鑓水綺譚 多摩美術大学 鑓水研究会 高橋士郎  八王子キャンパスの変遷 →鑓水開発物語

柚木村
江戸時代初期の村名。のち上・下の2村にわかれ、上柚木・下柚木の由来になる。
由儀・柚木とも書き、平安末〜鎌倉初期には横山党の一族由木氏が住んだといい、
南北朝期には多摩郡船木田荘のうち由木郷の名も見える。
1868年 鑓水代官地は韮山県所管となる
1870年 神奈川県多摩郡鑓水村
1889年 神奈川県南多摩郡由木村
1893年 東京府南多摩郡由木村
1943年 東京都南多摩郡由木村大字鑓水
1964年 柚木村が八王子市に編入合併廃止 八王子市鑓水となる
1994年 鑓水2丁目 多摩ニュータウン建設の進行にともない,鑓水のうちのニュータウン地区を分離

1792年 ねの神 子ノ神谷戸 鎮守の森 →諏訪神社
→「ねの神」データベース 


 
 1792 子の権現
 
 1798 諏訪神社

1885 八幡神社
 
 子の権現の旧本殿

1851年 異人館
八木下敬重によって建てられた洋館。鎖国時代から貿易が行われていたオランダの商人を招くために建てられた。
六角形の木造建物で、螺旋階段。開国後にはイギリスの外交官、アーネスト・サトウが鑓水を訪れ宿泊している。
その後、学校施設に転用され、1975年頃に解体。[鑓水学校・正倫学校]
   
南側:「慶応元年 武州多摩郡鑓水村」
東側:「此方 はし本 津久井 大山」
西側:「此方 はら町田 神奈川 ふじさわ」
北側:「此方 八王子(以下欠損)」

1856年 浜街道 幕末の絹輸出の裏街道 「五品江戸回送令」生糸・雑穀・水油・蝋・呉服

フランス軍制作の古地図 1856年に横浜が開校されると、安価で上質な生糸は重要な輸出品となる。サントスのイトトンボ号
八王子に集められた山梨などからの生糸は浜街道を通って横浜に運ばれ、生糸の流通の仲買で鑓水の商人が活躍した。
ドイツのシュリーマンやイギリスのアーネスト・サトウがこの道を通って八王子や高尾山などの観光に行き、記録を残している。
1)片倉から杉山峠(御殿峠)を越えて厚木に出る厚木街道ルート
2) 小比企から七国峠を通って津久井に出る津久井街道ルート
3) 上椚田から町田の大戸を通って津久井に出る大戸往還ルート
4) 難所である大塚山の峠を越えて鑓水・御殿橋経由の浜街道 鑓水→町田→今宿→芝生→横浜港
1889甲武鉄道(中央線)1908横浜鉄道(横浜線)の開通で廃れる 
平本平兵衛・八木下要右衛門・大塚徳左衛門・大塚五郎吉 [関東絹の道]  [尾根道]
  
横浜生糸売込問屋「亀屋」 原善三郎 1827-1899  八王子島田本造り

1865年 倒産売却した鑓水村の豪邸群 ベアトが撮影した鑓水   [] →移築先の追跡調査「相模原地区」


 
狼の五郎吉         村名主「石垣大尽」八木下要右衛門屋敷跡
1874年 道了堂の殺人事件
大塚?郎吉が浅草花川戸から道了尊を勧進して、峠に創建。 逸見じゅん『呪われたシルクロード』

 


1882年 陸軍制作のドイツ式地図「武蔵国 南多摩郡 鑓水村」→拡大地図 →拡大地図

1926年 南津電車倒産事件 鑓水停車場 [] []

1928 御大典記念 3年11月日復興 此方鑓水停車場 此方御殿山 此方道了堂八王子市 →拡大写真(南神電鉄の工事跡)
没落をまぬがれた鑓水商人の末裔である大塚卯十郎によって計画された鉄道計画
「南津電気鐵道株式會社」1924年発起集会 1926年鉄道免許を取得 1929年工事は中断 1936年会社解散

南側:「御大典記念 此方 鑓水停車場」
東側:「此方 道了堂八王子市」
北側、西側:判読できず。