ムカルナス:回教建築の鍾乳石状装飾 English 高橋士郎
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2002年に、南アフリカのブロンボス洞窟で、人類最古の手作業と思われる77000年前の痕跡が発見された。 この粘土石に刻まれた、3組の平行線を組み合わせた幾何学文様は、竹細工を連想させる。石器時代の竹細工は腐敗して消滅し、現存しないが、竹細工は人類の原始より、さまざまな用途に利用されてきたに違い無い。 77000年前というと、現在の人類が生存していた最古の時代である。ホモサピエンスが出現した当初より、人類の遺伝子には数理的な美意識が隠されていたに違いない。 2007年には佐賀県の東名遺蹟で、縄文早期の木製編籠が出土し、7000年前の幾何学造形の現物をみることができる。 竹細工は直線材の交叉で四目編の平面を生成する。 四目編をバイアス方向に延ばせば変形が可能であるが、二組の四目編を組み合わせて組織を固定することもできる。 また四目編に斜の材を挿入すると、六目網となり、組織が固定する。 さらに、四目編にしろ六目網にしろ、任意の箇所の編目の辺を減じて三目または五目にすれば、その部分から非ユークリッド的な立体構造に発展させることができる。 現代のナノテクノロジー技術で分子構造による微少な立体構造を生成するときに、竹細工の構造が参考とされたという。 |
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このように、東アジアの湿潤地帯における数理造形が竹細工の直線構成に起因するとするならば、中央アジアの乾燥地帯においては、煉瓦単位元の集合問題が幾何学的な造形の起源と考えられる。 イランの集落に近づいて行くと、先ず、回教寺院の尖塔ミナレットが太陽の直射を受けて、きらきらと蜃気楼のように浮かび上がるのが見える。まるでレース編みのように繊細な壁面文様に近づいてみると、華麗な文様とみたのは、貧しい日干し煉瓦を積み上げた壁の凹凸にすぎない。 風に舞い上がる無形の泥土を、オアシスの水で捏ねて一定の型枠に固め、砂漠の強烈な太陽光で干した煉瓦の単位元を無数に組み合わせて、結晶のようなシンメトリの世界を構築するのがペルシャの煉瓦建築である。集落の水が枯れると、日干し煉瓦の建物は崩れて、風に舞う元の土にもどる。 イスファハンのマスジト・イ・ジョメに行くと、古い時代の煉瓦積みドームの内面は、さまざまな幾何学紋様でおおわれている。 それらの表面文様は、建築の表面に取り付けた表面装飾ではなく、構造用の煉瓦ユニットを下から順次一定のプロセスで積み上げていく過程で、集積壁面の表面に形成される文様であり、それぞれの文様はその積層プログラムの違いを表している。 1891年のフェドロフや1924年のポリヤなどの論文「平面における結晶の対称性のアンソロジー」で明らかにされた「17種類の壁紙シンメトリ」は古くからの工芸文様に全て造形表現されているという。 近代美術史の中心をしめたのは、ギリシヤやローマの写実的な具象美術を継承した、西欧キリスト教芸術であるが、偶像禁止を教義とするイスラム美術は、抽象的で数理的なシンメトリ感覚を発展させたために、キリスト教美術の芸術観とは相容れない異様な美がある。 人類の遺伝子が、単純なゲノムの配列から成ることが明らかになるにつれて、われわれが忌み嫌う機械的なものも、実は人類の遺伝子に潜在する人間性の一面であるように思えてくる。大脳皮質を肥大化した人類は、己の機械的な本性が嫌いなので、自由奔放な芸術に憧れるようである。 ペルシャ絨毯のアラベスク文様というと、煩雑で趣味の悪い装飾のように考えるが、茫漠とした砂漠の空虚の中で見る精巧なシンメトリの世界は、意外にも静寂な安らぎがある。 ムカルナスの美は、現代のコンピュータ・アートや、実験的環境芸術に相通ずる新鮮な魅力をもっている。
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