多摩美術大学の歴史 (高橋士郎講義ノート) 

第3章 多摩帝国美術学校 徴兵猶予から学徒出陣へ 上野毛前期 (11年間) →教員の変遷 →役員の変遷 

→上野毛校舎の沿革 →学生一覧 →教授一覧 多摩地名由来

1935
昭10
『多摩帝国美術学校』  →公文書
08月26日 認可申請 09月06日 認可
09月07日 上野毛の野原で始業式
09月20日 授業開始 千駄ヶ谷の学苑社
東京市世田ケ谷区多摩川上野毛町323
10月20日 校舎 2棟500坪完成
10月30日 校舎 1棟210坪完成
設計:今井兼次
→新設声明9/6  →生徒募集
→学長挨拶 →設立趣旨書 →学生声明
→校歌
創設時の役員



11月01日 開校記念祭 手拭3000本配布
12月01日 開校大祝賀会 割烹旅館水光亭
     現:プラウドタワー二子玉川

理事長(学外)國澤新兵衛鉄道デザイナ
理事(学外)  立花良介 映画プロ
      近藤清吉 医師
           20.000円
理事(学内)  北れい吉 思想家
           35.000円
      杉浦非水 商業デザイナ
           10.000円
      牧野虎雄 洋画家
           10,000円
後援会長   丸山鶴吉 警視総監
校賓     米山梅吉 社会奉仕家
校長     杉浦非水
学監    井上忻治
学生監    村田芳太郎
主事    渡邊泰亮
名誉校長  北れい吉

制服のネクタイ色:
日本画:青 図案科:赤 西洋画:緑 彫刻科:黄

北れい吉「学校紛争の顛末」6/

「天皇機関説」事件2.18
「国体明徴訓令 教学刷新評議会」文部省
「帝国美術院」改組 文部大臣 松田源治
台湾博覧会

「帝国高等音楽院」授業開始2/14
帝国美術学校でビラ撒布 2/21
帝国美術学校洋画科集会 4/22
帝国美術学校同盟休校 5/16
帝国美術学校封鎖 5/21


1936
昭11
『デセグノ』創刊1号 2号
女子部設置 逸見梅栄 12,000円
     杉浦非水  500円
     北れい吉  300円
     牧野虎雄  270円
杉浦非水『全日本商業美術連盟』委員長
北れい吉 衆議院議員 無所属新潟一区
北れい吉「日本国策映画研究所」
北れい吉 映画『国防全線八千粁』
東横電鉄が玉川電気鉄道を傘下に収め
2・26事件 北一輝 憲兵隊に検挙
日本工作文化連盟 全日本商業美術連盟
陸軍従軍画家協会
「教学刷新評議会」
奉安殿データベース
ベンヤミン「複製技術時代」
ナチス+日本合作映画『新しき土』
映画「ゾンビの暴動」日本軍
1937
昭12
『デセグノ』3号 4号 5号
「財団法人 多摩帝国美術学校」
徴兵猶予認可
東横電鉄より財団設立金借入 30,000円
      (寄付金:利付貸金 年8分)
理事長(東横)丹羽武朝東横電鉄常務取締役
 理事(東横)松浦由太郎東横旧常務取締役
 理事(学内)杉浦非水 校長
東横電鉄時代の役員
三木清『文化研究会』委員長
『大日本陸軍従軍画家協会』 陸軍省
      宮本三郎 中村研一

「帝国芸術院」設立 文部省
[愛国行進曲]
『満州映画協会』設立 李香蘭
「国体の本義」「教学局」文部省
「日本大学 法文学部 芸術学科」
自由美術家協会

「帝国高等音楽学院」開校 鈴木鎮一
「帝国高等音楽学院」認可 1939

ドイツ「退廃芸術展」
日中戦争 [Floral Japan]

1938
昭13
『デセグノ』6号 7号 8号
募集案内
台風により校舎3棟の屋根破損 
三木清 中村研一 建畠大夢 小池巌 教授
東横電鉄が玉川電気鉄道を合併 「東邦音楽学校」三室戸為光
文部省主催の展覧会を再開
大日本陸軍従軍画家協会 陸軍省
ウエルズ「世界の頭脳」
ナチ映画「民族の祭典」 
チューリングマシーン  .
1939
昭14
『デセグノ』9号 10号
『多摩美術』創刊
出征学生に慰問袋発送
木村荘八「日本挿絵画家協会」
真下信一 検挙
東横電鉄が目黒蒲田電鉄に吸収合併
社名を東京横浜電鉄株式会社と変更

「美術文化協会」独立美術協会、新造型美術協会、創紀美術協会、新日本洋画協会、ナゴヤアバンガルドクラブ、二科九室会などのシュルレアリスムを志向する前衛作家が集結し、銀座アラスカにて発会式が行われた。
斎藤義重、塚原清一、塚原清一、浅原清隆、杉全直、福沢一郎
海軍省軍事普及部
[太平洋行進曲]
「映画法」芸術の醇化発達
『第一回聖戦美術展』陸軍美術協会
『靖国の絵巻』陸軍省情報部
第二次世界大戦
ポ-ランド侵攻 [NY Fair] [Dali]
ボンベが『エニグマ』解読
グリンバーグ「キッチュ」

1940
昭15
里見宗次 教授 帰国
里見宗次 泰王国赴任 義部隊宣伝部長
円鍔勝三「躍進の像」福岡県水巻町
北れい吉 浅沼稲次郎 オスロ 南洋神社(パラオ)北京神社
東京オリンピック返上
[大政翼賛の歌]
[日本の皇紀2600年に寄せる祝典曲]
 
1941
昭16
大東亞戦争 敗戦国の名称
『多摩美術』第2号
瀧口修造、福沢一郎、検挙拘留
[報国団結成]
国民学校令芸能科図画工作 大平洋戦争 戦勝国の名称
[ソビエト大祖国戦争]
1942
昭17
『多摩美術』第3号
成田千里 1週間理事 豊島師範学校長
金策破約 檜見詮三 東条内閣保険局総裁
 
電通映画社とアニメ

アメリカ軍戦略事務局
ABC 電子計算機
[社會運動の状況]内務省
1943
昭18
『多摩美術』第4号  「名簿」
学校報告祝賀会4/7 溜池「錦水」北れい吉

昭和医学専門学校時代の役員

昭和医学専門学校より20万円借入
東横へ地代と利息元金を返済
理事長斉藤浩昭和医学専門学校常務理事
理事 野添敦義弁護士 玉川村役場嘱託
理事(学内) 杉浦非水 校長

繰上卒業

「帝国高等音楽学院」解散
シラパコーン大学美術学部
「Our Enemy the Japanese」
1944
昭19
『多摩美術』学徒出陣号
校舎が海軍技術研究所に接収され休校
  軍の要請による文部省勧告 2/27
  600名の総定員を640名に増員
  一時休校
帝国美術学校の消滅
『大東亜工学院』
陸軍美術協会04/03
台湾神宮 関東神宮
 
1945
昭20
焼夷弾空襲により校舎焼失
三木清教授 拘留 終戦1か月後に獄死
北れい吉宅会合 2/1
 杉森孝次郎 原口中将 牧野虎雄
綱島温泉会合 2/15
 村田芳太郎 牧野虎雄
敗戦
大東亞省は勅令により即時廃止 8 26
大東亞工学院の消滅
8月6日 原子爆弾投下
GHQ幕僚部民間情報教育局
オーウエル小説『Animal Farm』