多摩美術大学の歴史高橋士郎講義ノート)参考文献

清らかに、多摩川の流れ はるかに富士の姿をうつし 森陰にふく自由の風 
のびゆく若葉の 希望をこめて 我ら美しい 未来をえがく



吉祥寺時代 年表 1910-1934
1) 大正デモクラシーの思潮を受けた大正の自由教育は、関東大震災の後、昭和の文化政策に移行していく。
2) 北れい吉が開設した、帝国美術学校と帝国音楽学校は、知識人である北の理想に反して、内部分解する。

        吉祥寺時代 ( 6年間) 吉祥寺校地の沿革  教員一覧 学生一覧 登場人物 多摩美と武蔵美



上野毛時代 年表 1935-1974
3) 新入生と、杉浦非水教室の編入により、多摩帝国美術学校を開校するが、空爆により校舎は灰塵と化す。
4) 戦後、村田晴彦が、旧軍需工場を借用して、多摩造型芸術専門学校を再生、多摩美術大学に発展させる。
5) 北から継承した、村田の独断的な経営は、学内外に様々な紛争を生じたが、定年退職の年に他界した。

        上野毛前期 (11年間) 上野毛校地の沿革  教員一覧 学生一覧 役員一覧
        溝の口時代 ( 7年間)  溝の口校地の沿革  学生数の推移
        上野毛後期 (22年間)   (その他校地)  登場人物 教員の変遷 役員の変遷



八王子時代 年表 1975-
6) 多摩美術大学は八王子に全面移転するが、多摩ニュータウン事業の停滞により、校舎建設は20年間停滞
7) ニュータウン事業が廃止されると、多摩美術大学は、八王子キャンパスの建築を再開し教育改組を進める
8) 新しい私学振興助成法に基づく大学運営は、自由活発な美術学校の特徴を薄め、一般大学化する。

        八王子前期 (21年間) 八王子校地の沿革  開発物語 鑓水綺譚 Tama博物誌
        八王子中期 (11年間)           tamabi 0.2 アーカイブス
        八王子後期               tamabi OS 芸術村構想 多摩美会構想