多摩美術大学の歴史(高橋士郎講義ノート) →多摩美術大学の歴史

第5章 大学紛争  理事会の自立と大学紛争 上野毛後期 (22年間)  →登場人物 

1961
昭36
村田晴彦理事長登記 2/25
     
北れい吉逝去8/5
奥野健男 教授
夏期講習会開催   グリーンバーグ『近代芸術と文化』
1962
昭37

第1実習棟コンクリート
後藤狷士 教授
駒井哲郎「メゾチント」
溝の口学生寮
  サザランド「Sketchpad」
『野生の思考』ストロース
『フルクサス国際現代音楽祭』
1963
昭38

環八セットバック
村田晴彦理事長が欧州米国視察旅行
図案科をデザイン科と改称

おふで祭り
 
「セキスイハウスA型」
新住宅市街地開発法
  前期紛争 理事会の分裂
  村田理事長 学友会 正常化連盟  
1964
昭39
→教員一覧
『大学院美術研究科』修士課程設置
大場磐雄 石棺
環八道路補償費受領 151,40万円 9/
環八道路騒音補償訴訟 5000万円
八王子合掌造移築 運動場道路造成
上野毛図書館 
村上一郎 教授


学友会 全学ストライキ 6/14

授業放棄 民青 6/15


平凡パンチ創刊 大橋歩
東京オリンピック
1965
昭40

八王子運動場完成 紀の国屋
村田記述「事件の真相」6/10
村田晴彦「創立の沿革」6/10
杉浦非水 逝去 8/18 大学葬 8/24
土地問題 9/20
[大場磐雄]教授 八王子校地の遺跡調査
奈良飛鳥寮 
斎藤義重 教授

院生が学友会支持宣言 6/14 正常化促進連盟 発足 18-9名 2/19
  三沢 豊藤 野口 中野 荒山 岩渕 室田
逸見理事が佐々木理事長を選出 3/9
逸見理事が公正証書不実記載を申立 5/
卒業生4名が文部省を訪問 6/2
逸見理事が理事長職務停止を申立 7/
郷倉千尋が社会党の河野議員を訪問

多摩ニュータウン計画決定
1966
昭41
村田入院 1/ 
70歳定年制 逸見学部長定年
上野毛現2号館完成 各研究室創設
八王子民俗資料館
学生寮  富士山純林苑
宮崎台トンネルの土地補償
加山又造 横山操 安藤更正 教授
多摩芸術学園 後藤狷士 学園長

概念派相関図

第51回国会文教委員会3/30
村田理事長の就任について質問
社会党の河野密議員

逸見理事が村田を公文書偽造訴訟 4/
滝口修造「空間から環境へ」
[Tokyo]
「作品リスト」
1967
昭42
井上忻治 理事長に就任3/14
理事 村田 後藤 大沢 松江
  池田 福沢 早川 笠置
事務局長 村田  秘書 内海幸子
「学生運動に関する建白書」10/18 村田
山脇国利 教務部長 山城正勝 総務部長
石田英一郎 東野芳明 中原佑介 教授
多摩芸術学園 松葉良 学園長
逸見理事が村田を登記偽造訴訟 6/10
東京地裁 逸見宅立退命令 9/20
学外理事長 佐々木長次郎
美濃部知事就任 ニュータウン停滞
 和田誠
  中期紛争 全共闘運動  
  経営権
理事長 理事評議員
学長 秘書室
学生
学友会 学生総会
全闘委 反帝学評
教学権
拡大教授会 学外教授会
全学教授会 学内教授会
 
1968
昭43
未刊の1969募集要項 教員一覧
村田事務局長 団交で説明 5/28
石田ビジョン八王子計画発表 6/14
理事会教授会8/19 芸学科建築科増設
石田学長の大学葬 青山斎場 11/16
村田事務局長 合同教授会を招集 12/25
学則改訂準備委員会 助手規程
針生一郎 教授
入学式 4/8
学友会の八王子建設反対運動5/10
学友会 大衆団交 5/28
全学集会 八王子計画支持 7/1
学友会 大衆団交 7/2
授業放棄 7/7
学友会執行部 社研部に交代 11/13
学友会執行部 中核派に交代 11/19

