参考文献 多摩美術大学の歴史 高橋士郎
  前史  
1856 フランス式古地図「YOKOHAMA」 フランス軍
1882 ドイツ式古地図[武蔵国 南多摩郡 鑓水村] 日本陸軍
  単行本『呪われたシルクロード』1980 逸見じゅん
  冊子「ふるさと鑓水」2015 鑓水歴史研究会
1903 新潟県佐渡郡稲鯨村 戸籍簿. 村田清太郎
1916 08 29 早大学長問題顛末書 早大有志
1923 02 28 新聞記載「クローチェと対話」読売新聞 北れい吉
1924 単行本「在鮮四年有余半」 丸山鶴吉
  単行本「幻の相武電車と南津電車」1999  サトウマコト
1927 小説「魂はおどる」 田中次郎吉
1928 翻訳「社会学上より見たる芸術」 北れい吉
  第0章 帝国音楽学校  
1917 公文書「帝国音楽学校 設置」 公文書館
1932 入学式案内 第一回 帝国音楽学校演奏会 帝国音楽学校
1933 雑誌『音楽世界』(6巻2号)帝国音楽学校を解剖 深井史郎
  第1章 帝国美術学校  
1929 公文書「帝国美術学校 設置」 公文書館
1929 09 02 吉祥寺校地 借地契約書  小美濃文太郎
1929 帝国美術学校 第一回教授会名簿 教授会
  武蔵野美術大学史資料集成「学校日誌」 武蔵野美術大学
1930 12 00 帝国美術学校 生徒募集「祖国」 北れい吉
1931    
1932 帝国美術学校 学友会名簿 学友会
1933 03 31 新聞記載「ゼンチンと語る」読売新聞 北れい吉
1934 単行本「自伝:50年ところところ」 丸山鶴吉
1934 07 25 帝国音楽学校 会員録 帝国音楽学校
1934 09 [金原省吾日記] 9-12 金原省吾
1935 01 [金原省吾日記] 1-4 1934 09
1935 02 19 帝国高等音楽学院「ビラ」 学生会有志
1935 02 帝国音楽学校「声明書」 職員有志
1935 02 11 帝国音楽学校「声明書」 学生会
1935 02 15 帝国音楽学院「創立までの経過報告」 在京同窓生
1935 03 28 多摩帝国美術学校 設立申請類 公文書館
1935 04 24 新聞記事「同盟休校」朝日 読売 東京日々 池田愛子
1935 05 [金原省吾日記] 5-7 金原省吾
1935 05 25 木下宛書簡 北れい吉
1935 06 24 多摩帝国美術学校 同盟休校事情報告 多摩帝国美術学校
1935 06 28 新聞写真 校舎釘付封鎖 朝日新聞
1935 06 00 帝国美術学校 紛争の顛末 多摩帝国美術学校
1935 07 05 書簡 木下宛教授団通告書 教授団代表井上
1935 07 09 絶縁状 学生一同
1935 08 [金原省吾日記] 8 9 金原省吾
1935 帝国美術学校創立事情 金原省吾
1935 移転訴訟 原告木下成太郎 東京地裁
  第2章 多摩帝国美術学校  
1935 09 06 多摩帝国美術学校「多摩帝国美術学生る」 多摩帝国美術学校
1935 多摩帝国美術学校「設立趣旨書」  
1935 09 00 多摩帝国美術学校「学長挨拶」 杉浦非水
1935 09 10 多摩帝国美術学校「生徒声明書」 生徒一同
1935 09 18 南隣地 借地契約書  小美濃文太郎
1935 10 [金原省吾日記] 10-12  金原省吾
1935 「1936度 生徒募集要項」職制 多摩帝国美術学校
1935 伝記「東方の光」1981 岡田茂吉
1935 02 工事随想「工芸美術」1巻2号 今井兼治
1936 03 17 兵役猶予 不許可通知 公文書館
1936 05 25 『デゼグノ』1号 多摩図案会名簿  図案会
1936 05 25 「図案家生活30 年の回顧」デゼグノ 1号 杉浦非水
1936 11 01 『デゼグノ』2号  図案会
1936 広告界記載「自伝60年 帝国美術学校」 杉浦非水
1937 04 03 『デゼグノ』3号 図案会
1937 07 07 『デゼグノ』4号 図案会
