第3章 多摩帝国美術学校 徴兵猶予から学徒出陣へ 上野毛前期 (11年間) →教員の変遷 →役員の変遷
→上野毛校舎の沿革 →学生一覧 →教授一覧 多摩地名由来
1935 昭10 |
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「天皇機関説」事件2.18 「帝国高等音楽院」授業開始2/14 |
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1936 昭11 |
『デセグノ』創刊1号 2号 女子部設置 逸見梅栄 12,000円 杉浦非水 500円 北れい吉 300円 牧野虎雄 270円 |
杉浦非水『全日本商業美術連盟』委員長 北れい吉 衆議院議員 無所属新潟一区 北れい吉「日本国策映画研究所」 北れい吉 映画『国防全線八千粁』 東横電鉄が玉川電気鉄道を傘下に収め |
2・26事件 北一輝 憲兵隊に検挙 日本工作文化連盟 全日本商業美術連盟 陸軍従軍画家協会 「教学刷新評議会」 奉安殿データベース |
ベンヤミン「複製技術時代」 ナチス+日本合作映画『新しき土』 映画「ゾンビの暴動」日本軍 |
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1937 昭12 |
『デセグノ』3号 4号 5号 「財団法人 多摩帝国美術学校」 徴兵猶予認可 東横電鉄より財団設立金借入 30,000円 (寄付金:利付貸金 年8分) 理事長(東横)丹羽武朝東横電鉄常務取締役 理事(東横)松浦由太郎東横旧常務取締役 理事(学内)杉浦非水 校長 東横電鉄時代の役員 |
三木清『文化研究会』委員長 『大日本陸軍従軍画家協会』 陸軍省 宮本三郎 中村研一 |
「帝国芸術院」設立 文部省 「帝国高等音楽学院」開校 鈴木鎮一 |
ドイツ「退廃芸術展」 日中戦争 [Floral Japan] |
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1938 昭13 |
『デセグノ』6号 7号 8号 募集案内 台風により校舎3棟の屋根破損 三木清 中村研一 建畠大夢 小池巌 教授 |
東横電鉄が玉川電気鉄道を合併 | 「東邦音楽学校」三室戸為光 文部省主催の展覧会を再開 大日本陸軍従軍画家協会 陸軍省 |
ウエルズ「世界の頭脳」 ナチ映画「民族の祭典」 チューリングマシーン . |
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1939 昭14 |
『デセグノ』9号 10号 『多摩美術』創刊 出征学生に慰問袋発送 木村荘八「日本挿絵画家協会」 |
真下信一 検挙 東横電鉄が目黒蒲田電鉄に吸収合併 社名を東京横浜電鉄株式会社と変更 |
海軍省軍事普及部 [太平洋行進曲] 「映画法」芸術の醇化発達 『第一回聖戦美術展』陸軍美術協会 『靖国の絵巻』陸軍省情報部 |
第二次世界大戦 ポ-ランド侵攻 [NY Fair] [Dali] ボンベが『エニグマ』解読 グリンバーグ「キッチュ」 |
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1940 昭15 |
里見宗次 教授 帰国 里見宗次 泰王国赴任 義部隊宣伝部長 円鍔勝三「躍進の像」福岡県水巻町 |
北れい吉 浅沼稲次郎 オスロ | 南洋神社(パラオ)北京神社 東京オリンピック返上 [大政翼賛の歌] [日本の皇紀2600年に寄せる祝典曲] |
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1941 昭16 |
大東亞戦争 敗戦国の名称 『多摩美術』第2号 |
瀧口修造、福沢一郎、検挙拘留 [報国団結成] |
国民学校令芸能科図画工作 | 大平洋戦争 戦勝国の名称 [ソビエト大祖国戦争] |
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1942 昭17 |
『多摩美術』第3号 成田千里 1週間理事 豊島師範学校長 金策破約 檜見詮三 東条内閣保険局総裁 |
アメリカ軍戦略事務局 ABC 電子計算機 [社會運動の状況]内務省 |
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1943 昭18 |
『多摩美術』第4号
「名簿」 学校報告祝賀会4/7 溜池「錦水」北れい吉 昭和医学専門学校時代の役員 昭和医学専門学校より20万円借入 東横へ地代と利息元金を返済 理事長斉藤浩昭和医学専門学校常務理事 理事 野添敦義弁護士 玉川村役場嘱託 理事(学内) 杉浦非水 校長 |
繰上卒業 |
「帝国高等音楽学院」解散 |
シラパコーン大学美術学部 「Our Enemy the Japanese」 |
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1944 昭19 |
『多摩美術』学徒出陣号 校舎が海軍技術研究所に接収され休校 軍の要請による文部省勧告 2/27 600名の総定員を640名に増員 一時休校 |
帝国美術学校の消滅 『大東亜工学院』 |
陸軍美術協会04/03 台湾神宮 関東神宮 |
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1945 昭20 |
焼夷弾空襲により校舎焼失 三木清教授 拘留 終戦1か月後に獄死 北れい吉宅会合 2/1 杉森孝次郎 原口中将 牧野虎雄 綱島温泉会合 2/15 村田芳太郎 牧野虎雄 |
敗戦 大東亞省は勅令により即時廃止 8 26 大東亞工学院の消滅 |
8月6日 原子爆弾投下 GHQ幕僚部民間情報教育局 オーウエル小説『Animal Farm』 |