第1章 大正の自由教育から昭和の文化政策へ 大正ロマンと大正デモクラシ 私学と官学 世界の大学制度
[芸術文化の行政 文科省] [学制百年 文科省] [芸術と文化政策 山形大学]
官学 1883 洋画排斥「工部美術学校」廃校 |
私学 →明治の画塾 1868 カリフォルニア大学美術学部 1869「聴香読画館」川上冬崖 長崎留学 1873「天絵舎」高橋由一 長崎留学 1875「彰技堂塾」国沢新九郎 ロンドン 1887「生巧館」山本芳翠 フランス 1889「鍾美館」原田直次郎 ドイツ留学 1892「明治美術会学校」松岡寿 ローマ 1902 [哲学館事件] |
帝国美術学校の関係者の前歴 | ||
1910 明治43 |
杉浦非水 三越 図案主任 34歳 井上忻治 渡欧 26歳 | ルーセル小説「アフリカの印象」 マリネッティ「未来派宣言」 同人誌「白樺」創刊 銀座 上野 カンカン帽 モボモガ |
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1911 明治44 |
北一輝 上海に 宋教仁 国辛亥革命 川上音二郎 死亡 樺太神社 神社非宗教論 |
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1912 大正1 |
杉浦 [JTB] 杉浦 「光風会」 木村荘八「フュウザン会」 | 美濃部達吉「天皇機関説」 | ||
1913 大正2 |
井上 早大教授 29歳 | 宋教仁 上海北停車場で暗殺 [石川三四郎]渡欧 |
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1914 大正3 |
北 早大講師 29歳 | 第一次世界大戦-1917 ルーセル小説「ロクスソルス」 カフカ小説「流刑地にて」 マイリンク小説「ゴーレム」 ウエルズ小説「解放された世界」 「日本美術院」横山大観再興 「二科会」日展より分離 |
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1915 大正4 |
ソシュール講義集「一般言語学講義」 アインシュタイン「一般相対性理論」 [Views of Tokyo] [田園都市株式会社] |
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1916 大正5 |
旧制大学」8大学区 | ツァラ「ダダイスム」 ルッソロ「The Art of Noises」 |
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1917 大正6 |
大学令 専門学校の大学昇格 | 井上 早稲田騒動 退職 北 早稲田騒動 退職 |
[デュシャン] fountain ロシア革命 |
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1918 大正7 |
高等教育の大衆化 7年制高等学校令 理系の優遇 |
「日本美術専門学校」 設立 紀淑雄 |
金原省吾「日本美術学校」講師29歳 北 ハーバード大学哲学科入学 |
文部省「帝国美術展覧会」 -1934 |
1919 大正8 |
ロシア構成主義 タトリン「第三インタ」 バウハウス 朝鮮神宮 [絵画と国家の盛衰]杉浦俊香 |
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1920 大正9 |
旧制専門学校(実業専門学校) | →大正の自由教育 私立大学設置認可 |
森田恒友 「電気と文芸」創刊 北一輝 帰国 [大正期新興美術運動] [資料集成] |
チャペック戯曲「R.U.R.」 ヴィーネ映画「カリガリ博士」 国際連盟成立 大戦景気の終息 映画「ゴーレム」 「カリガリ」 「未来派美術協会 [Japanese Life] |
1921 大正10 |
x 「東京高等工芸学校」 | 「文化学院」美術部 石井柏亭 「自由学園」 羽仁もと子 「自由大学」土田杏村 「日本大学 法文学部 美学科」 |
木下成太郎 [漢学の振興] 杉浦 「日本美術学校」図案科講師 中川紀元 三木清「文化学院」講師 渡邊泰亮「自由大学」講師 |
マンレイ「ニューヨークダダ」 チャップリン映画 [キッド] [] ラング映画 [疲れた死神] レイモンドルーセル 来日 川端龍子「青龍社」 |
1922 大正11 |
杉浦 パリ渡欧 里見宗次 パリ渡欧 三木清 ドイツ 渡欧25歳 北 帰国 37歳 中川紀元「アクション」 森田恒友 木村荘八 「春陽会」 |
ムルナウ映画「ノスフェラトウ」 ジョイス小説「ユリシーズ」 大川周明「復興亜細亜の諸問題」 北一輝「支那革命外史」 下落合文化村分譲開始 「第一作家同盟」 |
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1923 大正12 |
「東京写真専門学校」 | 北 「大東文化学院」講師 北 「クローチェとの対話」 |
デュシャン「大ガラス」 ホールデン「超人間主義」 シュヴィッタース「メルツ」 関東大震災9.23 北一輝「日本改造法案大綱」改題 近衛秀麿 ドイツ留学 村山知義「MAVO」ダダ |
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1924 大正13 |
牧野虎雄「槐樹社」結成 28歳 杉浦 帰国「七人社」結成 鑓水村の南津電気鉄道建設 「三科造形美術協会」 大正期新興美術運動 プロレタリア美術運動 |
ブルトン「シュ-ル宣言」 ヒトラー「我が闘争」 三室戸敬光[類題明治天皇御集] |
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1925 大正14 |
「日本大学専門部芸術科」設立 「文化学院」大学部創設 |
映画「ポチョムキン」 ヒトラー「我が闘争」 グロピウス「デッサウ新校舎」 「死刑宣告」萩原恭次郎 |
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1926 昭和1 |
「東京高等音楽学院」渡邊敢 「帝国音楽学校」校長:福井直秋4/11 辞職12/ |
北「学苑社」 設立 南津電気鉄道の倒産 |
映画「メトロポリス」ラング | |
1927 昭和2 |
杉浦 「アフィッシュ」 杉浦 「東洋唯一の地下鉄道」 浅岡信夫 映画「阿里山の侠児」 |
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1928 昭和3 |
1928 中国美術学院 | 成城学園玉川学園和光学園事件 箱根土地が国立に学園開設を計画9/5 11/13堤康次郎の音楽村構想 日本大学美術学校を計画 |
北 「社会学上より見たる芸術」訳 北 「祖国」 総合評論雑誌創刊 村田晴彦 北れい吉 側近 25歳 石田英一郎 爵位返上 治安維持法検挙 25歳 -1934出獄 内藤頼博 帝大 法学部 在学 20歳 金原が、北に美術学校創立を相談 小池新二らが東京高等美術学校を協議 北が、内田府議に借地を相談 北が、木下代議士に出資を懇請 | ロレンス「チャタレイ卿婦人」 カルダ「サーカス」 福沢桃介 財界引退 代議士 |
1934 ゴーリキー戯劇学校 中国 1938 魯迅芸術学院 1941 八路軍部隊芸術学校 1943 シラパコーン大学美術学部 1946 ソウル大学美術大学 1950 中央美術学院 中国 1955 国立台湾芸術大学 1956 中央工芸学院 中国 1960 中国人民解放軍芸術学院 1968 公立の美術芸術系59校 仏 1978 人民解放軍芸術学院美術系 1982 国立台北芸術大学 |
1932 クランブルック大学院大学 1935「多摩帝国美術学校」 1946 弘益大学美術大学 1949 アートセンターカレッジ 1953「多摩美術大学」 1961「武蔵野美術大学」 1976 シドニー芸術大学 2004 ロンドン芸術大学 |
官学 | 私学 | |
専門 学校 |
文化大臣+校長 文化主義 | 個人主義 校主+校長 |
大学 | 文部大臣+学長 全体主義 |
自由主義 総長・塾長・院長(理事長+学長) |