1937 10 30 財団法人多摩帝国美術学校 設置 公文書館
1937 11 08 『デゼグノ』5号 図案会
1937 多摩帝国美術学校1938度 入学案内  多摩帝国美術学校
1937 多摩帝国美術学校1938度 女子部入学案内 多摩帝国美術学校
1938 03 15 『デゼグノ』6号 図案会
1938 06 13 『デゼグノ』7号 図案会
1938 02 10 『デゼグノ』8号 図案会
1939 04 30 『デゼグノ』9号 図案科会
1939 12 18 『デゼグノ』10号 図案科会
1939 『多摩美術』第1号 TTB
1940 単行本「皇紀2600年」 大川周明
1941 『多摩美術』第2号 TTB
1942 『多摩美術』第3号 TTB
1943 『多摩美術』第4号 TTB
194411 00 『多摩美術』学徒出陣号 名簿 TTB
1945 日記「徒然草紙」 牧野虎雄
1946 06 25 国会会議録「帝国憲法改正案」北れい吉 国会議事録
1946 07 25 国会委員会「帝国憲法改正案」北れい吉 国会議事録
  第3章 多摩美術大学  
1946 多摩造形芸術専門学校 設置 公文書館
1947 03 01 多摩造形芸術専門学校「復興宣言」 多摩造形芸術専門学校
  談話 渡辺素舟 1984 渡辺素舟
1948    
1949 03 08 『多摩美術』復刊第1号 多摩造形芸術 校友会
1950 多摩美術短大 設置 公文書館
1951 雑誌記載「政界回顧20年」月刊:日本乃日本人 北れい吉
1952 学生の身分等に関する綴 多摩美術短期大学
1952 多摩美術学校第16回卒業生住所録  
1952 冊子「猶興」巻頭言 北れい吉
1952 多摩美術大学 設置 公文書館
1952 12 00 多摩美術大学後援会 会長 北れい吉
1953    
1954 記載「美術大学新聞」祝辞 井上忻治
1954 04 30 『DESEGNO 新しいデザイン』創刊号 小谷博貞
1954 多摩美会簿 卒業生 職員 多摩美会
1954 11 11 記載「創設から現在に至る思い出」美術大学新聞 村田晴彦
1955 学生募集ポスタ 1955-1962 多摩美術大学
1956 01 00 尼図案会 名簿 在校生名簿 多摩図案会
1957    
1958 設計図 上野毛講堂 佐藤次夫
1959    
1960 05 27 記載「多難だった学校設立」美術大学新聞 村田晴彦
1961    
1962 環八補償 東京地裁
1963 単行本[武蔵野美術大学を造った人びと] 高橋陽一
1963 12 15 冊子「北れい吉 追想記」 選挙戦を偲ぶ 村田晴彦
1963 多摩美術大学教員名簿 1964年度 募集案内 多摩美術大学
1964    
  第4章 大学紛争  
1965 06 10 本学の沿革 創立の経過「事件の真相」 村田晴彦
1965 09 20 溝ノ口の土地について 村田晴彦
1966 03 30 第51回国会 文教委員会「多摩美術大学」 国会議事録
1966 逸見訴訟 公文書偽造 東京地裁
1967 校地陳情経過1967-1972 村田晴彦
1967 多摩美術大学1968年度 学生募集要項 未刊
1967 逸見訴訟 登記偽造 東京地裁
1967 10 18 学生運動に関する建白書 村田晴彦
1967 ベ平連マーク  
1968 06 14 総合美術大学構想 通称石田ビジョン 石田英一郎
1968 08 19 理事会議事録「芸術学科」  
1968 09 20 逸見宅強制執行 東京地裁
1969 01 ライオン会開催手帳 高橋史郎
1969 01 00 学外ゼミ 全学教授会
1969 01 25 「多摩美術大学の現状」 村田晴彦
1969 02 07 筒井解雇の件 村田晴彦
1969 02 15 訴訟説明 池留三
1969 04 12 壁面掲示「次期体制への非協力宣言」 教授36名
1969 05 17 自主講座 全学教授会
1969 06 03 壁面掲示「大学立法に反対声明」 全学教授会
