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酒井億尋 →略歴(2012石橋コレクション展より)

1894 佐渡 佐和田町(多摩美術大学村田晴彦元理事長と同郷) 生

 

1926年 早稲田実業学校卒

1915 日刊新聞「新佐渡」創刊号の題画 酒井億尋画

佐渡ヶ島から上京した当初は画家志望であったが、強度な近視

大正、昭和期の画家達のパトロン

梅原龍三郎や安井曽太郎などとも交流があり、安井は家も近所で、荏原の熱海寮で長期滞在し制作したこともある。

「中村屋サロン」で5歳ほど年長の中村彝を知る。
家も供に下落合近辺であり頻繁に彝のアトリエに出入りし、
後年「中村彝会」が彝のアトリエの維持に困難が生じた際、これを買い支え、鈴木誠の所有に繋げた。 

「目白文化村」第三文化村に隣接した佐伯祐三の[下落合のアトリエ] 下落合661番地
1925年の「下落合事情明細図』の「酒井億尋」名義の地番で、隣接する二筆の土地の一筆が佐伯祐三の下落合のアトリエの場所
佐伯の自宅兼アトリエは、当初から酒井名義の土地に建てられていた。

荏原の創業者:畠山一清の長女:睦を娶り、その後二代目社長、会長を歴任、大企業に育て上げた功労者

1935 多摩帝国美術学校が借入3000円(校舎建築費の頭金15000円として五島慶太に支払う)

1946 多摩帝国美術学校が荏原製作所羽田工場青年学校から教具を貰い受ける
   (溝ノ口の木造三階建600坪と木造平屋200坪を大蔵省国有財産部から借用し、学校工場を稼働)

1957 洋画界の登竜門、「安井賞」を主宰する財団法人安井曽太郎記念会の理事長
    第02回展(1958年) - 野見山暁治「岩上の人」
    第03回展(1959年) - 中本達也「群れ」
    第10回展(1966年) - 宮崎進「見世物芸人」
    第25回展(1982年) - 相笠昌義「カラバンチェロの昼さがり」
    第26回展(1983年) - 大津英敏「KAORI」
    第32回展(1989年) - 福田美蘭「水曜日」
    第39回展(1996年) - 小林裕児「夢酔」

勲三等旭日中綬章を受賞

1962 パリ国立近代美術館「東京石橋コレクション所蔵 コローからブラックへ至るフランス絵画展」
    出品50点のうち数点は同館のコレクションではなく酒井億尋寄託
    セザンヌのk「リンネルの上の果物」1890-94年 ルノワールの「赤いコルサージュの少女」1905年

1966 エバラ画交会 発足

1973 酒井億尋 寄贈「風景」川上涼花 1917