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日本美術学校 校長 紀淑雄 日本美術学校 創立1916 早大教授 国立博物館監査官 
日本美術学校 講師 小池新二 東京高等美術学校 創設を主唱1927 大東亜省嘱託1943
帝国音楽学校
  北れい吉 1930/9 父兄代表 1931/10 評議員  
校長 有馬頼寧 1930/10 第二次「帝国音楽学校」開校  
日大音楽科  堀内敬三 1934/2/ 合併案  
日大芸術科長 松原寛    
教授評議員 校長代理 鈴木鎮一 1935/2/14「帝国高等音楽学院」設立  
評議員 小松平五郎 小松耕輔(日本作曲家協会設立)の弟 1947日大芸術学部
評議員 野村光一 音楽史  
  菅原明朗 1935/12/5 解雇騒動  
  京王パラダイス    
帝国美術学校
帝美開設 校長 北れい吉 帝国美術学校 帝国音楽学校 開設  
帝美開設 校主 木下成太郎 木下三四彦  
帝美開設 教務 金原省吾    
帝美開設 庶務 名取堯    
帝美校歌 北原白秋   1922文化学院講師 早稲田大学英文科予科 
帝美校歌作曲 小松耕輔    
帝美開設 床次竹次郎   立憲政友会 次男 徳二 50万元事件 帝人事件
帝美開設 三土忠造   立憲政友会代議士 東京日日新聞編集長
帝美開設 渡邊敢   東京高等音楽学院初代学院長 1929新聞記事
帝国美術学校の校地 校舎
地主 小美濃文太郎 [] 地主兼農業 信用組合常務理事 内田秀五郎の娘婿
校地 借地2,500坪   1929/9/2 北郡武蔵野町吉祥寺 1929-1933 校舎新築 712坪
建築業者 吉村伊吉    
南側隣接地 借地300坪   1935/9/18 校舎別館
南側隣接地 借地883坪   1935 校舎移築 2階建20教室
お茶ノ水女子師範旧校舎を移築 495.5坪
校舎倒壊事故 島田正蔵 挫傷全治約一ヶ月 宇野組大工   
仮校舎「杉並小学校」   校長 岡本隆治 杉並区中通町 現 中央大学附属高等学校
仮校舎 「武蔵野学園」      
仮校舎 「富士館」 小俣新吾左衛門 杉並区荻窪町 西荻窪駅前通町 上荻窪区会議員 
東京区裁判所 小野領四郎 執達吏 校舎使用許可  
帝国美術学校の移転反対運動
父兄代表 阿部孝次郎 代理校長 杉並区天沼 予備陸軍中條
父兄代表 武藤久壽 四谷区会議員  
父兄 川鯮名    
父兄会「会場」 京王パラダイス 四谷区新宿3丁目  
移転反対運動 維持員 内田秀五郎 [] 井荻村村長 杉並区選出府会議員 
移転反対運動 秋本録之助 初代武蔵野町長 秋本喜七:立憲政友会代議士の弟 
移転反対運動 高橋 永長 両助 町会議員  
盟休事務所 井荻信用組合 7/7杉並区宿町4  
東京府関係者
帝国美術学校 認可 牛塚虎太郎 東京市長 1933-1937 五島慶太 [1935築地市場開設] 東京府知事1929-1931
多摩帝国美術学校 認可 横山助成 東京府 知事 石田英一郎義姉の夫 警視総監 貴族院議員
東京府 学務部長 白方    
東京府 学務課長 池田 現地調査  
東京府 視学 熊野    
東京府 府会教育委員長 山田 現地調査  
帝国美術学校の吉祥寺校舎譲渡関係者
「女子学校計画」 佐藤勝康 校舎売買登記 名義  
「日大藝術学園」
山岡萬之助 日本大学顧問
日本大学総長 貴族院議員 ドイツ留学
「日大藝術学園」 松原寛 日本大学教授 藝術学園の移転計画 法文学部美学科学監
「國體擁護連盟」   拓開学術大陸國策研究所開設  
