→帝国美術学校 →多摩美術大学の歴史 →高橋士郎

1935年 帝国美術学校 学生一覧  →教職員一覧 →紛争関係者一覧 

a. 多摩帝美へ編入

土方重巳 
b. 他校へ転校

李仲燮
c. 繰上卒業

小館善四郎
d. 移転反対

郡山三郎

図案科会名簿1941 →村田口述1954 
1929年 入学21名(合格17名 補欠4名 受験者19名)10月22日始業式 17歳以上
西洋画科1期生 合格9名:石原義臣 木村友一 太田真一 大久保實雄 大山幸雄
           佐藤政治 三村信次 宮竹智 野沢武美
       補欠3名:小林良啓 藤牧博 福島加壽美
日本画科1期生 合格4名:菅野剛吉 浅香金四郎 尾竹邦雄 嶺藤賢四郎
       補欠1名:中村録郎
工芸図案1期生 合格4名:佐藤基 大井博 細野正雄 鈴木道明
卒業生
  1933 洋画科卒 皆見鵬三 1935 帝美特殊研究生
1935多摩帝国美術学校 助手 1940復帰
1929 入学 1934 洋画科1期 卒 野沢武美 1935 卒業生事務所 統制部
1937[武蔵美大校友会]2代目会長
    大久保實雄 1935 卒業生事務所 統制部
   武蔵美大評議員
    大貫悌二
( 漁二)
1911八王子 生
1934 帝美 助手 
1935 卒業生事務所 統制部
1930 入学 1935 洋画科 卒 岡本治男 [] 1909 生
1935 卒業生事務所 統制部
    平田俊三 1935 卒業生事務所 情報交渉係
     小松正利    徳島県
1935 卒業生事務所 所内係
   天狗久3代目から技術修得 []
     藤田義本 1935 卒業生事務所 記録文書係
    笹森圭 1935 卒業生事務所 会計係 
    藤原一郎 1935 卒業生事務所 武蔵野町
    藤原庄治
   北部武蔵野町「一家失踪事件」
  1935 工芸図案科卒 野津憲之丞 1936 多摩帝国美術学校 助手
1956多摩図案会 森永商事札幌支店
    磯辺陽 1935 多摩帝国美術学校 助手
1956 多摩図案会 フリー
    英賀重雄
江坂実
河合雄二
川勝得三郎
小林彰
桜井善三郎
鈴木道明
筑井重
伏見俊長
三浦和美
山村一平
渡辺喜代太郎
1956 多摩図案会の会員

西洋画 60名(内13名が多摩帝美へ編入)

1931入学 1935 洋画科5年 二階堂顕蔵 盟休生代表 内部委員5/16
天王寺師範教師 浪曼文芸
  1935 洋画科5年退学
1935 多摩帝美 編入
五十嵐麗雄 1911石川県
1936多摩帝国美術学校 卒業
1952多摩造形芸術専門学校 卒業
    反町博彦 1937多摩帝国美術学校 卒業 助手
    寺内鮭三 1943 多摩帝美 職員
    中村太郎 1935 新撰組
1937 多摩帝美 卒業
1932入学 1935 洋画科4年退学
1935 多摩帝美 編入
邱潤銀 1910 台湾
1937多摩帝国美術学校 研究科 卒業
  1936 洋画科繰上卒業 小館善四郎 1914大館
長谷川善四郎 小山初代との姦通告白
  1938 洋画科卒業 豊田三郎 1908福井
中島飛行機教育宣伝係
  1939 洋画科 卒業 国松登 1903 函館
    福井敬一 1911台北
1953~90武蔵野美術大学非常勤講師
1933入学 1935 洋画科3学 村本良三 26 4/22検挙 学生集会司会
1935 北が除籍処分
    郡山三郎 28 4/22検挙 学生集会司会
1935 北が除籍処分
1946 武蔵野美術研究室
    山鹿正純 入構負傷事件
1935 北が除籍処分
    矢崎博信* 1914長野
1935 北が除籍処分
戦没 1944 29歳 「アニマ」を結成1935
    内海九郎 1935 北が除籍処分
    東原徹 1935 北が除籍処分
    盬田三郎 1935 北が除籍処分
    齋藤達雄 1935 北が除籍処分
    日高大三 1935 北が除籍処分
    古賀秀一 1935 北が除籍処分
    境田繁 1935 北が除籍処分
    横山千勝 1935 北が除籍処分
1934入学 1935 洋画科2年
1939 卒業
浅原清隆* 1915播磨
映画研究会
1935 北が除籍処分
行方不明 1945 ビルマ 
    大塚耕二* 1914熊本
1935 北が除籍処分
戦死 1945 フィリピン ルソン島 31歳
    長谷川宏 1935 北が除籍処分
    佐藤忠夫 1935 北が除籍処分
    小田正春 1935 北が除籍処分
    村上義巳 1935 北が除籍処分
    山口英哉 1935 北が除籍処分
    野尻三郎 1935 北が除籍処分
    板坂勇* 1935 北が除籍処分戦死
    香取巌 1935 北が除籍処分
    岸敏郎 1935 北が除籍処分
    松岡継男 1935 北が除籍処分
    渡邊武* 1935 北が除籍処分
    柏谷正太郎 外部委員5/16
    池田俊一 盟休生代表
    和田正一 盟休生代表
    赤木直梢  
    石川清  
    金源鎮 学費未納 在学証明書を要求
    寺田 札幌訪問
    鈴木一徳 退学届(新撰組?)
      森堯之* 1915徳島
戦病死 ビルマ 29歳 日本工房カメラマン
    小山田二郎 1914中国
(1934図案科) 1935洋画科転入
  1935 研究科 傅抱石 1904
1935 入学 1935 洋画科 内堀勉 1911木曽
1936 入学 1935 洋画科 退学

