多摩美術大学の歴史(高橋士郎講義ノート) →多摩美術大学の歴史
溝ノ口校舎の沿革 神奈川県川崎市高津区久本2-3-1
1946年
多摩帝国美術学校 4月溝の口で再開 美術部40名 建築部10名 工芸部50名
村田晴彦 大蔵省国有財産部から溝の口軍需工場(元日本光学)2棟820坪を借用
村田晴彦 荏原製作所の羽田工場青年学校から教具を貰い受ける 酒井億尋社長
(1946年 隣地に洗足学園が移転)
「学校工場」を操業 (戦時の学校工場) 製品の電気スタンドは、 日田出身の林藤一郎が氷式冷蔵庫を試作
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1947年 多摩造形芸術専門学校 校長 井上忻治 3月
村田晴彦 大蔵省国有財産部から木造三階建600坪と木造平屋200坪を借用
1953年 学校法人多摩美術大学 経営の自立
1958年 溝ノ口校地校舎2棟800坪、校地1,763.99坪を大蔵省より払下300,0000円 12月 1962年 学生寮鉄筋3階487.32坪4,953,000円 3月 |
1954年『多摩造形芸術専門学校』を |
1992年 洗足学園に包囲されるが、東京建物に売却 八王子西地区取得の原資とする | 1973年 デザイン科を新設 絵画科増設 1976年 専修学校制度による専門課程に移行 1992年 多摩芸術学園閉校 |
武陽玉川八景之図 青陵岩精 |