1969 08 07 大学臨時措置法 国会
1969 10 15 第61回国会 文教委員会 国会議事録
1969 10 闘争の源泉 全闘委
1969 12 01 「紛争の概要」 多摩芸術学園
1970 01 22 特別講義科目  
1970 02 01 現状について訴える m 全学教授会
1970 03 19 メモ 教員名簿  
1970 04 27 メモ 教員昇格  
1970 08 25 「紛争の経過ならびにその後の学内問題」 多摩美術大学
1970 記録写真ネガ一式 高橋士郎
1970 高橋満寿男書簡1996-1975  
1970 「闘争記」 滝田
1971 01 11 八王子計画 八王子計画 理事会 教授会
1971 04 11 朝日新聞「幽霊校舎」  
1971    
1971 04 12 敗訴への反論 学校法人弁護団
1971 04 12 高裁上申書 村田晴彦
1971 針生訴訟 学外教員18名地位保全 東京地裁
1971 多摩美隣接地域の開発案 高橋史郎
1972 02 24 スクールバス運行開始  
1972 03 13 多摩美の企画性 村田晴彦
1972 05 10 「新入生歓迎号」実行委員会 学友会
1972 04 01 隣地払下再申請 村田晴彦
1972 05 28 自然環境陳情 村田晴彦
1973 03 00 全学協力体制 村田晴彦
1973 04 01 デザイン文様研究所 江上波夫
1973 10 20 「文化外交についての建白書」 村田晴彦
1974 03 00 「多摩美術大学の沿革史 思い出の記」 村田晴彦
1974 04 17 岡田宛質問状 村田晴彦
1974 04 26 学長候補選挙 真下学長
1974 04 30 学長選挙の疑問点 村田晴彦
1974 05 25 真下教授会不正開催 井上監事 池監事
1974 06 05 理事長辞任反対 多摩芸術学園
1974 10 03 文化外交 陳情 村田晴彦
1974 10 23 教育システム改善 村田晴彦
1974 多摩芸術開発協会 村田晴彦
1974 11 20 疑問点への反論 山脇
1974 11 20 5理事 村田辞任勧告 5理事
1974 11 25 教員組合 団交書 奥野健男
1974 12 11 学長候補承認要望 教授会
1974 12 26 学長就任 選挙手続 理事長背任 山脇
1974 5理事訴訟 理事長職務停止 東京地裁
1975 01 08 5理事 村田の失格確認 5理事
1975 02 12 不正入試投稿 匿名
1975 02 25 真下山脇訴訟 地位保全 東京地裁
1975 02 25 朝日新聞「法定闘争」  
1975 02 27 高田訴訟 学長不正入学 東京地裁
1975 02 27 第75回国会 文教委員会 国会議事録
1975 03 05 不正入学経過 山脇 真下
1975 04 08 教授会決定の先例 第1回−72回  
  第5章 空白の20年  
1975 07 11 私学振興助成法 国会
1976 「多摩美術大学40年の歩み 1935-1976」 江尻 高橋
1976 12 08 「特別調査委員会報告書」. 田中一
1978 03 11 不正入学の事実. 山脇
1981 10 19 芸術学科開講 東野芳明
1982 04 21 シルパコーン大学と締結  
1983 「多摩美術大学研究紀要」創刊  
1986 「多摩美術大学50年史 1935-1986」草案 高橋史郎
1989 美術学部二部  
1991 「武蔵野美術大学60年史 1929-1991」  
  単行本「仲宗寺」 仲宗寺
  第6章 改組と再開発  
1996 文部省訪問日誌 改組 高橋史郎
1999 「第一回自己点検報告書」 高橋史郎
2003 「第二回自己点検調査」 森下清子
2006 「つくる図書館をつくる」  
  第7章 停滞の12年  
2009 「武蔵野美術大学のあゆみ 1929-2009」  
2015 「多摩美術大学の60年 1935-2015」  
  新たな局面