李仲燮

1916韓国
1936 文化学院へ転校
1937入学 1935 洋画科
1940 卒業
三輪田俊助 1913宇和島
  1943 洋画科繰上卒業 斎藤博之 造型美術学園1947 助手
    郭仁植
郭仁に改名
1919韓国
1939多摩帝美入学 1941研究科卒
1943入学  洋画科   中西勝 1924
    木村忠太 1917香川
    井上孟 1912
武蔵野美術大学講師 讃岐公論表紙
     阪倉宣暢 1913西宮
日本画科30名(内1名が多摩帝美へ編入)
1931入学 1935 日本画科5年
1936卒
盬出英雄 1912広島県生
1935 クラス会場 武蔵野町吉祥寺431
1963 武蔵野美術大学教授
1932入学 1935 日本画科3年 永井宏 1935 クラス会場 杉並区西荻窪
  1935 日本画科3年
1938 卒
庄司正 1916 山形市生
1935 北が除籍処分
戦没 1944 パプアニューギニ 28際
  1935 日本画科3年退学
1935 多摩帝美 編入
高橋重郎 1935 新撰組 退学届
1938多摩帝美卒業
1940多摩帝美助手1年
  1935 日本画科 中井宏 クラス会場 杉並区大宮前4-361

彫刻科 35名(内1名が多摩帝美へ編入)

1931入学 1935 彫刻科4年退学
1935 多摩帝美 編入
児島正典 1913生
1935 新撰組 退学届
1937多摩帝美卒業
工芸図案科80名(内40(37)名が多摩帝美へ編入)
1931入学 工芸図案科5年退学
多摩帝美 編入
高島武敏
柴田禎五
田沢次郎
佐々木順
瀬川眞
成瀬栄一
海老名崇五
多摩帝国美術学
1932入学 工芸図案科4年退学
多摩帝美 編入
岩淵秀夫
豊藤正文
小宅俊一郎
宮桐四郎
山内秀一
多摩帝国美術学
1933入学 工芸図案科3年退学
多摩帝美 編入
土方重巳
青木辰雄
福浦三郎
多摩帝国美術学
1934入学 工芸図案科2年退学
多摩帝美 編入
重信文雄
竜蔵寺直彦
綾部義忠
栃谷達
菊池友一
鈴木敦夫
中野菊夫
平松幸彦
満江清
(室田豊四郎)
(矢島健三)
稲垣孝之助
原田泰三
多摩帝国美術学
1935入学 工芸図案科1年退学
多摩帝美 編入
原 安佑
小谷博貞
下村俊
関正
高橋七郎
服部陽一
波根康正
山中梯司
正岡績
多摩帝国美術学