「学校騒動慢性化時代」明治期に始まり、昭和初期にピークを迎えた

1898年 美術学校騒動
1917年 早稲田騒動
1921年 水戸一高同盟休校
1927年 東洋音楽学校 2月
1927年 東京音楽学校 10月

1929年 旧制弘前高等学校同盟休校
       2月18日    鈴木信太郎校長(元京都帝国大学書記官)による会館建設資金流用疑惑が報道
       2月19日-22日 生徒ら同盟休校
       2月25日    校長休職で落着 
1930年 太宰治が官立弘前高等学校文科甲類を卒業 [青森県近代文学館]
       7月 青森地方の同人雑誌「座標」に発表 筆名大藤熊太 [太宰治] [オーディオブック]

1930年 太宰治私小説『学生群』
授業を拒否しクラス会を決行し生徒大会実行委員を2名ずつ選挙。実行委員30名・級長30名・各部活動1名ずつ、で準備会を開く。生徒大会で決議文を作製し10人が交渉委員となり相手方に手交、決裂し休校が始まった。実行委員会(本部、最高幹部会)を設け綿密に打ち合わせる。クラス会での意見を本部に報告したり本部から指令が来た。教師も反ストライキ派の学生生徒を使い切り崩しを試みたり妨害したりした。
1930年 東京府豊島師範学校 12月
1931年 [学生社会運動史] 菊川忠雄 海口書店(1931中央公論社)
1931年 東京高等商業学校 籠城事件
1931年 慶応義塾大学盟休
1931年 日本大学 芸術科盟休 11月
1931年 東京音楽学校 3月
1932年 拓殖大学 5月600名校内に篭城 各クラスより実行委員をあげ会計、警備、炊事、交渉、衛生の各係
1932年 高松高商 籠城組は統制部、父兄部、新聞係、衛生係、会計係等の部署
1932年 旧制第五高等学校
1933年 京都帝国大学滝川事件
1934年 旧制広島高等学校 同盟休校 校長が休職後辞任 生徒10名処分
1935年 「帝国音楽学校」同盟休校 2月8 日
1935年 「帝国美術学校」同盟休校 5月16日