大学紛争の関係者一覧
1964-1968 前期紛争:理事会の分裂 1966 新理事: 笠置季男 後藤狷士 早川巍一郎 1967 新理事: 池田秀雄 大沢昌助 福沢一郎 松江智寿 山脇国利 |
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前期紛争
村田晴彦-1 |
1961 多摩美術大学 理事長登記 2/25 |
1947 多摩帝美 理事 1952 内海幸子採用 1954「創設のおもいで」 |
後藤狷士 | 1966 多摩美術大学 理事 |
1958 多摩芸術学園 芸術学 1962 多摩美術大学 教務部長 芸術学 |
池留三 | 1950 多摩美術大学 監事(佐渡出身弁護士) | |
池田秀雄 | 1966 多摩美術大学 秘書室 | |
学友会 | 1964 授業放棄 6/15 委員長 円谷 | |
逸見梅栄 | 1965 公正証書不実記載申立 東京地裁 5/ | 1950 多摩美術大学 理事 1953 多摩美術大学 学部長 1954 多摩美術大学 学園校長 倫理学 |
佐々木大樹 | 1965 学外理事長 3/9 | 1960 理事 |
豊藤正文 | 1965 正常化連盟 2/9 発足18-9名 2/18 | 1956 フリー 1958 多摩美術大学 図案科講師 |
岩渕秀夫 | 1965 正常化連盟 1965 杉浦非水本葬運営打ち合わせ8/20 |
1956 インターナショナル宣伝 |
中野菊夫 | 1965 正常化連盟 | 1956 詩人 |
室田豊四郎 | 1965 正常化連盟 1965 杉浦葬儀司会 8/24 1969 上野毛校舎で文書配布2/15 |
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三沢覚三 | 1965 正常化連盟 | 1944 勤労動員 1学年 1948 多摩帝美卒 1954 洋画科採用 溝の口寮世話役 1956 洋画科助手採用 多摩芸術学園 絵画 |
卒業生4名 | 1965 文部省訪問6/2 | |
野口昭三 | 1965 正常化連盟 | 1961 事務採用 |
荒山 | 1965 正常化連盟 | |
筒井宏 | 庶務課長 5/ 1965 助教授 10/1 1966 歴史学「社会新報・週間文春」投稿 |
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安達昭雄 | 1965 助教授 10/1 1966 英語 「社会新報・週間文春」投稿 |
事務員採用 |
小島利雄 | 東京帝国大学法学部卒 判事 1923 弁護士開業 [] 1932 社会大衆党より総選挙 1949 公職資格訴願審査員 |
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杉浦非水 | 1965 杉浦非水葬儀 8/24 杉浦登喜子 喪主 工藤信男 登喜子の婚約者 逸見 岩崎末吉 杉浦翠子の甥 武蔵野繊維工業 岩崎重男 杉浦翠子の甥 横浜市立大学 岡野 弁護士 光風会 小寺謙吉代表 藤浪短歌会 多摩美同窓会 |
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郷倉千尋 | 1965 文部省訪問 | 1957 多摩美術大学 理事 与作 |
中村梅吉 | 1966 第51回国会文教委員会 3/30 文部大臣 |
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河野密 | 1966 第51回国会文教委員会 14号 委員 | 東京帝国大学法学部卒 日本労農党 社会大衆党 1936 衆議院議員 以降当選12回 大政翼賛会 日本社会党結成に参加 1952 衆議院議員 社会党右派 1955 日本社会党結成 左右統一 鈴木茂三郎委員長 |
天城勲 | 1966 第51回国会文教委員会文部事務官 大学局長 1971「全米教育協会大学紛争報告」 1977「大学設置基準の研究」 |
1942 朝鮮総督県道府警視 |
波多江明 | 1966 第51回国会文教委員会文部事務官 出席 | 1955「学校運営辞典」 |
石田英一郎 | 1968 学長 | |
1969-1970 中期紛争:全共闘運動 1969 新理事: 安藤更正 斎藤彰爾 塩山敦臣 末松正樹 真下真一 横山操 1970 新理事: 高田忠 高橋満寿男 |
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中期紛争 村田晴彦-2 |
1969「多摩美術大学の現状」 1/25 「筒井 解雇に関する件」2/2 多摩美術大学 事務局長 学長事務取扱を兼 11/15 「紛争の経過ならびにその後の学内問題」12/1 |
1965「本学の沿革」6/10 「溝ノ口の土地」9/20 |
山脇国利-1 | 1936 東京大学宗教学宗教史学科 「明末清初における耶蘇教の伝道」 |
1967 多摩美術大学 教務部長 心理学 |
ライオン会 | 1969 25歳評議員 | |