石田英一郎学長就任

全学教授会 八王子計画支持 7/4
石田学長 急死 11/9


合同教授会 12/25

パリ5月革命 明治100年 
東大 全共闘 結成 7/8
フルテン「機械展」
ICA「セレンディピ展」
キューブリック映画「2001年」

1969
昭44
1月 評議委員日誌
学校職員を緊急召集 1/14 17:30
「北岡の会」五輪記念センタ 1/19
深夜に本館の書類印鑑類を確保 1/20
「多摩美術大学の現状」村田 1/25
村田晴彦 理事長に再就任
芸術学科 建築科 設置認可
八王子本館(幽霊校舎)完成
村田理事長 入院
本館棟封鎖1/13
社研部30名 本館棟封鎖 22:00
    封鎖完了 1/14, 4:00
彫刻科学生 バリケードを撤去
学友会執行部 全学を封鎖 1/17
学生総会 封鎖解除決定 17:00
学友会執行部 全学を再封鎖 22:20
学生総会 八王子計画撤回を要求 1/28
全学教授会 学外ゼミ
福澤学長事務 村田理事長 教授会出席 1/22
福澤学長事務取扱 辞表提出 1/24
教授会 1/25
針生一郎『三彩2月号』1/30
2月
村田晴彦 学長事務取扱 内海正和秘書
「解職の件」村田 2/7
八王子計画の白紙撤回合意 2/8
「訴訟説明」弁護団 2/15
学生総会 理事会と団交 2/8
学友会執行部 封鎖解除 2/10
入試開始 2/13
全学教授会発足 針生一郎 2/3
正常化連盟が文書配布 室田富四郎2/3
拡大教授会発足 2/7. 針生一郎議長
拡大教授会 理事評議員の総辞職要求 2/9
全学教授会 末松正樹学長を選出 2/13
3月 卒業式 3/23 全学教授会 教学と経営の分離主張 3/20
4月
理事評議員の総辞職を意志表示 4/4

村田理事長 手術 4/8
理事評議員 辞表提出 4/12
理事会が学生総会で団交 4/4
多摩芸全共闘が大学本館を封鎖 4/18
教授36名が次期体制への非協力宣言 4/12
学外理事が文書発送  4/23
5月
新理事評議員会 5/8  25歳評議員
全闘委 山脇教務部長を学内に連行 5/21 全学教授会 自主講座の目的を掲示 5/17
6月
村田理事長 退院 6/9  村田夫人 逝去
『多摩美紛争』8/ 『多摩芸紛争』12/
  全学教授会 大学立法に反対声明 6/3
7月 全闘委が全学封鎖 7/10 美共闘  
8月   針生一郎『美術手帳』8-9月号
9月 反帝学評 駒沢大セクト20名導入 9/5  
校内に退去命令 9/20
反帝学評がバリケード強化 10/2
10月
教授 理事 合同会議
区民会館10/4
健保会館 10/7
日本女子会館10/12
都市センタ10/16
全闘委 闘争の源泉 10/
新入生なしの大学

   国立横浜大学(工学部を除)
1年間未登校の大学
   大阪市立大学 医学部
   私立は、多摩美術大学
 
残留学生18名 逮捕 .
機動隊導入 10/19
多摩芸退去命令10/28
11月  上野毛修復工事
村田事務局長 学長事務取扱を兼 11/15
週間新潮「多摩美大の犬」11/26
評議員会 11/2714:00 12/7 12/14
大学院委員会 自由が丘会館11/2 1:00 全学教授会が学内教授会に出席拒否 11/23
12月
冊子『紛争の概要』12/1
冊子『紛争の経過』12/2
ロックアウト内で授業再開 12/2
学内教授会12/22
油科 12/25 学科 12/26
彫科 12/27 デ科 12/27
全学教 冊子『われわれの岐路』12/15

安田砦陥落TV実況 1/19 セクト
『ARPAnet』『Apollo』
山口勝弘「国際サイテックアート展」
「日本産業デザイン振興会」
『大学運営臨時措置法』8/7
第61回国会文教委員会 10/15
坂田道太 文部大臣
岡田孝平 参考人


大阪万国博覧会 ハンパク もの派
三島由紀夫自害

1970
昭45
専任教員 11名を解雇 44名を新規採用
新任教員15名1/22 特別講義 1/22
理事会 1/30 17:00
学長選考委員1/31
学長選出2/27  学長就任 4/1
教員名簿3/19 昇格人事4/27
北岡健二 監事 就任 (文部省調査局長)
評議員会 5/3 12:00 
     7/9
     7/20 17:30
     10/2 17:00
泉靖一 逝去 11/15
入試実施
受験者数2400名 過去最高 3/9
入学式 4/15
全学教授会『現状について』 2/1
有識者の支持声明2/23
針生一郎『現代の眼4月号』
真下 学外教員会談 福祉センタ 4/13
真下 学外教員会談 都市センタ 5/13
学外教員「教員組合」を結成 7/7
学外教員12名 学長職務停止申請 7/9
 
