1909年 玉電開通 . |
1929年 大井町線 上野毛駅開業 運行車両1輛 20分間隔 駅舎新設 |
|||
二子玉川風景 [] |
. |
|||
震災特需の砂利舟 |
||||
|
1935年『多摩帝国美術学校』 上野毛敷地5200坪 借地料坪当り3銭5厘(吉祥寺敷地2500坪 借地料坪当り6銭) |
1935年 校舎3棟を建設 今井兼次設計 清水組施工 東横が建築費代払 東横への頭金15000円調達 川畑文子ダンサーの父親より借入 5000円 酒井億尋荏原製作所より借入 3000円 牧野虎雄画を満鉄本社へ売買 3000円 牧野虎雄画を永見某へ売買 1000円 残3000円は東横が猶予 1935年12月1日 開校大祝賀会 |
|
制服のネクタイ色 日本画:青 図案科:赤 西洋画:緑 彫刻科:黄 |
|
1941年 太平洋戦争が始まり 爆撃されなかった左側の白亜の校舎は 1947年の校舎貸し 戦後の復興は、焼失した校舎の再建から始まる。 |
||
1946年『多摩造型芸術専門学校』本科 →溝の口で学校再開 | 「多摩造形芸術専門学校」予科 上野毛 | |
|
1950年 木造校舎130坪2,000,000円 竹中工務店 佐藤次夫 建設指揮 1952年 木造本館校舎280坪5,191,600円 |
||
1953年『多摩美術大学』 戦後の学制改革を契機に、本学は大学設置基準に基づく、大学建設を開始 |
. |
1957年の大井町線 |
資材不足と財政難の時代に復興された木造本館は、老朽化も早く被災の面影が暗く残されていた 戦後に復旧した木造校舎は、次々とコンクリート建築に建て替えられることとなった。 1954年 大学新設のシンボルとして、講堂鉄骨建550坪が真っ先に着手されたが、 工事は遅々として進まず、講堂一棟の完成に五年を要した。 1955年 講堂設計図完成 1956年 上野毛校地5,267坪購入(5,2167坪)10,000,000円 1957年 木造校舎218坪6,55,100円 |
|
1958年 講堂鉄骨建3階480坪71,633,000円 講堂鉄骨建417.96坪 |
|
1960年6月 本館コンクリート造4階824坪56,193,000円 |
|
玄関モザイク大理石壁画 |
逸見学部長宅とテニスコート 戦前のオリジナル校舎 移動後の旧実技棟と移動後の旧本館 (コンクリート新本館屋上より高橋撮影1963) 南門付近 左は戦災を免れた今井兼次設計のオリジナル校舎 右側部分は戦後復旧した校舎(後に校庭西側に牽引移動) 今井兼次設計の校舎の思い出を後世に伝えるために、解体した梁材を再利用して八王子校舎に民俗資料館が1966年に建築された。 |
||
1965二子玉川駅工事 |
||
1962年 環状8号道路建設のためセットバック 拡大 |
||
1962 現1号館完成 |
||
|
||
|
||
|
||
1989年、わが国初の美術系夜間学部を開設 拡大写真 |
||
|
||
北門に移動保存された旧正門 2014年 工事トラックがぶつかり破損 |
||
2015年 駒沢通りの拡張工事予定 1 2 3 |