多摩美術大学の歴史  高橋士郎講義ノート

第1章 大正の自由教育から昭和の文化政策へ  大正ロマンと大正デモクラシ 私学と官学 世界の大学制度
[芸術文化の行政 文科省] [学制百年 文科省] [芸術と文化政策 山形大学]

  私学 官学
専門
学校

1872年「彰技堂」国沢新九郎
1918年「日本美術専門学校」紀淑雄
1935年「多摩帝国美術学校」国沢新兵衛

 個人主義 校主+校長
伊州 1563年 フィレンツェ国立美術学校
仏国 1819年 パリ国立高等美術学校 エコールボザール
蘭州 1870年 オランダ国営ライクスアカデミ
仏国 1968年 公立の美術芸術系59校 ボザール

文化大臣+校長 文化主義 
大学  自由主義 総長・塾長・院長(理事長+学長)

米国 1868年 カリフォルニア大学美術学部
米国 1932年 クランブルック美術学院 大学院大学
韓国 1946年 弘益大学美術大学
米国 1949年 アートセンターカレッジ
日本 1953年「多摩美術大学」 
日本 1961年「武蔵野美術大学」
豪州 1976年 シドニー芸術大学
英国 2004年 ロンドン芸術大学 
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文部大臣+学長 全体主義 

英国 1769年 ロイヤル・アカデミ 王立 大学院大学
北欧 1773年 スウエーデン国立芸術大学 王立
北欧 1871年 アールト大学美術学部 社会主義
日本 1887年「東京芸術大学 」 東京美術学校
中国 1928年 中国美術学院  社会主義
泰國 1943年 シラパコーン大学美術学部 王立
韓国 1946年 ソウル大学美術大学
中国 1950年 中央美術学院  社会主義
台湾 1955年 国立台湾芸術大学
中国 1956年 清華大学美術学院 中央工芸 社会主義
台湾 1982年 国立台北芸術大学

1917年10月大学令「大学ハ国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ、並ビニソノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以ツテ目的トナシ、
           兼ネテ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養ニ留意スベキモノトス」

      
  帝国美術学校の関係者の前歴 私学 →明治の画塾
1869「聴香読画館」川上冬崖 長崎留学
1873「天絵舎」高橋由一 長崎留学
1875「彰技堂塾」国沢新九郎 ロンドン

1887「生巧館」山本芳翠 フランス
1889「鍾美館」原田直次郎 ドイツ留学
1892「明治美術会学校」松岡寿 ローマ


1902 [哲学館事件]
官学


1883 洋画排斥「工部美術学校」廃校
1884 黒田清輝 フランス留学
1887「東京美術 東京音楽学校」
1889「京都府画学校」
1892 西洋画科設置「東京美術学校」
1897 岡田三郎助 フランス留学
1898 美術学校騒動
1900 浅井忠 フランス留学
1901 荻原守衛 渡米 フランス
1902 中村不折 フランス留学
1903 専門学校令 予科 研究科 別科
   修業年限 普通科2年 専修科3年
   大学専門部 (旧)
1906 藤島武二 フランス留学
1907「文部省美術展覧会」-1918
1909「京都市立絵画専門学校」
1819 パリ国立高等美術学校
1868 カリフォルニア大学美術学部












1910
明治43
杉浦非水 三越 図案主任 34歳
井上忻治 渡欧 26歳
    ルーセル小説「アフリカの印象」
マリネッティ「未来派宣言」
同人誌「白樺」創刊
銀座 上野  カンカン帽 モボモガ
1911
明治44
      北一輝 上海に 宋教仁 国辛亥革命
川上音二郎 死亡
樺太神社 神社非宗教論
1912
大正1
杉浦 [JTB]
杉浦 「光風会」
木村荘八「フュウザン会」
    美濃部達吉「天皇機関説」
1913
大正2
井上 早大教授 29歳     宋教仁 上海北停車場で暗殺
[石川三四郎]
渡欧
1914
大正3
  早大講師 29歳     第一次世界大戦-1917
ルーセル小説「ロクスソルス」
カフカ小説「流刑地にて」
マイリンク小説「ゴーレム」
ウエルズ小説「解放された世界」
「日本美術院」横山大観再興
「二科会」日展より分離
1915
大正4
      ソシュール講義集「一般言語学講義」
アインシュタイン「一般相対性理論」
[Views of Tokyo]