  後期紛争 学長と理事長の分離  
  理事長 学長 常務理事  
1971
昭46

理事会「八王子について」1/11
八王子移転開始
内海秘書室長 解任 グラフィック教授へ
朝日新聞 幽霊校舎 4/11
建築科開講
嶋根昭学生部長
佐々木剛三 高松次郎 教授
中村錦平「東京焼」


「新入生歓迎号」実行委員会5/10
学外教員18名 教授地位保全訴訟
岡田孝平 常務理事に就任
正常化連盟勝訴3/24
法人反論 4/12
高裁上申書 4/ pdf
1)沿革  2)再建  3)理事長交替
4)野口昭三  5)杉浦非水 逸見梅栄
6)学校葬  7)4年間の平穏

嶋正利「intel4004」
ニクソン・ショック兌換停止
1972
昭47
「多摩美の企画性」3/13
建学の理念 学費
協議会 3/82 学長選考規程改訂
村田学長事務取扱就任 4/1
隣接地払下申請書 4/1
環境庁へ陳情書 5/27
東京都へ陳情書 4/20 7/20 8/4
 (1967/5/20 1970/9/17) (1971/5/26)
連絡バス 4/27 学友会へ回答 5/23
実習校舎11棟完成 体育館 木造学生会館
デッサン棟と実習棟を上野毛より移築
高田学長候補に当選 4/21
  真下7票 高田忠8票
  評議員会が否認
真下学長候補再選出 4/26(文部省へ不届)
真下教授会 卒業証書の発行と学生抹籍

学友会質問書 9/29
学友会公開質問書回答 10/12 回答案



 
幸村真佐男『コンピュータアート展』
川端康成自害
国際交流基金
1973
昭48

都知事へ質問状1/22
学長選考規程 3/2
全学的協力体制 3/3
八王子移転完了
文様研究所開設   文化外交建白書
李禹煥 講師
多摩芸術学園にデザイン科を新設
  理事会議事録 5/30 村田 真下 岡田
  斎藤 高田 高橋 塩山 山脇 大西

第一次オイルショック 中東戦争
1974
昭49
八王子校舎移転完了 観梅会 3/3
多摩美大周辺の造成工事は停滞する。
高橋史郎 大学周辺地区の構想
村田晴彦『多摩美術大学沿革史』3/
村田「岡田宛質問状」4/17
真下学長任期 満了 4/25 再選 4/26
村田「学長選挙の疑問点」4/30
学長候補選挙
評議委員会が真下候補を不同意4/31
2監事「真下開催教授会不正」5/25
図書館 美術参考資料館完成
江上波夫 遠山啓 相馬隆 教授
チェンセン分校計画

山脇 「疑問点への反論」11/20
教授会「学長候補承認要望」12/11
山脇 「選挙手続の疑問」12/25
山脇 「理事長の背任」12/

5理事:斎藤 大西 高橋 山脇 岡田
5理事「理事長等職務執行停止」申請
  東京地裁調停
5理事「村田辞任勧告」11/20
高度経済成長は終焉
1975
昭50

不正入試投稿2/12
査問委員会開催 2/15 高田委員長
  奥野 塩山(瀬島) 田中 平野 藤谷 山城
  山脇へ解任通告2/15
高田忠が事務局長2/27
真下学長を不正入学で訴訟
地裁へ「答弁書」3/7
 証人:藤谷 川崎 森 江尻 塩山 高田 村田
真下信一学長 解雇 3/29
村田理事長 定年退職72歳 3/29
村田晴彦会長 逝去 7/16 大学葬 青山
村上一郎自害 宮崎進 教授
fc

山脇 真下「地位保全」申請 2/25
山脇 真下「経過報告」3/5
山脇  「不正入学の事実」3/11
5理事「村田の失格確認」1/8
5理事「理事会招集請求」2/15
法廷闘争 朝日新聞 2/25
東京地裁 入試協定書 2/28
東京地裁 仮処分命令申請却下 3/7
内藤頼博 理事長 学長代行に就任 4/1

学士会館
第75回国会 文教委員会 2/27
永井道雄 文部大臣
真下学長の解任について質問
共産党の加藤進議員
私学振興助成法 公布 7/11
議員立法
工場等規制法 強化