ムカルナス:回教建築の鍾乳石状装飾 English 高橋士郎
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乾燥地帯においての生命の営みは、土塀の囲い(Faradis)の中でおこなわれる。囲いの中には、遠く雪山の麓から延々と掘削された地下水路(カナート :Qanat )によって水を導きオアシスを完成させる。囲いの外側は植物の育たない無意味な世界である。「Paradies:天国」の語源は、古代ペルシャ語の「Pairidaeza:囲い」であるという。 イスファハンの王の広場を囲む建築ファサードの華麗な仕上げとは対照的に、その外側は極端に粗雑な土の仕上げであり、ペルシャ建築の外観への無関心がよくわかる。一般の住宅においても、粗末な土の外観に比べて、室内の豪華さには驚かされる。 イラクの霊廟建築の場合にも、外観はほとんどやりっ放しの未完成建築のようで、奇異な感じがするが、異様な土の外観は、その内部に魂の空間が存在することを強烈に暗示する。内面世界と外界世界の断絶は、砂漠の民のある種の無常感の表現なのであろうか。 エローラの石窟寺院などのように、通常の内部空間には、彫刻オブジェや石棺などが中央に設置されるが、イスラム寺院の内部は、僅かにメッカの方向をしめすキブラが壁面に標されるだけで、空間自身は虚ろのままで何も無い。
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図版:イスハファンのアリーカプ宮殿の壁面
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したがって、イスラム寺院の内部には、現実空間を消去し、無限の心象に昇華させる、様々な仕掛が演出される。 イスハファンのマスジド・イ・ルトフアッラのアラベスク文様で全面を覆い尽くされた球形ドームの環境は、現代のオプティカルアートを見るような幻覚を体験させる。 イスハファンのアリーカプ宮殿の透かし細工のムカルナスは、内部空間を二重に演出し、壁面構造体を消去しようとする。 イスハファンのチェヘルストンの鏡張りのムカルナスは、建築物そのものをを消去しようとする。 ムカルナスは、建築の内部空間に開花した、負の造形芸術であり、太陽の下に塊を造形する西欧的な彫刻とは全く逆の発想といえる。 イスラム建築を考察する際に、その外部形態のみを論ずるのは、西欧的な美術史の観点に捕らわれた狭い視点といえる。 モーゼが山の頂上で神の啓示を受けたのとは対称的に、モハメットは 洞窟の内部で神の啓示を受けた。オブジェに対峙する人間の存在と、生態学的環境に内包される人間の存在の相違といえる 生態環境 |
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このようなムカルナスの、負の空間形態を表示しようとする場合、一般的な絵画表現が使用する陰影技法は不向きであり、コンピュータグラフィックの一般的なシェーディングソフトでムカルナスを生成表示してみれば、実にとりとめの無い形態表現にしかならない。 通常、我々は太陽光の下での物体の見え方を共通感覚として、絵画に描かれた陰影から形態を認識する。人工光源に照らされた室内空間を表示する場合は、その光源とオブジェとの関係を同一の画面に表示しなければ、その虚の空間の形態を正確に表現することは難しい。 ルネッサンス期の透視図法の研究では、形態の構造を究明するために、もっぱらワイヤーフレーム状の補助線が使用された。線による描写は、人間の視覚認識に必要な光の陰影を介する必要がないので、表面反射の質感や文様に煩わされることなく、形態の構造の本質を表示することができる。 石膏デッサンを描く時に、まず隠線(アウトライン)であたりをつけて形態の構造を把握し、その後に、陰影(トーン、バルール)をつける手順をとるのは、同じ理由による。 負の造形であるムカルナスの表示には、陰影表現よりも線図が適している。ただし、天井伏図では、垂直方向の上下関係が表現できないので、等高線の上下関係を別の方法で表示する必要がある。 テヘラン郊外から発掘された13世紀の煉瓦板に線刻されたムカルナスの設計図や、トプカピ宮殿が所蔵する16世紀始めに描かれたムカルナスの巻物は、いずれも天井伏図によってムカルナスの形態を記録していて、ムカルナスの設計が天井伏図で行われていたことが明らかである。 |