12月 日比谷公園のちょろ松、浮浪者生活を終了し、 |
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1963年 19才 |
美術学部デザイン科の1回生(図案科10回生)入学 願書 |
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1964年 20才 |
学内選考試験で立体デザインへ進学 奨学金 山岳部を退部して授業に専念する 授業料納付督促 |
山岳部員:原田美智代 味戸ケイコ |
1965年 21才 |
3学年進学 歴程フェスティバル舞台美術参加 |
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1966年 22才 |
卒業制作(日東工器に就職内定) 立体デザイン科の総代として卒業証書を受領 芸術学学士 |
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1967年 23才 |
立体科最初の専任教員助手に採用 |
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1968年 24才 |
学内改革(副手規定の新設)により副手に降格される 大学院美術研究科デザイン専攻に在籍することとなる 有給学生 民俗資料館(鑓水地域の資料収集) 「大学要項1969」制作に参加 特別奨学金の返済完了 |
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1969年 25才 |
多摩美大就職のため工業デザイナを断念する |
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1970年 26才 |
立体デザイン科専任講師に就任 日本デザイン学会担当校幹事 |
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1971年 |
八王子校池への移転開始 |
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1972年 28才 |
多摩芸デザイン学科開設準備委員. |
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1973年 29才 |
文様研究所研究員/バンチェン土器/幾何学紋様 |
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1974年 30才 |
学生の就職指導の為に、立体会事務局を学内に移動する |
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1975年 31才 |
イスラム美術調査旅行 |
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1976年 32才 |
40年史編集執筆 40周年教員作品展出品 |
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1977年 33才 |
立体デザイン科助教授に就任 教室の確保 縁下教室 テント教室 飯場教室 セキスイハウス ガラス溶解炉 電気通信科学館企画委員「電脳制御シリーズ」 |
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1978年 34才 |
学生作品の著作権保護の為に、卒業制作作品集を創刊する インドネシア国際会議 国際交流基金より長期芸術家派遣 (タイ王国内のすべての美術学校を訪問) |
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1979年 35才 |
個展「習作模型展」 国際交流基金より長期芸術家派遣 |
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1980年 36才 |
熱海修学旅行 |
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1981年 37才 |
立体デザイン科教務主任に就任 |
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1982年 38才 |
シルパコン大学と交流協定の覚書 | |
1983年 39才 |
研究紀要第1号出版(1978提出原稿が5年遅れて創刊される) |
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1984年 40才 |
50年史編纂委員幹事に就任 原案を執筆 |
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1985年 41才 |
美術学部二部設立準備委員に就任 |
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1986年 42才 |
エプコットセンター受注 | |
1987年 43才 |
1987.09.02-1987.09.07 |
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1988年 44才 |
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1989年 45才 |
アップルジャパン社と産学共同契約により二部デザイン学科を開設 (日本の大学での本格的マック教育の初めとなる) 立体デザイン科教授に就任 美術学部二部兼担教授に就任 |
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1990年 46才 |
東野芳明が闘病 多摩芸術学園の解散 |
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1991年 47才 |
勤続20年表賞を辞退 中央工芸美術学院35周年式典に出席 中央工芸美術学院集中授業担当 |
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1992年 48才 |
教育充実検討委員に就任 |
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1993年 49才 |
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1994年 50才 |
交友会設立のため立体会を解散する |
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1995年 51才 |
多摩美術大学研究紀要 10号「設計教育の三段階 真善美
」 インド休暇旅行 天津卓球大会「鳩」 ダミコ教育機器の復元 |
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1996年 52才 |
と思いきや、秋山邦晴教務部長の急逝により、教務部長に就任 |
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1997年 53才 |
4学科設置申請と予算執行 光栄の寄付金を得て3DCG講座を開設 ウエブサイト運営委員会長に就任 @tamabiホームページを開設 |
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1998年 54才 |
情報デザイン学科を開設、120名定員増を実現する |
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1999年 55才 |
自己点検報告書「多摩美1997-98-99」を編集発行 |
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2000年 56才 |
学校法人理事に就任 内藤名誉理事長没 |
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2001年 57才 |
博士後期課程の新設 芸術とデザインを合併 メディアセンタ開設 インサイトビジョン展 |
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2002年 58才 |
勤続30年表賞を辞退 新設学科構想研究会 情報芸術コースの独立 |
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2003年 59才 |
学長会議 tamabi ver.0.2 絵でみる多摩美の教育改革 中国美術学院75周年式典杭州 「学生の授業アンケート」実施 『現代の東南アジア美術』展 |
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2004年 60才 |
Tama-Art-City構想 掘り起こしたオルガン |
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2005年 61才 |
博士修士論文作品集の創刊 |
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2006年 62才 |
芸術人類学研究所の開設 |
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2007年 63才 |
八王子移転の使命を断念 猶興 | |
2008年 64才 |
バリ島休暇旅行 | |
2009年 65才 |
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2010年 66才 |
国際芸術村構想 Rising Sun Art University | |
2011年 67才 |
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2012年 68才 |
Tamabi OS 2012 |
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2013年 69才 |
幽体離脱 偲ぶ会 秋葉原 タイ王国 Chiang Saen にて年金生活 名誉教授辞退 emeritus professor(honorary professor) |
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有道則見、無道則隠