「日満學校」 高倉寛[伊沢文書] 北が賃貸仮名義を譲渡 立憲政友会福岡 
校舎請負1935 葛井一男 北から校舎買取依頼  
詐欺登記事件1936/7 柴田徳次郎 和解工作  
詐欺登記事件1936/7 佐伯錦洲 佐伯唯一 帝美新理事 東京地方検事局に告発 貴族院公正会政務調査部
詐欺登記事件1936/7 正木實 弁護士 校舎賃貸契約の氏名貸  
詐欺登記事件1936/7 最上貞藏 留守番役 祖國会経理部々員   
詐欺登記事件1936/7 宮口勝次郎 唯一 留守番役 28日夕刻行方不明 宮口将軍 杉並区井荻町2-15
調停裁判関係者
「木下新校長案」 鏑木清方 梅原龍三郎 中野和高 高畠達四郎 富本憲吉 森田亀之助(多摩帝美)
原宏 山脇厳 ブルノータフト 三林亮太郎 佐藤朝山 佐々木秀一
調停委員案1941委員長 塩野季彦 学長候補 検事正 司法大臣 思想検事 国本社理事 帝人事件
調停委員案1941委員 広瀬喜六    
調停委員案1941委員 寺島隆太郎   報知新聞社 1946衆議院代議士
調停委員案1941委員 天野富太郎   1949 衆議院代議士
調停委員案1941 五島慶太 理事長候補  
調停委員案1943 次田大三郎 名取金原から経営譲渡 1936 広田内閣法制局長官
1945 幣原内閣国務大臣兼内閣書記官長
調停委員案1943 安井誠一郎 1942東亜石油工学院校長 1940 海外鉱業協会理事長
調停成立1944 12/26 内藤頼博 東京地方判所6部裁判所判事  
東亞省 1944徴用交渉 阿部太 南方鉱業学院主事   
東亞省 1944東亞学院構想 次田吉郎 大東亞省1942-1945  
大東亜工学院 1944 陶芸指導 松山祐利 1938 工芸図案科入学 1944 卒業 []
多摩帝国美術学校の開設関係者
  寺田稲次郎 木下が解決一任 北一輝門下 日本国民党 大杉栄遺骨奪取
桜井案1935理事長案 桜井義正   桜井子爵(山岡萬之助の女婿)の息子
桜井案1935理事案 藤山愛一郎   藤山雷太(藤山コンツェルン)の息子
桜井案1935理事案 山岡 萬之助 日本大学第3代総長総裁1940 貴族院議員 ドイツ留学 刑法学者
金融案 佐島 安田財閥の重役  
東横案1935斡旋仲介 浅岡信夫 北れい吉の側近 自由党代議士(藤原半二郎)
東横案1935斡旋仲介 藤原繁太郎 北れい吉の側近 社会党代議士
東横案1935交渉 村田芳太郎 北れい吉の側近 北れい吉の替わりに美術学校経営
東横案1935斡旋仲介 徳川義親   侯爵 植物学者 日本社会党結成援助
東横案1935 篠原三千郎 目黒蒲田電鉄取締役 1944東京急行電鉄社長
多摩帝美開設1935理事長 國澤新兵衛   多摩帝美 前満鉄副総裁 博士
多摩帝美開設1935会計担当 里美馬城夫   多摩帝美
多摩帝美開設1935校賓 米山梅吉   多摩帝美 三井合名会社 銀行家 貴族院議員
多摩帝美開設1935後援会長 丸山鶴吉   多摩帝美 警視総監 1951「武蔵美術学校」校長
多摩帝美開設1935理事 近藤清吾   多摩帝美 医学博士
多摩帝美開設1935主事 渡邊泰亮   多摩帝美
戦後の武蔵美 関係者 
極東造型学園1947 設置者 瀧井三郎 1947名取金原から経営譲渡 田中高愚の弟子 結城金山経営
造型美術学園1947 設置者 田中高愚 1947瀧井三郎から経営譲渡 丸山鶴吉配下 珍彦鉱業社社長
造型美術学園1947 学園長 山脇巌    
造型美術学園1947 助手 斎藤博之 1937洋画科入学 1943/9 繰上卒