社研部 | 1968 学友会執行部 変更 11/13 | |
中核派 | 1968 学友会執行部 11/17 1969 本館封鎖 1/13 |
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学生総会 | 1969 封鎖解除決定 1/17 | |
学友会執行部 | 1969 再封鎖 1/17 | |
多摩芸全闘委 | 1969 本館封鎖 5/21 全学封鎖 7/10 | |
反帝学評 | 1969 バリケード強化 9/5 駒沢大セクト | |
針生一郎 | 1963 現代美術 1969 拡大教授会 発足 議長 2/7 1971 教授地位保全訴訟 |
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坂田道太 | 1969 第61回国会文教委員会 10/15 文部大臣 |
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岡田孝平-1 | 1969 第61回国会文教委員会 参考人 10/15 1971 多摩美術大学 常務理事 |
1909 新潟 岡田良一の長男 東大法律学科 1936 文部省文書課長 文化財保護委員会事務局長 1946 国語審議会幹事 1952 文部省大臣官房文書課長 人事課長 1959 私学振興協会理事長 観光資源保護財団各理事長 |
村山松雄 | 1969 第61回国会文教委員会 文部省大学学術局長 | |
北岡健二 | 1969-1974 日本音楽著作権協会 常務理事 1965 オリンピック記念青少年総合センター理事長 1969 多摩美術大学「北岡の会 」 1970 多摩美術大学 監事 |
文部省調査局 1950「中学校の生徒指導」 1952「教育委員会の理論と実務」 1955 第22参議院文教委員会 文部大臣官房総務課長 |
1971-1975 後期紛争:理事長と学長の分離 1971 新理事: 大西憲治郎 岡田孝平 新監事: 北岡健二 |
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後期紛争 村田晴彦-3 |
1971 内海秘書室長を解任 1974「多摩美術大学沿革史」「想出の期」3/ 「学長選挙の疑問点」4/30 東京地裁調停 1975 不正入学で真下学長を訴訟 山脇教務部長を解任通告 2/15 地裁へ「答弁書」3/7 証人:藤谷 川崎 森 江尻 塩山 高田 村田 理事長退職 3/29 村田晴彦会長 逝去 法人葬 青山 7/ |
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真下信一 | 1972
学長候補選出 4/21 真下7票 高田忠8票 評議員会が否認 学長候補再選出 4/26 (不届) 1974 評議委員会が真下候補を不同意 4/31 1975 学長解雇 3/29 |
1969 多摩美術大学 学部長 哲学教授 1970 学内教員で学長に選出 1/31 1970 多摩芸術学園 哲学 |
山脇国利-2 | 1974「疑問点への反論」「理事長の背任」 1975「真下就任の経過報告」3/5 「不正入学の事実」3/11 |
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内海正和 | 1971 グラフィック教授 秘書室長解任 | 1969 多摩美術大学 秘書室長 |
奥野誠亮 | 1973 第75回国会文教委員会 2/27 文部大臣 | |
加藤進 | 1973 第75回国会文教委員会 3号 委員 | 1949 名古屋大学数学科教官 1963 衆議院議員 旧愛知1区 1971 参議院議員 日本共産党中央委員会顧問 |
岡田孝平-2 | 1971 多摩美術大学 常務理事 財団法人女子社会教育会 理事長 1974 村田より「岡田宛質問状」4/17 1975 5理事(斎藤 大西 高橋 山脇 岡田) 5理事が「村田退職の確認書」1/8 5理事が理事会招集請求 2/15 憲法 |
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内藤頼博 | 1973 弁護士 名古屋高裁長官を退官 1975 多摩美術大学 理事長 学長代行 4/1 1979 多摩美術大学 学長 1987 学習院院長 1991 多摩美術大学 名誉理事長 |
1944 東京地方判所6部裁判所 判事 調停成立12/26 |
永井道雄 | 1975 私学振興助成法 公布 7/11 文部大臣 | |
高田忠 | 1975 多摩美術大学査問委員会開催 2/15 委員長 (委員:奥野 塩山 (瀬島) 高田 田中 平野 藤谷 山城) 多摩美術大学 事務局長就任 2/26 |
特許庁意匠審査部長 1970 多摩美術大学 立体デザイン学科長 |
紛争の終結 | ||
田中一 | 1976 多摩美術大学 特別調査委員会報告書 12/8 |
1971 多摩美術大学 建築学科 科長 多摩美術大学 教務部長 |