[田園都市株式会社]
1916
大正5
    旧制大学」8大学区 ツァラ「ダダイスム」
ルッソロ「The Art of Noises」
1917
大正6
井上 早稲田騒動 退職
  早稲田騒動 退職
  大学令 専門学校の大学昇格 [デュシャン] fountain
ロシア革命
1918
大正7
金原省吾「日本美術学校」講師29歳
  ハーバード大学哲学科入学
「日本美術専門学校」 設立 紀淑雄 高等教育の大衆化 7年制高等学校令 
理系の優遇
文部省「帝国美術展覧会」 -1934
1919
大正8
      ロシア構成主義
タトリン「第三インタ」
バウハウス
朝鮮神宮
[絵画と国家の盛衰]杉浦俊香
1920
大正9
森田恒友 「電気と文芸」創刊
北一輝 帰国
[大正期新興美術運動] [資料集成]
→大正の自由教育
私立大学設置認可
旧制専門学校(実業専門学校) チャペック戯曲「R.U.R.」
ヴィーネ映画「カリガリ博士」
国際連盟成立 大戦景気の終息
映画「ゴーレム」 「カリガリ」
「未来派美術協会 [Japanese Life]
1921
大正10
木下成太郎 [漢学の振興]
杉浦  「日本美術学校」図案科講師
中川紀元 三木清「文化学院」講師
渡邊泰亮「自由大学」講師
「文化学院」美術部 石井柏亭
「自由学園」 羽仁もと子
「自由大学」土田杏村
「日本大学 法文学部 美学科」
「東京高等工芸学校」 マンレイ「ニューヨークダダ」
チャップリン映画 [キッド] []
ラング映画 [疲れた死神]
レイモンドルーセル 来日
川端龍子「青龍社」
1922
大正11
杉浦  パリ渡欧
里見宗次 パリ渡欧
三木清 ドイツ 渡欧25歳
  帰国 37歳
中川紀元「アクション」
森田恒友 木村荘八 「春陽会」
    ムルナウ映画「ノスフェラトウ」
ジョイス小説「ユリシーズ」
大川周明「復興亜細亜の諸問題」
北一輝「支那革命外史」
下落合文化村分譲開始
「第一作家同盟」
1923
大正12
 「大東文化学院」講師
 「クローチェとの対話」
「東京写真専門学校」   デュシャン「大ガラス」
ホールデン「超人間主義」
シュヴィッタース「メルツ」
関東大震災9.23
北一輝「日本改造法案大綱」改題
近衛秀麿 ドイツ留学
村山知義「MAVO」ダダ
1924
大正13
牧野虎雄「槐樹社」結成 28歳
杉浦  帰国「七人社」結成
鑓水村の南津電気鉄道建設 
    ブルトン「シュ-ル宣言」
ヒトラー「我が闘争」
三室戸敬光[類題明治天皇御集]
「三科造形美術協会」
大正期新興美術運動
プロレタリア美術運動
1925
大正14
  「日本大学専門部芸術科」設立
「文化学院」大学部創設
  映画「ポチョムキン」
ヒトラー「我が闘争」
グロピウス「デッサウ新校舎」
「死刑宣告」萩原恭次郎
1926
昭和1
「学苑社」 設立
南津電気鉄道の倒産
「東京高等音楽学院渡邊敢
「帝国音楽学校」校長:福井直秋4/11
             辞職12/
  映画「メトロポリス」ラング
1927
昭和2
杉浦 「アフィッシュ」
杉浦 東洋唯一の地下鉄道
浅岡信夫 映画「阿里山の侠児」
     
1928
昭和3
北 「社会学上より見たる芸術」訳
北 祖国」 総合評論雑誌創刊
村田晴彦 北れい吉 側近 25歳
石田英一郎 爵位返上
  治安維持法検挙 25歳 -1934出獄
内藤頼博 帝大 法学部 在学 20歳
金原が、北に美術学校創立を相談
小池新二らが東京高等美術学校を協議
北が、内田府議に借地を相談
北が、木下代議士に出資を懇請
成城学園玉川学園和光学園事件
箱根土地が国立に学園開設を計画9/5
11/13堤康次郎の音楽村構想
日本大学美術学校を計画
  ロレンス「チャタレイ卿婦人」
カルダ「サーカス」
福沢桃介 財界引退 代議士