設され、1965年3月18日に起工、1967年4月18日に上棟し、1968年4月18日にオープンした。

高さ31m制限が撤廃されることとなったため、高層ビルへ計画変更された経緯がある。
日本においてはじめての高層ビルの建設のため苦労も多く、そのエピソードは劇映画となった。
竣工当時、36階に展望台があり賑わいをみせていた耐震設計として鋼材を組み上げた柔構造を採用している。

1969映画「超高層のあけぼの」監督:関川秀雄 
出演者:池部良、丹波哲郎、平幹二郎、佐久間良子、新珠三千代、佐野周二、松本幸四郎、伴淳三郎、田村正和
3時間40分の超長尺。前後編で間に休憩が入る
鹿島建設社長や設計者たちが高さ制限のある「市街地建築物法」を廃止させ、完成までを描き、全国東映系で封切られた。
ビルの完成が前年1968年だったので、宣伝効果は抜群だった。
鹿島建設はじめ、建築に加わった企業が協力し、前売りを売るという、当時としては画期的なタイアップ作戦で映画は大ヒットした。

東京倶楽部:1884年(明治17年)、鹿鳴館に外国人との融和交際の為に会員制の「東京倶楽部」が設けられた。そこでは英語の使用に限られ日本語は勿論、他の外国語の使用は禁止された

霞会館:会員は現皇族(名誉会員)、元皇族(臣籍降下した元宮家)、元王公族、元華族(公、侯、伯、子、男)の当主とその成年に達した長男(嫡男)により構成されている。2007年4月現在、会員数854名(正会員844名、名誉会員10名)。
会館の運営は、もと華族会館のものだった土地の3千坪をビル建設時に三井不動産に貸した地代と霞会館が所有する霞ヶ関ビルの10階・11階のテナント料、さらに会員の結婚式やパーティなどに貸し出す収入などで賄われている。その一部は障害者施設、老人施設、癌研究所、救ライ事業団など各社会福祉施設にも寄付されている。

1884年の華族令が制定され、華族は公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五階の爵位に叙された。これらの爵位は、公家華族は家格、大名華族は石高を基に決められた[1]。また明治政府の中心人物をはじめ、明治維新の勲功者[2]や、歴史上天皇家に対して忠節を尽くした人物の子孫[3]が新たに新華族(勲功華族)として列せられた。

公爵・・・親王諸王より臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者
侯爵・・・旧清華家、徳川旧三家、旧大藩(現高15万石以上)知事、旧琉球藩王、国家に勲功ある者
伯爵・・・大納言まで宣任の例多き旧堂上、徳川旧三卿、旧中藩(現高5万石以上)知事、国家に勲功ある者
子爵・・・維新前に家を起した旧堂上、旧小藩(現高5万石未満)知事、国家に勲功ある者
男爵・・・維新後華族に列せられた者、国家に勲功ある者

内藤 子爵

石田 男爵