アントニン・レーモンド Antonin Raymond 1888-1976

[レーモンド設計事務所] Rejman(レーマン)ラジマン→レイモンド []

1919年 帝国ホテル設計施工の助手としてライトと共に来日 Imperial Hotel
1921年 レーモンド建築設計事務所開設
1928〜1934年 聖心女学院、聖ロカ国際病院、ソビエト大使館、アメリカ大使館、東京ゴルフクラブ、フランス大使館
1938年 アメリカに帰国 焼夷弾の開発協力 焼夷弾 ユタ砂漠の日本住宅
1948年 再び来日 事務所を再開する
1950年 株式会社レーモンド建築設計事務所に法人改組 顧問弁護士 高橋修一

 

1970年 レーモンド展 松坂屋銀座店
1973年 引退帰国
1976年 没

レーモンド設計の建築金物を製作していたのが、銀座の鍛冶屋「大井工場」の大井義太郎
1970年 「大井工場」の大井修が、高橋士郎キネチックアート「立体機巧」を製作 大阪万博三井館
 イサムノグチ