0) 1960-1964 八王子校地の取得 1963年の新住宅市街地開発法施行に先立つ、1960年9月から1964年5月に掛けて、上野毛キャンパスの校地面積が大学設置基準に不足するのを充足するために、八王子校地を購入した。校地 20,099坪34,392,000円 |
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八王子校舎最初の看板:レタリング高橋士郎(村田晴彦葬儀の看板) 新住宅市街地開発法は、土地を強制収用して全てを更地とし、宅地造成して販売する法律である。開発疑似便乗者による不動産の転売益を阻止し、健全な街の形成を補償するため、開発施行者から譲渡された造成地には、5年以内に計画された建築物を完成させることや、所轄する都道府県知事の承認を得ずには10年間、土地および建築物を第三者に所有権等の移転ができないなどの規制が法的に盛り込まれる 宮崎駿アニメ『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台となった、多摩ニュータウン計画地域は、東西14キロメートルにおよぶ細長い地域である。本学の八王子キャンパスはその最西部に位置する。 |
八王子市鑓水2-1723 「ふるさと鑓水」鑓水歴史研究会 |
拡大 |
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1) 1964-1971 運動場設置から本館完成後の閉鎖 |
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1964年9月 合掌造移築 3,900,000円 台風時に、校庭への切り通し道路(上部は鉄の歩道橋で本館と学生寮をつないだ)からの突風により、一階部分が傾斜したが、引き起こして、各柱をつっかえ棒で補強した。民族資料館が木彫室となると、自然ゼミ、彫刻コンパなどで荒廃した。解体した部品は飛鳥寮で保存されていたが、古木材業者が利用できる良材のみを持ち去り、他は山中寮空地で雨ざらし状態であった。 1964年 運動場道路造成22,000,000円 1965年 旧八王子運動場 1965年 大場磐雄]教授 八王子校地の遺跡調査 1966年 民俗資料館 多摩帝国美術学校の初代校舎(今井兼次設計)を戦災後に復原した上野毛の実習棟(環八拡張時には再度移動工事)の梁材を使用して建設した。多摩美術大学の創設当時の記念的建築としたが、その後、彫刻木彫室となり、解体された。 学生寮完成 1969 本館完成(幽霊校舎) 観梅会 切り通しと鉄橋 |
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1968年、学園紛争の激化するなか、文化人類学の権威として国際的に著名な石田英一郎博士が第二代学長に就任した。石田学長は学長就任と同時に本格的な大学改革案の作成に着手した。広く学内に意見を求めて、21世紀に向けて新たなる時代に対応しうる美術大学とはいかなる理念、学科構成、カリキュラムが望ましい姿かを検討した結果、八王子キャンパス移転に関してのヴィジョンを発表した。この宣言は、通称「石田ビジョン」として全学生および教職員の支持を得て、機動隊導入ロックアウト後の授業再開が計画された。 多摩ニュータウンの最西部は、本学を中心とする美術・教育・文化産業の地域として発展するものと想定され。そのために本学は、大学教育研究のソフトとハードの融合をテーマに、美術学生のための創作研究の環境づくりと、大学の社会的使命の実現を目指した。 1968石田学長の急逝と、石田の後継予定者であった泉靖一が1970に相次いで急逝、 1973多摩美術大学文様研究所を設置して、江上波夫の学長就任を模索したが頓挫。2006多摩美術大学芸術人類学研究所を開設するに至る。 |
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2) 1971-1974 移転開始と仮設校舎建設 1967年美濃部知事就任による多摩ニュータウン建設の停滞、1971年ニクソン・ショックの兌換停止、 1971年第一次オイルショック 中東戦争、1979年第二次オイルショック イラン革命により、多摩ニュータウン建設は頓挫した。 1972「首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律」が強化される、1959年制定 |
1971 八王子移転開始 |
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多摩美術大学周辺の文化産業地区構想 高橋士郎案 東京都に提供 |
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3) 1974-1994 →無為の20年間 1975年 村田理事長および真下学長が退職し、内藤頼博が理事長および学長代行に就任。1975 学長に就任。私立学校振興助成法が施行される。 1974年 オイルショックで高度経済成長は終焉する。多摩ニュータウンは計画を転換し、多摩美大周辺の造成工事は停滞する。 |
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東隣地の造成 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4) 1994-2006 隣接地の拡大 建設の再開/教育組織の改革 バブル経済崩壊開始後に校地の拡張が実現し、西地区の谷を埋め立て、大規模なキャンパス建設計画が再開し、祝賀慰労会を開催石田ビジョンは、学部の専門課程と大学院をつなぎ、教育・研究内容を充実する計画であったが、これが遂に実現に向け動き出した 大学教育充実への見通しが立ち、改組転換および情報デザイン学科の新設の計画が現実的なものとなった。
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新運動場 テニスコート |
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TAMA ART UNIVERSAL CITY |
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2002 旧学生寮解体 東京都による東地区宅地造成分譲の為の岸壁工事 |
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2006 新図書館 |
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5) 2007- 旧施設の解体/建替え |
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2010 旧美術館図書館解体 耐震化の思想 本館耐震工事保存 2015 飛鳥寮解体 新飛鳥寮 反エコデザインの思想 奈良寮解体 |
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6) 2017 南地区の取得 [尾根緑地] 町田市全図 2017 03 15 南地区 11,640m2 |
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相模陸軍造兵廠 戦車類運行試験場 [] | [多摩ニュータウンにおける伝統と記憶の断層]
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